見て見て見て
こんなに苦しかったんだ
毎分毎秒 自分の言葉
吐き出したい
でも 気力が足りない
凍りついたような心
苦しさの背景
今日も言えずにいる
量産したいよ
思いつく限り
私のしんどさが伝わるような物語
量産したいよ
思ってるだけ
言葉にするのは過酷なんだ
誰か分かってくれ
数だけ増えたものからは
意味や価値が 薄れていくのかな
それでも言わないと
始まらない気がして
毎日何かを生み出したい
そして安心したい
だからやらないと
認めてほしいと願う
自分がいる
やりたいのは本当にこれかな?
伝わってほしいのは本当だよ
量産したいの?分からない
ただ 心すり減らしながらでも
言いたいことは確かに在るよ
量産
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
表現したいことが自分の中に蓄積されている感じがあるのに、上手く出せない。大量生産するみたいに流れでたくさん書ければ楽…?いや、でも……。みたいなモヤモヤした気持ち。
感想1
「量産したい」のは証明したいという言葉みたいにも見えた。物量があれば物語に含まれたつらさが伝わるかもしれないという願いもあるかもしれない。自分の中のわだかまりを、なにか形にして安心したい気持ちは私にもある気がする。「量産」は工場や大量生産システムの言葉だと思うけれど、人間が「量産」しようとしたら、全部が同じにはならなくて、そして作っている中にも、作っているということ自体によって変化が生まれると思う。語り続けると語りは変化してゆくことがある。それは相手だけでなく、自分も作品を見て、聞いているからなのかもしれない。そんなことを考えた。
感想2
吐き出したいものや伝えたいものが多すぎるあまりそれを表現しようとする手や声が震えて、上手く出てこないでいるような感じがしました。私は定期的にノートに言葉を書き殴るのですが、後日それを眺めたとき、その筆跡の荒々しさや紙面に滲んだ汗や涙の痕が当時のつらさをいつまでも湛えているような気がします。量産品は生産コストを抑えられるために安価になりますが、はたして言葉・物語を紡ぐことを量産と言えるのでしょうか。生産者が同じなので似通ったものが生まれることもあるしれませんが、きっと一つとして同じ型のものはないのではないかと思いました。