幼稚園の帰り道
ツツジの花をむしり取って
つんと香る
甘いお酒の
汁をすすった
おとなになったがきがした
小学3年生の帰り道
友達と喧嘩をした
もやもやした霧に覆われて
いっぱい苦しい胸になった
「ごめんね」が
喉縁に詰まって言えなかった
大人になれないとおもった
中学1年生の部活帰り
家に帰りたくないと思った
ため息を呑み込んで
夜のベンチにすわって
鈴虫の音にみとれてた
大人に成りたくないと思った
高校3年生の受験期
とにかく勉強しまくった
朝から晩まで
夢の中でも
何者かになるために
用もないけど勉強した
もう大人には為れないと悟った
18の今
私は「大人」になったらしい
賑やかなショッピングモール
満開に咲いたチューリップ
満月が照らす夜
フェスで鳴り響くロックンロール
いつものように
電車に揺られ通り過ぎていく
私はたしかにここにいる
「おとな」に成れないけど
「大人」に為りました
「わたし」に成れないけど
「私」に為りました
それでも
たしかに
いつでもそこに
わたしはいた
為る
作品にまつわる質問
この作品にまつわるエピソードがあれば教えてください。
いつまでも過去を懐古することがやめられません。現実感は薄くても、過去は確かにあって今も確かにある。電車で大学に向かう途中、窓の外を眺めながら綴った詩です。
感想1
こどものころ、ツツジの蜜はすごくあまく感じたけれど、もうずっと味わっていないなと思う。(大人になって知ったけれど、毒がある種類もあるらしい。)さまざまな瞬間の風景が、香りや音や、心の動きが通り過ぎていくように感じた。おとな/大人って言葉の持つ意味が、すこしずつ変わっていって、どんどん窮屈なものになっていったのかなと思う。だけどその合間に記憶とつながってきた「わたし」もいるんだと思った。ほんとうは「おとな」であったり「大人」であったり「私」でいたり「わたし」でいたり、いろいろな瞬間いろいろな立ち位置、いろいろな顔があるのだと思う。
感想2
定義も提示されぬまま、成ることを押し付けられた「おとな」像。しかし、それなりに人生を過ごし、社会的に「大人」と為った今日日分かったことは、「おとな」という状態は曖昧で不確かなものであるということ。成るというのは、何かを実現した状態だが、曖昧な像には成りようがない。しかし、私は常に変化し続けていることには間違いがないと思う。