東から昇る陽の光で空が白み始めた頃、ベッドに横になっていた妙齢の女――見た目でいえば、五十くらいだろうか――は閉ざしていた瞼をゆっくりと持ち上げた。数回の瞬きを繰り返したのち、どこか気だるげに身体を持ち上げた女がぐるりと首を一回回し、おもむろに上へと手を掲げたその刹那――パチンと指を鳴らす音が響いたかと思うと、彼女が纏っていた白いネグリジェが一瞬にして黒いロングワンピースへと変化した。同時に寝癖でボサボサだった黒髪も、真っ直ぐに整い首元でひとつに結わえられていて。肩にかかる髪を後ろへ払った女は、足を床へ下ろすとそのまま立ち上がった。
「……もうすぐ春だっていうのに。朝はまだ冷えるねえ」
誰に向けるでもないただの独り言を口にしながら四人がけのテーブルが置かれたリビングへと入ってきた女がゆったりとした歩調で足を進めながら指を弾くと、暖炉の中に置かれている薪が一瞬にして紅い炎に包まれる。続けて彼女がもう一度指を鳴らすと、今度はランプに明かりが灯った。
「さて。今度は食事の準備だね」
なんでもないように彼女が指を弾く音が、静かな空気に何度も響き渡る。その音が止む頃にはテーブルの上に並んだ皿の上に、スクランブルエッグにサラダ、トースト二枚に牛乳たっぷりのカフェオレ――どこにでもある、ありふれた朝食だ――が置かれていた。流れるような足取りでその朝食の前までやってきた女は、慣れた様子で椅子に腰を下ろすと、おもむろに目の前のトーストへと手を伸ばした。
「……おっと。わたしとしたことが、ジャムを忘れているじゃないか」
片手にトーストを持った女は「うっかりしていた」とでも言いたげな様子で、もう片方の指をパチンと鳴らした。その音に導かれるように現れた半分ほどまで減ったいちごジャムの瓶を手元に引き寄せると、置かれていたスプーンを手に取ってたっぷりと掬い上げトーストへと塗っていく。
「よし。こんなもんだろう」
ツヤツヤとした赤に塗りつぶされたトーストを見つめた女は、口を大きく開くと勢いよくそれに噛りついた。頬張ったトーストをゆっくりと咀嚼し飲み込むと、女の口元が緩やかに弧を描いた。
「うん。今日も完璧だね」
一日の始まりを彩る自分好みの朝食に、女は満足気に頷くとジャムトーストを再び口へと運んだ。
ワンダーエブリデイ
作品にまつわる質問
この作品の好きなところを教えてください。
魔女の一日の始まりをテーマに書いた短編です。魔法が当たり前にある世界観の中で、魔女の『人っぽさ』が出るように書きました。
感想1
朝食の香ばしい匂いを錯覚するほどに世界に入り込ませる文章だと感じました。指を鳴らすだけで全ての支度が整っていくのはとっても便利そうで魅力的だし、見ていて愉快だろうと想像します。ハリー・ポッターに登場する、ウィーズリー家のお母さんが家事魔法を使いこなしている姿を連想しました。何気ない日常動作を魔力で行えるようになるまでには、かなりの訓練を重ねて熟達しなければならないのかもしれません。はたまた、私が腕を伸ばして物を掴むように、魔女にとっては容易く当たり前の動作なのかもしれないとも思いました。
感想2
当たり前に魔法がある世界の中でも、この魔女さんは知者と言えそうだと個人的に思いました。自分にあった時間の流れや日々の過ごし方、自分に必要なことを過不足なく知っている感じがしたからです。一人で過ごしている時間が長いと、空間や道具やさまざまなものと対話するようにひとりごとを呟いてしまうことがあるように思います。魔法が異端として追いやられていない世界なら、魔女さんの住処は案外人里近くなのでしょうか。でも自然はゆたかな場所のイメージをしています。私もいつか魔女になりたいと常々思っているので、こんなふうな、一日の完璧なはじまりを探してみたいと思いました。