「自由に二人組になってください」
先生が言った。
脳内に地獄の始まりを告げる鐘が鳴り響いた。
私はいつも余り物だ。
気付いたらペアが完成している。
そこに私はいない。
今すぐにでも透明人間になりたくなるほど、存在が恥ずかしい。
常に申し訳ない。
それは、授業でのグループワークのときだった。
話し合いの話題が脱線した。
「みんな」は楽しそうだった。すごく盛り上がってた。
私はニコニコして愛想笑いするのに必死だった。
でも、1人より安心した。
それは私にとって疲れる時間かもしれない。
でも、「みんな」はそれが最高の時間なのだろう。
授業が終わって、自分の席に戻った。
また1人になってしまった。
とてつもなく寂しくなった。いつも1人なのに
「みんな」の笑い声が聞こえた。
どこか遠くの世界の音のようで、耳の奥でこだました。
虚しかった。
自分が馬鹿馬鹿しかった。
逃げたかった。
つくりものみたいな真紅の液体。
私は傷を付けた。自分にも、「みんな」にも。
私は自分に愛想笑いをした。
感想1
とても身に覚えがあるなと思いながら読みました。グループワーク、私も嫌いでした。やるときはちゃんとやりたいタイプだったから本当は脱線が嫌だったし、でもそれを押し殺しさえすれば無事グループに居続けられることには安堵していて、その時だけは「みんな」と一緒になれた気がしていました。つくりものの自分でなければ居られない教室という空間は、私や、この詩のような人にとっては、まるで鳥かごのようでどこまでも残酷だったなあと自分の経験を思い返していました。
感想2
はじめの一文を読んだだけで、学校という場を離れてからもうかなり時間が経つのにうわっと思うくらい私の中にも不快感に近い記憶があることに気付かされました。自分がペアができなかったらという焦りと不安、余りになってしまった人がいた時の何とも言えない空気など...そして私がもし同じ空間に居たら、私もみんなは楽しそうでいいなと思いつつケラケラ愛想笑いをしながら投稿者さんのいう「みんな」に見えていたのかな、どうなんだろう...など、記憶にある机の並んだなんだか息苦しい教室の中で考えています。