希望って
頑張る理由だ
だからこそ
私はそれを
全て蹴り飛ばした
もう 頑張りたく無かったから
楽しみ とか思いたく無かった
「それを糧に頑張りたく無かったから」
好きなバンドの活動にも耳を塞いだ
物欲も焼いて燃やした
性欲も鍵かけて棚に閉まった
鍵は道端のグレーチングに投げ捨てた
食欲はなかった
口になんとなく放り込むのは
「苦しいな」で「しにたいな」
の風を防音するための心の耳栓
睡眠欲は希死に邪魔された
ストレスの騎士が笑ってた
頑張る理由が欲しいは嘘だった
頑張れる理由がいらなかった
頑張らなくても安心したかった
頑張らなくてもいていいよって
頑張らなくても私は私でいいよって
わたしは もう頑張りたくない
感想1
さいしょに、叫ぶような言葉だと感じました。だけどなんだかとても冷静であろうとするように声色を抑えつけるようにして書かれている気もして、「もう」という言葉がすごく重たく響く感じがしました。「頑張る」でなんとかしようとするのは、本当は最後の手段で、99%の時間は頑張らなくていいんじゃないかって思っています。でも社会は最終手段をいつも振り翳して、頑張ることを求め続けているような気もします。……なぜなのだろう。「もう頑張りたくない」っていうことすら封じられてしまいそうな世の中かもしれないけど、「もう頑張りたくない」って私も言いたいと思った。
感想2
読みながら、もしかしたら、身を置く環境で生きる為に聴かないようにしてきた自分の声に耳を傾けて、はじめて外に発してくれた言葉なのかな...と、「もう」になるまで言いたかったけど言えずにいたことなのかなと想像していました。私には投稿者さんが勇気を持って発してくれた宣言にも聴こえて、「頑張らなくていいよ」と自分が自分に言うだけでなく、頑張らなくてもあなたはあなたでいいよと言ってもらえる、頑張らなくても安心できる環境になった時、蹴り飛ばさなくてもいい「希望」と出会えるのだろうか...と願いに近い思いを抱くとともに、私自身もそのような希望を求めているのかもしれないと気付かされました。