わたしが描く線が、太くて濃いのは
誰かに見つけてほしいからだ
はっきりと、くっきりと
みやすく、わかりやすく
ここだよ、ここにいるよ
みつけて
わたしが描く線の集合体がおおきいのは、
誰かにみつけてほしいからだ
どんなに遠くても、どんなに目が悪くても
わざわざ探さなくたって、どこにいてもみえるように
長い間そうやってきたけれど
みつけてもらえたのかな
自分でそれがわからないうちは、
みつけてもらえてないのかもしれない
だからずっと、わたしの描く線は、
太くて濃くて
線が形どるものも、大きいんだろう
淡くて、あざやかなものにあこがれたときもあった
それになれないし、なったとしても苦しいだけだときづいて
愚直に真っ直ぐ、黒い線を伸ばす
それも自分に似合っているんだろう
手癖もあるんだろうけれど
その線を好きな自分もいるんだから
これから見つけてくれるひとが、
ずっとずっといなくても、
わたしの線はずっと変わらないんだろう
感想1
誰かに見つけてほしい気持ちと、それをもつ自分の心との会話のように感じました。読みながらあなたの「線」をイメージしてみて、ハッキリとしながらも「芯」があるのが私には浮かんだような気がしています。それは線にも、心にもなのかなと感じました。タイトルも踏まえて考えたのは、発信し続けている自分という信号(モールスに近い)をいつかキャッチしてほしい、そんな想いもあるのだろうか…と、勝手ながらですが私の解釈とイメージでした。
感想2
人知れず思いを込めて描く線の意味を知って、投稿者さんが内包する繊細な一部を感じました。「愚直に真っ直ぐ、黒い線を伸ばす」と書かれた部分には、静かに自分の内面と対峙する姿を想像して、なんだかかっこいいなと痺れてしまいました。自分にはない表現や手法がときに羨ましく思えたり、不安を感じることは、私自身も身に覚えのあることでした。「それでも、自分の線を描いていこう」と思うことは、いろんなことを悩み考えた末に、自分を信じてみようとすることでもあるのかなと考えました。