経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生きるには

私にASDがある事を公表しても、社会は正確には理解してくれない。マジョリティーである普通の人だけが生きやすい環境に、私はがっかりしている。人間だから、どんなに心が苦しくても我慢しないといけない。だが、個性が強い僕に対して、同じ世代の仲間はどんどん離れて消えていった。その恐怖をずっと、今もなお味わい続けている。
僕には、これと言っての友人は片手ぐらいしかいない。本当はもっとほしいのに。
家族に言えない悩みだってあるのに。辛い、とにかく私はこの世から消えたいと思った。
こういった悩みは、誰しも生きていれば決して消えないものだ。
誰かに声をあげてほしい。辛いときに、第三者に要求すれば、必ず拾ってくれる。
僕にとってはそれが生きる勇気を与える一つの手段になった。
相談は、生きるために必要である事を、もっと多くの人に知ってもらえる事、それを無理なく利用することが生きる上で重要な事だという結論に至った。
悩みは、決して自分にため込まないでほしい。

感想1

「社会は正確には理解してくれない」
「マジョリティ―である普通の人だけが生きやすい環境に、私はがっかりしている」
という言葉を、マジョリティ性が高いと自覚している立場として、しっかりと受け止めたいと思いながら読ませていただきました。そして、マジョリティ側であるにもかかわらず、私も今の社会に「がっかり」していることについて改めて考えたくなりました。

あなたの投稿を読んでいると、あなたの辛さには「理解されない」ことはもちろん、「友人が片手ぐらいしかいない」ことや「家族に言えない悩みがある」ことなどがあるように私には読めました。これは「友人はたくさんいる方がいい(いる方が幸せ・いることが当たり前)」という価値観や「家族にはなんでも話せる方がいい(話せる方が幸せ・話せることが当たり前)」という価値観がこの社会では正しい(普通)とされているからこその辛さのように私は考えました。実際のところ、友達がいない人はたくさんいて、家族に話せないことがあるという人もたくさんいるはずであり(私はどちらもそうです)それでもその人なりに幸せを感じて生きている人も多くいるはずと私は思います。それにもかかわらず、そういう人たちは「普通じゃない」とされがちな雰囲気が確かにあるように思い、私はそのことに「がっかり」しているのかもしれません。

また、誰もが悩むことや「第三者」の存在・「相談」が必要であるというあなたの言葉からは、あなたがこれまで身近な人に頼れずに生きてきたことが想像されました(違ったらすみません)。私も相談の大切さを「多くの人に知ってもらいたい」ですし「無理なく利用できるように」あってほしい、悩みを「ため込まないでほしい」と思いますが、知られていないことや悩みをため込んでしまうのもまた、自己責任論や悩むことは弱いことという偏見が社会に強くあるからのような気がしています。
あなたの投稿から何度も何度も社会にある課題について考えさせられました。きれいごとかもしれませんが、誰もが安心して生きていくことができる社会とは何か、そのためにできることは何かを今後も考え続け、できることをしていきたいと思います。投稿ありがとうございました。

感想2

投稿ありがとうございます。
自分の生きづらさを突き詰めて、力強く提言するような姿勢に、あなたのもつエネルギーを感じつつも、一人で結論づけてくるしかなかった孤独も想像しています。

私もASDですが、「マジョリティ―である普通の人だけが生きやすい環境」というあなたの感覚には、半分同意・半分別意見かもしれません。
マジョリティーよりマイノリティーの方が生きづらいのは間違いないところですし、それは「生きづらい」という言葉じゃ時に生温いほどに、残酷で理不尽なものだとも感じてきました。でも、マジョリティーは生きやすいのか?というとそれも微妙な気がしていて、「普通」についていけなくなった瞬間にどうしていいかわからなくなる綱渡りを、綱渡りと気づかずに「これで大丈夫」と思い込んで生きているようなイメージを私は抱いています。

ただ、あなたがこれまで「周りは楽しそう」「自分は置いて行かれる」みたいな感覚をおそらく味わってきていて、そういった経験から「マジョリティ―である普通の人だけが生きやすい」という言葉が出てきているのだろうとは思いました。
経験談にはあまり詳しくは書かれていなかったですが、同じ世代の仲間が離れて消えていったこと、家族に言えない悩みなど、あなたがこれまで抱えてきた葛藤や傷つきはかなりのもののように想像しています。

みんなが悩みをため込みすぎず、ためたものを適切に吐き出したり消化する方法がたくさんあって(相談以外にもこういった経験談や、アートなどの自己表現、運動などでの発散などいろいろあるかと思います)、恐怖や孤独に一人で耐えなくてもいい世の中をつくりたいです。

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