経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

弱い心

小さい頃の私は「ものわかりのいい子」でした。学校に行きたくなかったけど母に怒られるからと嫌々ながら学校に行き、習い事も母に言われたからやり、勉強も学校の先生に言われたからしっかりやりました。
本当は全部嫌だったし反抗したかったけど、祖母から「お母さんとお父さんは共働きで忙しい」と5歳くらいの頃からずっと言われてきたのでしょうがないと思っていました。
中学の頃も本当はクラスが嫌で堪らなかったし部活も人間関係がギスギスしていて苦しかったけど学校や部活を休むと母が怒るため、我慢し続けました。その結果中2で自殺未遂を起こし、病院に運ばれました。
その後、母から「病院の人みんな、私が悪いと言ってくる。なんで…」と言われました。多分ですがカウンセラーの方が私の話を聞いて母から守ろうとして何かを言ったんだろうと思います。でもそれがまずかった。
私は過去に本当のことを言って母の機嫌を損ねた結果、すごく母から責め立てられたことがあったため「機嫌を損ねるとまた怒られる」と察し、「お母さんは悪くないよ、私が悪かったんだよ。」と言ってしまいました。結局自分の本音は今も言えていません。

今、私は高校3年生です。
自殺未遂を起こした日から今まで、何回も死にたいと思ってきました。自分が両親の言動を気にするせいでこんなことになっているから、この弱い心をどうにかしたいです。

私が高3になってから、両親は(主に自分勝手に振る舞う父が原因で)喧嘩ばかりしています。ほぼ毎日喧嘩する声で気が散ってしまい、受験も近いから勉強したいのにできない日々が続いています。祖母の家に避難することも考えましたが、祖母も私に母の顔色をうかがうことを強制してくるので逃げ場がありません。
大学だって本当は遠くに行って両親と縁を切りたかった、でも自分の体調的に地元で暮らすしかないです。

つい先日のことでした。
私は目が悪く眼鏡をかけているのですが、経年劣化で曲がってしまいちょうど受験もあるから買い換えたいと母に言ったところ、買い替えてもいいよと言われました。お店に行って確認したところ、自分の気に入った色で良さそうなフレームがあったので母にこれがいいと伝えたら、「え、この色派手だから今持ってるやつと同じ色でいいでしょ」と言われました。結局私の希望は通らず、母の選んだ眼鏡をかけることになってしまいました。
家に帰ってきた後、母は「違和感がすごい(笑)」みたいなことを言って少しだけ馬鹿にしてきました。(もしかしたら和ませようとしたのかもしれませんが)
お金を出してもらったから何も言えないけど、今でもあの時は自分の好きなフレームにしたかったなと感じています。
もう過ぎたことなのに引きずってしまう自分が本当に嫌で仕方がないです。

両親には感謝しています。私が大学のことを相談したときも、「自分のやりたいことをやっていいよ」と言ってくれました。両親に虐待されているわけではないし他の人から見れば恵まれているのも分かっています。
そんな環境で両親に振り回されていると思ってしまう自分が一番嫌いで、死にたくなります。

早く楽になりたい。

(ここまで呼んでくださりありがとうございました、文章読みづらくてすみません)

感想1

投稿ありがとうございます。
「弱い心」というタイトルをふまえて読ませていただいたのですが、読めば読むほど、「投稿者さんの心(意思やそれを通す力)を周りが奪い、弱らせている」ように感じられてならない私がいます。どうしてそう感じるのか書いてみようと思うのですが、どれが正解ということもないですし、投稿者さんが自分を「弱い」と感じる心を否定したいわけでもないので、一つの捉え方として伝えてみたいと思っています。

小さい頃から先日の眼鏡のエピソードに至るまで、「本当のこと(本音、とも置き換えられるのでしょうか)を言ったら怒られる」という不安(実体験もあったのだと思います)を日々感じ続けてきたのかなと想像しました。そうして一つ一つの小さくともはっきりとした不安を積み重ねていくうちに、いつしか「本音は言わない(言えない)もの」ということが当たり前になっていったのかな…と。その想像に立って、改めてタイトルや経験談の端々に表れている「自分という主体が悪いのだ」という思いをイメージしてみると、そこはとても密接に繋がっているように感じました。「やりたくないけどやらなきゃいけない」という葛藤によって起こるストレスやフラストレーションのやり場(矛先)が自分しかなくなってしまうような気がするからです。
周り(両親)とぶつかりあったり、自分の意見が通ったりということが難しいことばかりだったのかなと思うので、そうなると周りや現状を変えることを望むより「自分の気持ち次第」だと思ってしまうのも無理は無いような、そんなふうに想像しました。

本来であれば心に正解不正解はないし、他人にそれを押し付けたりしない限り、どう感じていてもよいはず…と私は思います。でも、もし投稿者さんが自分の意思を確立して、実際に押し通そうとしたら、どうしても周りの環境や言動とぶつかってしまったり、自分の心との齟齬を今まで以上にはっきり感じてしまって、板挟みになってしまうのかな…と想像する部分もあるので、「自分の意思を全面に出そう!嫌なものには抵抗しよう!」と強くは推せないな…と思う私もいます。そう考えると、投稿者さんの今の考え方は、理不尽な環境をやり過ごしながら自分の本音をしっかり持ち続けるためのサバイバルスキルと言えるのかもしれないとも感じました。
今回の経験談のように、自分の経験や気持ちを言葉にする行為は、誰かとぶつかることはないままに、自分の中にある本音と外に出している行動、そして環境について、繋がりを見出したり、時に切り分けたりしながら、自分について捉え直すことが出来る機会なのかなと思います。そして過去や現状を捉え直すことが、投稿者さんの本音を肯定できたり、「自分のせいじゃないこともあるのかもな…」とちょっとでも気楽になれたりする、そんな助けになったらいいなと勝手ながら思っています。投稿者さんの言葉と本音を、よければまた聞かせてほしいです。

感想2

読ませていただきながら、できるかぎり「親の手を煩わせないように」と過ごしているちいさなこどもの姿がみえるようでした。幼少期からまわりの様子をみて、ぐっと飲みこんできたことがたくさんあった(今もある)のだと思います。
あなたの「ものわかりのよさ」に周りの大人が甘えてしまった結果、近しい大人に味方だと思える人がいなかったり、あなたにとって安心して過ごせるところがなかったりしてしまったのだと感じています。

ようやく自殺未遂という形で出せたあなたの気持ちも、カウンセラーの方の動きはあなたを守ろうとしたものだったかもしれませんが結果的にあなたの本音を直接親に話せないままになってしまった。
中学2年生から今に至るまでの4年間は特に死にたい気持ちを抱えながら、でも幼少期からの習慣としてみにつけている周りを見て判断する力が、あなたの気持ちよりもやはり親や周りの大人を優先させてきたのだと思います。

あなたは自分が死にたいと思っていることや両親の言動を気にすることを「弱い心」だと表現されていますが、個人的には「弱い心」とは感じていません。(私が思うことなので、受け取らなくても大丈夫なのですが…!)
むしろこれまでその状況下で過ごされてきたあなたの力が感じられていて、両親の言動を気にして自分の意志はできるだけおさえこんで、というのは「弱い」からではなく、そうしなければ幼少期から生き抜いてこれなかった、あなたが本能的に体得してきた生き抜く力なのかもしれないな、と思っています。
眼鏡のフレームのことも、母のいうことに合わせた方が荒波が立たないからそうしたのかな、など勝手に想像しています。一方でそれに対してもやもやが残っているのは、あなたの中で「自分の意思をもっと出したい」という気持ちが少しずつ大きくなってきているのかもしれません。それは決してわるいことではなく、とても大事な事だと思います。
ただそれがあなたの中での葛藤になったり、すべてを終わらせて「早く楽になりたい」ということばにもつながっているのかもしれません。

他の人からみれば恵まれていようとも、暴力・暴言などの虐待に曝されていなくても、眼鏡を買ってくれても、大学進学を応援してくれていたとしても、「日常の中であなたの意思が尊重されない環境」にあることは振り回されていると感じて当然だなとも私は思います。
(参考までに、18歳までのこどもを守るものとしてある「こどもの権利条約」にも「子どもの意見の尊重」という項目があります。あなたがありたい姿、やりたいこと、やりたくないこと、やめたいこと、すきなこと、きらいなことなど自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を十分に考慮する必要があるのです。)

ここまで書いていて一番にあなたに伝えたいなあと思うのは、今の状況やあなたの気持ちが「あなたのせいでこうなっているわけではない」と感じる人もここにいるということです。
「そんな環境で両親に振り回されていると思ってしまう自分が一番嫌いで、死にたくなる」ときには「でもそう感じても当然で、それがどうやら自分のせいではないと思っている人もいるらしい」と思い出していただければなあ、と思ったのでそっとここに書かせてもらいます。

今回、あなたのことばでこうして投稿していただいてありがとうございました。
また投稿をしていただけたら嬉しいです。

感想3

経験談を書いてくれてありがとうございます。
「両親に振り回されていると思ってしまう自分が一番嫌い」とありましたが、ご両親は実際にあなたを振り回しているんじゃないでしょうか。
言いたいことを聞いてくれて、大人の良いように動いてくれるあなたに、周りの大人たちが甘えてきたんだろうなという印象です。
我慢をしてくれるあなたに大人が乗っかっている、そんな絵が浮かんできました。
そんな状態だと、気にするなと言われても気にしないほうが難しいですよね。
そんな環境で生きてきたあなたの心は、弱いんじゃなくて、やわいんじゃないかな・・・と私は思います。
私の勝手な想像ですが、やわいからこそ敏感に周りの大人の言葉を聞いて機嫌を窺って・・・ということがある意味できてしまうのかなぁと。
そのやわさでもって、これまで人の気持ちをたくさん受けとめて来られたのではないかなぁと思いました。

眼鏡の話は、私も似た経験があります。母とでかけるときに自分で選んだ洋服を母から「こっちのほうがいい」と言われて着替えたことがありました。
そのときの気持ちは未だに忘れられません。自分の好きな、自分がいいと思った物を否定される。悪気で言ってるんじゃないと思うからこそ、自分の気持ちじゃなくて、誰かの気持ちを優先してしまう。自分の声が小さくなって、姿が透けて、心がちっぽけなものになったような気持ちでした。

自分にとって一番身近な自分自身が、まず自分の本音を聞く。
私は「何が好き?どんなものが好き?」、自分への問いかけをたくさんして、ペンケースとかのちょっとした持ち物から自分の好きなものに変えていきました。
楽になれるかはわからないけど、そうやって自分の声を自分自身ですくっていくことで、ちょっとずつ息はしやすくなったように思います。
眼鏡ケースや、眼鏡拭きとかでもいいから、あなたが好きな色を持てるといいな。
いつかあなたが自分で選んだ素敵な眼鏡をかけられますように。

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