経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

受験勉強がつらい

高校3年です。大学受験の勉強が苦しくて仕方がありません。
中学卒業時からずっと、受験勉強を最優先にしてきました。少なくとも旧帝大に合格しなければ私に生きている価値はない、旧帝大に入ればもう、馬鹿にされない。そればかり考えてきました。でもこれ以上頑張れません。勉強を始めようとすると呼吸が苦しくなって、お腹が痛くなって、涙が出てきます。どうにか始めても頭が回らず問題文が理解できません。
できないところばかり潰す作業はもううんざりです。勉強のために、受験のために生きているような気がして、いつの間にか人を偏差値でしか見れない人間になった気がして、そんな自分が嫌で、死んでしまいたいです。もう旧帝大には間に合いません。地方の国立大を受験しますが、合格できなければどうなるのだろう、私の人生は終わったと思っています。勉強できてないのに国立大を受けるなんて受験をなめていると言われても言い返せません。できれば生きていたいけど、死ぬしかないのではと思ってしまいます。
大学を居場所にしたいと思っていました。今まで家にも学校にも心地よい空間がなかったから、大学ではふかぶかと息をしたい、それが唯一の希望です。どうにか国立大から合格をいただき、早く家を出て、笑いたいです。

感想1

志望している大学に合格することが唯一の希望であり、でもそのためには全てを優先してきた勉強をさらにして邁進し続ければならない絶望がある、そんな二律背反のジレンマに今のあなたのつらさや息苦しさがあるのかなと想像していました。

時代の変化もあり、昨今は「自分らしさ」「その人らしさ」を活かした多種多様な進路(生き方と呼ぶ方が近いかもしれません)が拡がりを見せつつありますが、それでもまだ(残念ながらというべきか)「学歴社会」というものが私の周りの話を聞いていても根深く残っているように体感としては感じます。

そういった(悲しいことに)社会が求めてくる・風潮がある中で、あなたが目標とする旧帝大、国立大であなた自身が何を学び、どんな興味をもって、何を求めて志望したくなったのかということをふと疑問に感じた私がいます。もしそれが「旧帝大に入ればもう、馬鹿にされない」とあるように、あなたが自身で望んだ志望したり、勉学に励むことではなく、周りや、家族、学校などから求められるものであったとするならば、とても苦痛を伴うものとなってしまうでしょうし、回らない頭でひたすらに受験のために勉強と向き合うことはとてつもないストレスになってしまうように思えました。

たしかに偏差値の高い大学へいくことでしか得られないアドバンテージや増える選択肢もあるのかもしれません。ですが、その先自分がどうしていくかや「生きる力」と呼べるようなものは学歴などでは語れないもっと違う場所にあるのかなと私個人としては思っています。(私自身は平々凡々とした大学を卒業するまではできましたが、自分自身と社会との折り合いをつけられずに地に足をつけるまでに10年以上かかりました。突然の自分語りですみません。。。)

とはいえ「大学を居場所にしたい」、「ふかぶかと息をしたい」、「早く家を出て、笑いたい」という言葉は今のあなたの切実な望みだと思いますし、閉塞感やつらさから脱して退屈が裏返るような希望を秘めたものでもあるように私には感じられたので、無理のない範囲で目指しつつ、つらくなった時には「自分がどう生きたいのか」や「今とは違う進路やこれからを考える」、そんなことに思いを馳せる時間があってもいいのかなと私は思いました。

投稿ありがとうございました。

感想2

中学校卒業時からずっと、受験勉強を最優先にしてきたその努力は並大抵のものではなかっただろうと想像しています。特に「旧帝大に合格しなければ私に生きている価値はない」という考えがどれほどあなたを追い込んできたか、それゆえにあらゆる場面で何かしら犠牲や我慢を自分に強いてきたこともあるのではないかと感じました。
まだまだこの社会は学歴社会であることは確かなことかもしれません。私自身は大学を出ておらず高卒ですぐに就職をしましたが、中学校は地元では進学校と言われる学校だったのでその頃の同級生たちはそこそこレベルの高い高校を出たあと、良い大学を出て良いところに就職したりスキルを活かして起業をしたりという人が多く、そのような話を身近で聞いたり目に入ってくると、自分の価値について揺さぶられる(コンプレックスを刺激される?)ような感覚になりました。また、大学に行かなかったこと含めて実際バカにされたこともあるため、あなたが合格できなければ人生終わったと思ってしまうほど名門大を目指している背景や理由は詳しく書かれていないので分からないですが、それくらいの気持ちになってしまうのも分からなくはないなと思ってしまいました。
確かにこの先の環境によっては高学歴であるほど評価も高くなったり優遇されるなんてこともあるのだと思います。ただ、一つ言えるのは、学歴自体が人の価値を決めるものではないですし、どこの大学に行こうとあなたの価値自体がそれによって変わることはないということです。大学受験は人生の大切な一つのステップかもしれませんが、それが人生のすべてを決めるものではないですし、あなたが今まで頑張ってきたその努力は例えどの大学に行こうと、その先の道にも、必ずあなたの人生の力になると私は思います。私も人生の経験や選択肢の数を広げるという意味では大学に行っていれば・・・と思うこともありますが、今の自分に後悔は特にないですし人は本気で学ぼうと思えばいつでも学べるものだと思っています。
今あなたが感じている「人を偏差値でしか見られない自分が嫌だ」という気持ちは、すでに偏差値だけでは人の本当の価値が測れないことを理解しているという証ではないでしょうか。あなたの目指す先や志を否定するつもりはないですし、自分の目標のために頑張ろうとしているあなたを支持したい気持ちのほうが強いですが、呼吸が苦しくなったりお腹が痛くなったりと体調に支障をきたしているのは事実でそれは心がこれ以上頑張れないというSOSでもあるのかなと私は感じています。自分を休ませることも受験に向けた大切な準備の一部だとも思うので、突き進むだけではなく時に立ち止まって自身の心に耳を傾けてほしいと思っています。
また苦しくなったとき、迷いが生じたときなどはこうして書いてくれたように思いや考えをまた死にトリに届けてもらって一緒に考えたいなと思いました。良ければいつでも参加してください。経験談の投稿ありがとうございました。

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