私はどこにでもいる普通の女子高生。ゲームやお絵かき、そして小説の制作など、割と多趣味な人間だ。そんな私には”推し”がいる。それは、「二人組の女性ユニット」だ。2019年にデビューを果たし、そこからお互いのソロ曲やデュエット曲をたくさん生み出し、アルバムやライブも行っている。なぜこの二人を好きになったのかというと、幼い頃から学校でのいじめや嫌なことが重なって、辛い思いをしていた私を救ってくれたからだ。二人の歌唱力はもちろん、二人でしか生み出せない演出の数々に私は心惹かれ、中学の頃からずっと推してきた。今流行りの「推し活」というやつである。四六時中、二人のことばかり想っていた。SNSのチェックも欠かせなかった。ファンアートもたくさん描いた。二人が仲良く幸せに音楽をやっている姿を見ると、私もとても幸せを感じることができた。そんなわけで、私はその二人を崇めながら充実した毎日を過ごしていた。だがしかしー。そんな幸せは、長くは続かなかった…。2024年 4月13日の夜に、突然悲劇は起こった。その日も私は、いつも通り二人の曲を聴いて推し活を楽しんでいた。そんな時、私のスマホの通知が鳴った。二人の女性ユニットのSNSが更新されたのだ。「何だろう?新曲発表かな?」そうワクワクしながら、私は通知の内容を確認した。だがそこには、思いも寄らない内容が書かれていた。その内容とは「二人の女性ユニットのうちの一人(相方)が、本日付けでグループを脱退することとなった。」というものだった。「え…嘘でしょ………??」突然の衝撃的なお知らせに、私は頭が真っ白になり言葉を失った。しかもその人の脱退理由の記載も、最後のメッセージすらもなかった。「なぜ…なぜ私に何も言わずに去っていったの?」私は心の中でそう叫んだ。ただ、ユニット自体がなくなるわけではなかった。今後は残った一人の女性が中心となって活動するらしい。今思えば、それが不幸中の幸いだったのかもしれない。だが、私は人生で初めて大切な人を失った。人生で一番絶望した。とてつもなく大きな喪失感が私を襲った。こんなにも虚しい気持ちはこれが初めてだった。そして数分が経った頃、ある一つの動画があった。それは「脱退した一人の女性の最初のソロ曲を、残った一人の女性がカバーしたもの」だった。透き通った優しい歌声と切なくアレンジされたメロディー。これを聴いた私は涙が溢れた。当時の現実と歌詞が一致して、悲しさが一気に込み上げてきた。しかしそれでも、こんな形になってもユニットに残った一人の女性は、一人で頑張ることを決意したのだ。それなら今の私に残された道は、ただ一つ。「二人のそれぞれの道を信じること」だ。たとえバラバラになっても、あの二人が今まで奏でてきた音楽は消えない。そして私が二人と過ごした日々も、二人に救われた事実も嘘にならない。ずっと変わらない。だから私は、これからも二人を応援すると決めた。たとえこの先どんな事があっても、私は絶対に負けない。人生を諦めたりなんかしない。信じるんだ、二人の幸せを。そしてまたいつか、脱退したあの人と会える日が来ることを!!私はこれからも前に進んでいく。だって、「人生はずっと真っ暗なんてことなどないから。」あの二人が、私にそう教えてくれたから。だから…私はこれからも、二人のことを愛したい!!最後に脱退したあの人に、別れの言葉を告げたいと思う。
「あなたと出会えて、本当に良かった。私はとっても幸せでした。僕らまた巡り会えるから。その日が来るまでどうかお元気で、さようなら。」
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
またいつか、巡り会えるかな。
感想2
あなたの「推し」への思いが強く伝わってくる文章でした。あなたの人生の中で、その二人のことを知り、追いかけていた経験はとても大切なものだったのだろうということを感じながら読みました。つらいことが重なった時期に推しやその楽曲などは、あなたを支える大きな柱だったのだと思いますし、だからこそ、あなたの糧になっていたものが急に、しかも理由もわからないまま失われてしまったときのショックはとても大きかっただろうと思います。一人は今後も残って活動を続けるといっても、あなたにとっての推しは二人だからこそという気持ちもあったのかなと想像しました。
私は芸能人などの推しがいたことがないので想像でしかないですが、高校生の時、夢中になっていたアニメの主人公が最終回で死んで、翌日ショックが大きすぎて授業に出られなかったことを思い出しました。(同じにしていいかわからないですが、当時の私にとってはとてもとてもショックなことでした…)
脱退を知り、絶望感の中見た動画は、二人のつながりとか、絆みたいなものを感じさせるようなものだったのかなぁ、と思いました。どんな歌詞だったんだろう、どんな声だったんだろう…となんだか気になっています。あなたの文章を読んでいるうちに、その推しのことを知りたい気持ちになっている自分がいて、あなたの熱意や思いの表現の強さの力を感じています。「私が二人と過ごした日々も、二人に救われた事実も嘘にならない」という言葉はもっともだと思いました。それはこの文章自体も証明しているような気がします。
あなたの生活はこれから先も続いていくでしょうし、その二人にもきっとさまざまな未来が待っていると思います。脱退の発表の日から数ヶ月が経ち、あなたの心はまだざわつくこともあるのかもしれないし、少し落ち着いているかもしれません。もしかすると、また今後も、あなたにとってのその二人や、二人の楽曲の意味を振り返るようなこともあるかもしれません。あなたの現在地点の実感を送ってくれてありがとうございました。
感想1
投稿者さんが絶望から立ち上がっていく姿を見させていただいたように感じ、胸がいっぱいになっています…。私の中に込み上げてきたこの感情はなんなのか、分からないまま、ただとにかくこの胸いっぱいの気持ちを伝えたいと思い、PCに向かっています。
心の支えとなっていた大切な存在を失う経験…私も「推し」という存在で経験したことがありました。あまりにショックが大きくて当時の記憶が曖昧なところがありますが、ショックを受けている自分に気付かないようにして、抱えている辛さを面白おかしく表現しようとしてしまったように思います。
脱退の発表があり、動画がアップされ、投稿者さんが二人をこれからも応援すると決めるまで、数日単位の期間は無かったのではないかと捉えています。おそらく数時間とか、決して長くない期間の中で、これだけの気付きを得て決意を固めることは、私には出来ないことだったと感じています。
確かに支えられ、救われた感覚を持ち、そういった存在を得て応援できたことへの誇りや自信のようなものがあるから、投稿者さん自身がこれからも前を向いて進んでいく原動力になったのではないかと思いました。また、そういったものがあるからこそ、時間ではなく気持ちを費やすことで、意思を固められたのではないかと思います。
「推し」という存在を通して得られたもの、気付いたこと、ここには書ききれないほどたくさんあるのでしょうね…。推し方は人それぞれで、「こうあるべき」というものはないと思いますが、私には出来なかった推し方をされている投稿者さんが、なんだかキラキラしているように見えて、胸がいっぱいになっているのかもしれないと感じています。
私はまだ、推しに別れの言葉を告げることができていません。今日この後久しぶりに推しのSNSを開き、別れの言葉を考えてみようと思います。
どこかで推しへの別れを告げ、思い出を語り合えるような機会があると良いな…と思います。そのような機会があったら、ここに書ききれなかった投稿者さんの推しへの思いも聞いてみたいと思いました。
経験談の投稿をありがとうございました。