物心ついた頃から、私は父親の要望を満たすためだけに生かされていた。
父親は教育パパっていうのかな?とにかく子供にああさせようこうさせようって欲求が異様に強い人で、家での勉強も学校生活も友達との付き合いも、私と双子の妹の全部をコントロールしようとしていた。
父親は塾が大嫌いで、子である私と妹を塾へ行かせずに独学での勉強を強要してきた。
そのくせ私と妹の成績が悪いと言っては叱り、しゃべる声がうるさいと言っては叩き、愛想がないと言っては殴っていた。
父親の暴力を母は必死になって止めようとしていたけれど、父親は聞く耳を持たなかった。
このとき私は子供心に「父親の言うことを聞かないとこのまま殺される」って思って、できるだけ父親の機嫌を損ねないように、いい子のふりをして生きるようになった。
私と妹が中学3年生になり、高校受験が視野に入ってきたとき、父親が「高校には行かないで家で勉強して大学に行け。もし高校に行くなら一切援助はしない。」と言い出した。
当然、母はその強要に猛反対した。
けれど私も妹も父親の機嫌を損ねて殺されることが怖くて、結局父親の思惑通り、高校には行かずに勉強して大学を目指すことを選んだ。
高校に行かない3年間は本当に地獄だった。
うまくいかない勉強に、四六時中の監視、牢獄みたいに自由のない生活。
時々母が父親のいない隙を見て私たちを外に連れ出してくれたけれど、それもすぐに父親にバレた。
そんな無理矢理な勉強が続くわけもなく、私たちの成績はみるみるうちに落ちていった。
父親の機嫌を損ねないように必死になって貼り付けていたいい子の仮面は、あっという間に剥がれ落ちた。
私たちが父親を騙していたことを知り、父親は私たちを嘘つきの卑怯者だと罵った。
今まで必死になって築いてきた信用は全部崩れ落ちた。
そこからは父親に言われた通りに医師になるために受験に挑んだけれど、当たり前のように全部落ちた。
今思えば当然の結果だと思う。
私たちは勉強してきた知識はあっても、3年間もの間まともに人と接していなかったからコミュニケーション能力なんかなかった。
だから面接がある受験では必ず落ちた。
結局父親は私たちに完全に失望し、もう勝手にしろと言わんばかりに私たちに興味を示さなくなった。
最終的に私と妹はそれぞれ別の私立大学にギリギリ入学し、大学生活と奨学金返済のためのアルバイトで多忙な日々を送るようになった。
そして2022年の3月、私はうつ病を発症して毎日のようにひどい頭痛と倦怠感とめまい、希死念慮に駆られるようになった。
多分だけれど、限界が来たんだと思う。
父親から受けた洗脳に近い教育。
自由のない子供時代。
いい子の仮面を貼り付けて生きた日々。
その仮面が剥がれて露見した、醜い自分。
父親に見放された絶望。
生きることに対する失望。
幸せも喜びもない生活に、身も心も疲れ果てていたんだ。
もう生きることに対する希望なんかなくて、生まれてきたことそのものに絶望して、死ぬことでしかこの苦しみから逃れられないと思った。
初めから私の存在そのものが間違っていたんだとすら思う。
死にたい。
でもいざ本気で死のうとしたら、警察沙汰になって周囲にさんざん迷惑かけて、家族を悲しませることしかできなかった。
死んだら家族に迷惑がかかるかもしれないし、お葬式とかお金かかるかもしれない。
そういう余計なことばかり考えてしまって、死ねない。
今日もまた、辛くて苦しくて救いのない今日を生きるしかないんだ。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
生まれてこなければよかった
感想2
投稿読ませてもらいました。
私の想像が及ばないほどの支配を受けてきたこれまでだったんだと思います。殺されるかもしれないと息をひそめながら自分らしさも消し去って暮らしてきた子ども時代のあなたを想像すると、表現が難しいですが、いたたまれない気持ちになります。無秩序な支配といいますか…安心していた時期や瞬間はあったのでしょうか。それでもお母さんは味方だったのかな…と思いました。投稿を読んだだけの私が「あなたが受けてきたことは理不尽なことだ!」というのもちょっと違う感じがしました。その言葉はあなたにしか言えないくらいの経験をしてきていると私は思ったからです。
あなたの人生のはずなのに、特に教育に関することは父の意思で選び、決められてきたのだと思います。あなたが経験談の中でも書いていますが、自由なんかない子ども時代だったんですね。自由であること…人間にとってもっとも大切なことだと言えます。考え方、意思、生き方、興味、行動、振るまい…それが社会的に認められる範囲であれば人は自由であるはずです。(いや、自分の頭の中だけなら社会的な範囲さえもないですね…何を思ったって自由なはずです)子ども時代なら余計に自由と安心があって欲しいです。安心して学んだり、わがままを言ったり、うまくいかない経験をしたり、うまくいって喜んだり…あなたの幼少期にはそれらが奪い取られていたのだと思います。
経験談の後半に「多分限界が来たんだと思う」と書いてありました。わたしもそう思いました。さらにその後に続く言葉の数々は見事にあなた自身を客観的に表現したものだと思い、何度も読み返しました。経験談を読んでいる方の中に同じような経験をした方がいれば「それそれ…」と頷くでしょう。それほど自分に起こったことや今の状況を言葉にされていて、あなたの地力さえ感じました。
これまでの経験を抱えて生きることについて、自分の中で折り合いをつけて受けとめて1日を生きる、そしてまた折り合いをつけて1日を生きる・・・そんなあなたの姿が私の中に浮かんできました。(そうせざるを得ないからそうしている…ということも含めて)
死にトリは色々な価値観や経験を持ち寄って社会参加していくサイトです。気力があるときにあなたの言葉をもっと死にトリに届けてほしいと思いました。
感想1
子どもながらに「言うことを聞かないと殺される」と思い至るほどの支配を想像し、陳腐な表現かもしれませんが胸が苦しくなるような感覚になりました。
また、「今まで必死になって築いてきた信用は全部崩れ落ちた。」「その仮面が剥がれて露見した、醜い自分。」といった言葉の端々から、父親から受けた仕打ちを客観的に眺めながらも「父親の罪=自分自身の罪」という意識が深く根をはっているようにも私は感じました。
私はあなたの投稿を読んで、あなたや妹さんは完全に被害者であると感じましたが、被害と加害の境界線を歪め、何も悪くないのに被害者側が罪の意識を背負わされてしまう「洗脳」や「支配」というものの怖さを改めて考えさせられています。
私自身も過干渉な親に育てられ、未だに被害と加害の境界線の曖昧さに苦しむこともあります。自分を苦しめてきた存在に怒りや反発の感情を向けることができず、自分自身を責めたり我慢したりするしかない感覚とも葛藤することがあります。
死にたくなるほど苦しい中にあっても「家族への迷惑や葬式のお金」について考えてしまう、自分の感情を優先出来ない感じも安易に言いたくはないのですが「分かる分かる・・・!」と心の中で頷いていました。
あなたがこれまで生き抜いてきた環境はタイトルにある「生まれてこなければよかった」と思うには十分すぎると思いました。自身を脅かす父親から解放(興味を持たれなくなってしまったという感覚ではあるかもですが)されたとしても、これまで蓄積されたものはなくなることはないと思いますし、これから自分の人生を取り戻す(私は勝手ながらも少しずつでも、あなたがあなたの人生を取り戻せたらな・・・とどうしても願ってしまいます)のにもパワーレス状態になっていると想像しています。そんな中でもこうして死にトリと繋がってくれたこと、私は嬉しく思いますし、せめてあなたの中でありのままのあなたでいても大丈夫な場の一つとして死にトリは在り続けられたらなと思いました。また死にトリが必要に感じられたらいつでもあなたの声を届けてほしいですし、一緒に考えたいと感じました。経験談の投稿ありがとうございました。