経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

でも、わからなくてもいい

文章書くの下手です。すみません。今度中学生になる小学六年生女子です。同じ方いるかな?死にたいって、消えたいって検索しまくって色々なサイトを見ている内にこの「死にトリ」に辿り着きました。このサイトにはいつも感謝してます。死にたいって思ったのは三年生からで、毒みたいな親との関係も、友達なのかよくわからない友達との関係も、何もかもうまくいかず、毎日一人で泣いていました。四年生になったらちゃんと笑えるんじゃないか、五年生になれば報われるんじゃないか、そう考えているうちに六年生になりました。六年生後半になると卒業に向けての授業が多くなって、卒業文集を書くことになったんです。内容が自由だったので最初は将来の夢だと昔思っていた(今はあまりなりたくない)看護師について書こうとしました。でも全然書けなくて、運動会のことにしよう、陸上記録会のことにしよう、習い事のことにしよう、中学校での目標のことにしよう、そうやって何度も書き直しました。でも手が動かなくて。
「私が書きたいのは本当にこんなこと?」って何回も思いました。 
「違う、こんなのが書きたいわけじゃない。本当は何が書きたいかわかってる。でもそれを書けば、周りから何を言われるかわからない。内容がよくないから、、責められて、怒られれば、今度こそ死んじゃうかもしれない…」
「でもそれが私の一番書きたいことなんでしょ?」
そうやってずっと自問自答してました。
それで文集の特別授業がある度に体調が悪くなって保健室に行きまくって書けず、先生が放任主義?(文集が終わっているか確かめようとしない)なのもあって締め切り1日前に書けたのはタイトルと名前だけでした。で、案の定最終日の夜に大パニックになりました。親からの「まだ終わってないの?」という言葉を言われるのが物凄く怖くて2階に原稿を持ってたてこもりました。三時間くらい泣いてて「なんとかしなくちゃ」って思ってやっと描き始めました。内容は…
死にたい私のこれまでの人生のことでした。「私のこの六年間はとても楽しかったといったらそれはきっと嘘になると思います。」から始まって思いつく限り辛かったこと、苦しかったことをこれでもかと書きました。全然書けなかったはずの卒業文集はこの時だけは頭の中に文章が次々と浮かんですらすら書けました。一種の才能なんじゃないかと思いました。多分これまで書いた作文の中で一番上手く書けたと思います。それを次の日提出しました。先生は私のつくり笑顔ににいち早く気づいていて、前に「辛くなったら、何でも相談してもいいんだよ、いつも言ってるけど、大人をうまく使って。耐えきれなくなったら必ず言ってね。」(さっきは悪い言い方をしてしまいましたが本当にいい先生です)と言われていたのでなんか本当、躊躇うことなく出せました。その後何日かたち、文集の最後の清書の授業の時に先生に個室に呼ばれました。先生は「ずっと辛かったのに、気づいてあげられなくて本当にごめん。」と言って先生は泣きながら話を聞いてくれました。私も泣きながら話をしました。
親に死にたいと言った時、「あなたは病気じゃないから大丈夫」、と言われた時の話をして先生に「雪さん(偽名)はそう言われた時どう思った?」と聞かれて泣きながら「わからないんです」と答えたときに先生は優しく、

「そっか、でも僕はわからなくてもいいと思うんだ。それが雪さんらしさだと僕は思うんだ。」

今まで親に全てを否定されてきた私にとってその言葉は本当に救いでした。私の欲しい言葉をこの人は言ってくれる、それだけで空っぽだった心はいっぱいになりました。ぼろぼろ涙が出てきました。そして「この文に僕はなにか言うつもりはない。絶対にこの内容で出そう。」と言ってそのあと何度か親に殺される勢いでこんな内容駄目だと怒られました(貴方のことを思って言ってるのよと言われましたがだったらそんなに怒らないはずだと思いました)が、私は今までのように言いなりになるつもりはなかったので、貴方(親)は今まで私にこんだけ酷いことをしたの、気づいてなかったでしょ。貴方が私の人生を狂わせたみたいな話を一時間して黙らせました。そして少し修正があったものの、殆ど内容を変えずに文集をやっと完成させました。

そして3ヶ月ほどたった今、
私の死にたい気持ちは変わっていません。なんなら毎日泣いています。正直辛いです。でも、この卒業文集の件で先生に言われたことを思い出す度に「生きなくちゃ」と思えるようになりました。先生は私の人生を変えてくれた人の一人です。親も私が抗うつ剤を飲んで病まなくなる(実際は裏で病んでる)のを見ると途端にニコニコしだし、怒らなくなりましたが、別になんかもうどうでもいいです。十八歳にもなれば家を出ていけるし、二十歳を過ぎても死にたかったら、死ぬつもりなので。

私の話を聞いてくれて有難うございます。これを読んでいる貴方が少しでも楽になるのを願っています。では、また来年。

感想1

死にたい、消えたい気持ちをずっと抱えながら時に本当の自分を押し殺しながらもそれでも、自分なりに折り合いをつけて前に進もうとするパワーを文章から私は感じました。
卒業文集を完成させるにあたって、将来の夢については文章を書けないでいたけれど死にたいと思っているこれまでの自分については頭の中に次々と文章が浮かんできたという部分が印象的で、きっとあなたは自分の思いに嘘はつけない(つきたくない)ところもあるのかなと想像していました。すらすら書くことができたということはそれだけ普段思っていることはたくさんあるということなのだと感じますし、そしてその思いを綴った文集を親には否定されてしまったかもしれませんが、ありのままを受け止めてくれる大人(先生)の存在が一人でもいて良かったなと素直に私は思いました。
「今まで親に全てを否定されてきた私にとってその言葉は本当に救いでした。」という言葉からも感じるように、先生がかけてくれた言葉や気持ちに寄り添ってくれる大人がいるんだと分かった経験はあなたにとって大きな収穫だと思いますし、それによって親にこれまで感じてきた自分の思いを訴えることができたことに繋がっているのだろうと・・・ただそれ以上に私はあなたの中にある自力の強さを感じました。一方でその強さにあなた自身が押しつぶされてしまわないように、あなたがあなたらしくいられる場の一つとして死にトリは在り続けたいと勝手ながら私は思っています。
これからも親との関係性で悩んだり、死にたい気持ちはそう簡単に拭うことはできないかもしれませんが、また良ければいつでも死にトリを活用してほしいです。最後に書かれているあなたの周囲を思いやる優しさをどうかあなた自身にも向けてほしいなと思いました。経験談の投稿ありがとうございました。

感想2

卒業文集をめぐる物語を書いてくれてありがとうございます。文集に書いた作文もこれまでで一番よく書けたとのことでしたが、今回の経験談は自分で書いてみてどんな仕上がりかなと聞きたくなりました。自分の気持ちを素直に表現できた文章はいつでも最高だと私は思っています。そして、自分だけで抱えていた気持ちを作文という形で表現できたことをよかったなぁと思いました。そして、それを後押ししてくれた先生にも拍手を送りたくなりました。でも、それ以前にあなた自身が迷いながらも書き上げたという決意と行動に拍手を送りたいです。
ひょっとしたら、先生ならわかってくれるかもしれないと思う気持ち(直感みたいなもの)もあったのかもと思いました。大人は一人で何でもできるようになれとか、耐えて頑張れみたいなことをいうかもしれません。でも、私はどんなに力がありそうで、立派に自立しているように見える人でも、人は本当に無力で、一人では何もできないちっぽけな存在で、いつも誰かにお世話になったり、つながったりして、協力し合って何とか生きていると思っているのです。協力し合うことの大切さをあなたと先生の関わり合いで再確認しています。
あなたはこの春、中学生になる年齢でまだ子どもですが、自分の意思と考えと力を持っていると感じました。(これはどんな人でも持っているものだと私は思っています)そして、それを発揮して、生きて、育ち、社会の一員として参加する権利があります。もう少し言うと、18歳になる前でも、自分の気持ちを表明して、親元以外で暮らす選択をすることもできると思っています。そんなに多い選択肢ではないですし、それを選ぶことによって別の苦労もあるかもしれませんが、少なくとも自分の人生について自分の意見を伝えることができます。
そして、すでに卒業文集に気持ちを書き、先生に相談し、そして死にトリに経験談を送ってくれたことですでにあなたは自分の意思を伝え、参加もしているとも言えます。その力をこれからも自分のために使ってもらいたいと思いました。そのことで、もっともっと力を蓄えて、今よりもいろいろな人たちと笑いあって過ごせる社会の一員として、自分たちのできることをやっていく仲間になりたいと思っています。
よかったら、また参加してください。いつでも待っています。

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