経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分がひどく気持ち悪い

生きているのがつらい。
私は平凡な家庭に生まれた。両親もまだ健在だし、とても仲が良い。決して裕福ではなかったけれど、大学も行かしてもらった。
自分は恵まれていると思う。親に愛され、友達も多く、とある競技では世界一位も取り、容姿も褒められる方が多いし、いわゆる有名大学にも進学し、専門職で就職した。職場の人間関係も良好だ。

私の人生では2つの大きなしこりがある。
1つは、世界一にもなったその競技をする上で絶対的に必要な部分を壊してしまった。もう二度と、現役では活躍できないほどに。二度も手術をしたが元には戻らず、一度現役は引退した。それでも好きだと言う気持ちは変わらず再び競技を始めたが、指導者に他のメンバーより下に見られているのを痛感している。こんなはずじゃなかった。

また私の壊している部分は、日常生活で普通の人と接している中でも目立つ。何も知らず””大丈夫ですか?””と声をかけてくる人に対して、それが善意だとわかっていても、本当に触れないでほしい。その度に胸が痛むから。

2つ目に、私は一度結婚をした。大好きで大好きでたまらなかった彼。でも、結婚をした瞬間まるで別人のようだった。怖い顔をして1人で自分の部屋に閉じこもる彼。一緒に住んでいるのに何も心の通わないただのルームメイト。
それが続くと、精神的に参ってしまって鬱状態になった。精神科に行った。後に、彼は高機能アスペルガーだとわかった。そして私はそれによるカサンドラだった。
好きだった彼と全く同じ姿の、だけれど性格の違う別人と暮らす日々。あまりの苦しさに寂しさを訴えると、逆ギレした彼が離婚を切り出した。そこから本当に色々あって、苦しすぎて自殺未遂もしたが死ねず、最終的には離婚した。今でも街中で彼と似た容姿の人を見ると汗と動悸で頭が真っ白になる。

あれから7年が経った。私は今も、どうやらあの日から動けていないらしい。

幸い私のことを好いてくれる人は何人かいたが、誰のことも好きになれない。もう私は誰かを愛することはできないのではと思った。
今、あれ以来初めて少しだけ好きかもしれないと思える人ができた。前に進めたと思った。だけど、またあの人のように結婚した途端に変わるかもしれない。連絡が数日帰ってこないだけで気が気じゃないくらいに嫌われてないか心配になる。遊ばれているんじゃないか。こんな束縛みたいな気持ちは初めてで、自分で自分がひどく気持ち悪い。進めたと思ったのに、むしろ後退している気がする。

好きな人以外に目を向けたくて、自分の好きなことは何かを考えると結局競技に辿り着いて、でも壊れたこの体では競技に勝てなくて。
自分の誇りはその競技では誰にも負けないことだったのに、誇りも自己肯定感も、誰かに心から愛されるということも、もう何も持っていない。

何もない普段の生活の中でさえ、消えたいと言う気持ちが常にある。もはや理由さえわからない。

苦しい。消えたい。
そして本当に自分が気持ち悪い。
誰のことも信用できなくなった私が、心穏やかに生きていくことは叶わないのでしょうか。

感想1

「自分がひどく気持ち悪い」その感覚はいったいどこからくるんだろう、と思いを巡らせながら読ませていただきました。
私の勝手な予想にはなりますが、その違和感のようなものは、周囲の環境がどうあれ、自分で自分を許容できないという感覚の揺るがなさなのかなと想像しました。客観的に見てどれだけ恵まれていても、現状に何かわかりやすい課題・被害がなくても、あなたが望む「自分を肯定するために必要なもの」がどうしても手に入らなくて、生活自体の穏やかさと自分の実感や生きやすさが比例していないような…そんな状態のイメージです。
世界一になるくらい打ち込んだ競技が満足にできなくなったこと、心から好いた人の豹変は、私が想像する以上に、あなたの感覚を根底から揺るがし、あなた自身に浸食したのだと思います。またもしかすると、経験談から知ることはできない・自覚もあまりない範囲で、様々な経験や感情が積みあがっているところに、2つの経験が決定打となっただけなのかもしれません。あなたから見たあなたはどんな人なのか、もう少し一緒に話してみたくなりました。投稿ありがとうございました。

感想2

興味深く読みました。積み上げられてきたものや、当たり前にあったもの、そして、自分の思い描いていたある種の理想が崩れていった状況に対して、あなたの心や理解がついていけない状況なのだろうかと感じながら読みました。私も若いころに熱心に励んでいた競技があり、将来を期待されていた時期に大きなけがをしたことで、突如として選手生命が途絶えた経験をしました。それから何十年もたち、いろいろな大変なこともありましたが、その時の経験は自分にとっては唯一明確に感じた挫折だったと思っています。時々、あの時ケガをしなかったら人生が変わっていただろう、戻ってみたいと思うこともあります。今は苦しい気持ちもないですし、栄光のようなものを取り戻したいわけでもないのに、こうして思い出すことが不思議でしたが、あなたの経験談を読んで自分の少なからず今の自分を作ってくれたアイデンティティの一部だったり、本当に好きで、夢中でやっていたからなのかもしれないと気づきました。その後、私は実にいろいろな生きかたや背景の人たちと出会い、この社会の現実をたくさん知るうちに、その挫折の意味やその時に感じたショックの背景などを理解できるようになり、それを含めて自分の一部になったように感じています。
自分語りが多くなってしまって、すみません。あなたの経験談を読み、自分を支えてきた前提が崩れて、新たな何かを積み上げるプロセスなのではないかと感じています。積み上げる力はだれしも持っていると私は信じています。経験談で書いてくれたような自分の気持ちをぜひ、これからも表現してもらいたいと思いましたし、今まで見たことのないことを見るのもおススメです。その先に何かが見えてくるように私は感じています。

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