怠慢で、それでも快楽に弱く、愛され願望が強く、しかし人間嫌い。どうしてこんなひねくれた人格に育ったのか、遡ってみると色々な要因があったように思う。
まずは両親の不仲。父は母の首を絞め5階から突き落とそうとしたり、母のヒステリーは毎日のように起きた。母は父に冷たい言葉を浴びせ、無視をしたりした。大人に事情はあれど、子供にとっては何で2人は結婚したのに仲が悪いのか分からなかった。母のヒスは私にも向かった。思い通りにいかないと死ね、キモイなどと言い、テストの点数が悪い時は無視をした。それから私の腹を息出来なくなるまで踏んだ。その後母は、ころりと忘れて「ホットケーキ食べる?」と私を甘やかすのだった……。
私は大人を信用出来なかった。中学校の頃の職業体験やバイト先でもバカにされたり、あの子は使えないと言われているようだった。だから私は死にたかった。死んでもいいのに、親の為に金を稼がなくちゃならない。だから風俗で働くことになった。風俗で働いた時は、自分を演じていた。すると生きてる感覚が湧いてきたのだ。私は愛されてる、体を通じてそう言い聞かせた。実際は違うとも知らずに。
そして、そこで出会った客に養ってもらうことになって、仕事を辞めた後は創作活動を行っていた。けれどやっぱり他人が怖く、同棲している男も心から信用出来ない。また私は孤独に逆戻り。私は愛を熱望したけれど、その愛はどこにもない。明確には、私がそれを受け取る皿がないことに気づく。正直に生きたかっただけ。でも神様は正直者にはとても厳しいのだ。今はパニック発作も発症し、自殺することも出来ずに亡霊のように生きている。
感想1
最初にご自身への厳しい評価が並んでいましたが、私が経験談を読んで浮かんできたのは、これまで生きてきたことへの労いの気持ちと過酷な環境下でも自らを奮い立たせたり、厳しく律する姿です。子どもは守られ、育まれる存在としてあるはずが、暴力を向けられたり、存在否定されたり、必要なケアを受けられないことは、あなたの心や体の成長にどれだけの負担やダメージとなったことかと想像しています。だから、大人を信用できないのは当たり前のことだと思いました。ただ、信用はしていなくても、生きる術として人を観察し、人をうまく使いながらここまで生きてきたのだろうと思っています。
最後に書いてくれた「正直に生きたかっただけ」の一文がリアリティに響きました。本当に正直に生きてきたのだろうと受け止めました。そして、神様が正直者にとても厳しいという言葉に歯がゆさと悔しさを感じています。私は本当は神様なんていないと思いますし、あなたが表現する神様はこの社会だと思うからです。
愛される、愛を熱望との表現がありますが、その「愛」とはどのようなものなのか考えています。おそらく、何か特別なことではなく、自分のことをそのまま受け入れられること、誰かを信用することなど、そういうイメージなのだろうかと想像しています。愛を受け取る皿がないことに気づいたとありましたが、私には自らを受け止めようとする皿の存在を感じました。自分を必死に守ろうと、受け止めようとして正直に生きてきたということは、自分自身の存在を認めて引き受けようとする証のように感じています。そうはいっても、孤独は苦しいでしょうし、人の力を奪っていくと私は思っています。こうして死にトリにつながってくれたので、あなたは一人ではありません。ささやかなつながりかもしれませんが、確かにつながって、あなたの存在を受け止めたいと思います。
これからもよかったら死にトリに来てください。