経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分の価値がわからない

私は今大学3年生です。大学2年の途中ぐらいから自分が生きている価値がわからなくなっています。私は人前で声を発するのが苦手で、三人以上のグループで会話をするとなると仲の良い•悪いに関わらず声が出なくなります。自分の言っていることが的外れのような気がして、、、自分以外の数人に自分を品定めされている気がして、、、心の中で思ったことがあっても言えないです。
でもまだ言いたいことがあるのならいいのですが、五人以上くらいの大人数になると言いたいことも見つからないです。一人一人の言っていることは分かるのですが、その話のつながりがよくわからなくなるというか、みんながなんの話をしているのかわからなくなるんです。頭の中はパニック状態だし、自分はなんの発言もしていないからこの場に自分がいる意味ないし、変にまわりに気を遣わせてしまうのも申し訳なくて、、だから頑張って一言は言おうと話し始めるけれど、自分が何を言おうとしているのか分からない、分かっていても言葉が追いつかなくて変な日本語になります。だから単語でくぎって話したり、途中で沈黙したり、、普通に文章で話せないです。
昔から自分は勉強ができるけど、その場で柔軟に対応することができないです。その日に予定が変わったり、急にやる事が決まると落ち着かなくて、絶対なにかミスをします。少し勉強ができるから、周りの人は”こいつ勉強だけしかできないんだな”と思うと思います。そう考えると、次からその人と会うのが申し訳なくてずっとおどおどしてて、自信ないから余計にやることに集中できなくてなんか上手くいかないです。こんなだから自分はどの集団に属しても下の立場というか、周りから気を遣ってもらって引っ張ってもらっています。決められたことしかできないし自分で考えて行動する力もないし、バイトで初めてやる仕事も上手くこなせないです。
発達障害なんじゃないかなとほとんど毎日思うし、もしそう診断されたらどれだけ心が楽になるのかなと思います。ほんとにこれまで自分よりもできない人を見た事がないです。良くないことだしレベルの低いことだけど下の人を見つけて安心したい気持ちが強いです。
本当なら自分も率先して発言して、周りの意見まとめたい。でも無理だしなんでこんな内気な性格になっちゃったのかな、
多分頭がパニックになるとかそんなの言い訳で、ただ頭の回転が遅いこと、自分軸がしっかりしてないからそもそも意見がないことはわかってます。頭が悪いんです。分かってるけれど、なんでこんな言葉がまとまらないのか、話し始めても話したい事に文章が追いつかないのか、ほんとにわからない。高校時代はずっと勉強しかしてこなくて、人と話してこなかったから、自分がこんなに上手く話せないなんて知りませんでした。過剰評価してた自分が恥ずかしいし消えたい
将来なりたい職業は決まってて、今それに向かって勉強してるけれど、仮に受かったとしてもこんな自分必要とされていないと思うし、そもそも受かる気が全くしないです。こんな辛い思いするならもうどっかに消えたい。自分という存在が生きてることがなんかほんとに申し訳ないです。家族は悲しむと思うけれど、自分がいなくても誰も困らないし、誰かの役に立ちたいと願うけれどその実力がないから、、、
こんなこと書いてる暇があるなら自分を高める事をすればいいし、嘆いても仕方ないのに、、誰かに自分が上手く話せないこと知って欲しいです。ずっとこれで合ってるのかなと思いながら話したり、集団の中で一人一言も話せない自分が嫌いです。ずっと傍観者で嫌です。
文章下手でごめんなさい。

感想1

あなたの集団に対する価値観というか、大人数になるとうまく話せない感覚や、でも話さずいたらどう思われるのか、話そうとしても変なことを言っていないか気になったり…と、私にもすごく似たような想いや感覚があり、思わず感想を書いています。
困っている状態の頭の中でのことが具体的で、とてもわかりやすく言語化されていることに驚きもあります。障害があるかないかについては、程度や困り具合によっては診断というものが付くこともあると思うので、一概には言えませんが、診断がつくとしてもつかないとしても、これ以上あなたが自分を高めるとか、無理に変えようと振る舞わなくても良いのではないかなと私は思いました。全体を読んで自分の意見よりも人の期待に応えようとしてしまいがちなのかなと思いました。それは優しかったり、批判されたくなかったり、もしかしたら今までの経験の背景が関係していることもあるのかもしれません。
私自身のことでいえば、学生時代の友人関係は本当に複数で過ごすのが苦手でした。変なことを言うといじられるんじゃないかなという不安が大きかったのかなと今では思います。複数で会うことが社会人になった今でこそ少し減っているのというのもありますが、不安も少し減り、でも基本少人数を好み、その場合も結局聞き役になることが多いです(そういう人と好んでいるのかもしれません)。聞くのが上手なのか、話すことが苦手なのか、これは捉え方にもよるかと思います。
そんなふうに、複数では話せなくとも1対1であれば話せるというのは、安心感が関係しているのかなと思いました。複数人の前で自分の意見を言うというのは思っている以上に緊張や不安も大きいと思います。人前で話すのが楽しい人もいれば、そうでない人もいるように。“傍観者”ではなく、“聞き役”と捉えても良いのかなと私は思っています。あなたの目指している職業が何かはわからないですが、自分の思いをこうして言語化する力があるので、実力がないなんてことはないのかな、と感じています。それでも集団で上手く話せない苦しさはとても伝わってきました。嫌いな自分を好きになる必要はないですが、これ以上自分を責めないであげてほしいなと思います。投稿ありがとうございました。

感想2

今の感じていることや困っていることを率直に書いてくれた印象を受けました。「頭がいい」ということを一つとっても色々な形があるなあと思わされたのですが、テストの点数がいいなど「勉強ができる」ということとコミュニケーション上の「周りの意見をまとめる」というのはどちらも違う意味での頭がいいとされることだったりするなあとあなたの文章から考えています。

人間が取り入れる情報には視覚や聴覚、嗅覚や味覚、触覚などの五感が代表とされますが、入ってくる情報の処理の得手不得手が人によって様々だと言います。視覚情報を処理するのが得意な人もいれば不得意な人もいて、耳に入ってきた情報を処理するのが得意な人もいれば不得意な人もいる・・・。何を食べても美味しい!という人は、もしかしたら味覚の処理が大雑把だったりもするのかもしれません。もしかしたら、あなたもそうした情報処理をするスピードが視覚情報と聴覚情報で違いがあるのかもしれないなとそんなことを考えました。

わたし自身も大人数での会話が苦手で、いつもお笑い芸人すげえ・・と思いながら生きているのですが、あなたが書いてくれた「頭の回転が遅い、自分軸がしっかりしていない」ということのほかに、それ以上に「情報の処理の仕方」の違いも大きく関係しているように思いました。

例えば、わたしはゲームセンターのようなおびただしい音がするところで普通の会話をしようとすると、色々な音が同じ音量で耳から入ってきてしまうので「人の声だけ」を情報としてキャッチすることが難しいばかりに「普通の会話をすること」自体も途端に難しくなったりします。そんなふうに入ってくる情報がキャパシティーオーバーすると、脳がセーブをかけるような感じで、情報をそもそも拒否したり、言いたい言葉も出てこなくなるような・・そんな感覚もあったりします。大人数での会話も表情から発言からものすごい情報量ですから、どこをキャッチしてどう処理するかは人によってずいぶん違うように思います。

社会に出ると教科書や黒板がなくなり、口頭での指示や享受が増えたりします。その中で、今までとは違う情報処理の仕方をしなければならないことで、「苦手」が問題として表面化する人も多いと聞きます。そもそも人それぞれの得意不得意があることを前提として、それを理解し人に合わせた学校や社会やコミュニティづくりをしていけば、問題にならないことが大半なのではないかなあ常々思います。

コミュニケーションに苦手を感じている友人が、「会話の流れに乗りたい」と切実に言っていたのを思い出しました。あなたの悩みと重なる部分を感じたり・・。もし視覚情報の処理が得意なら、板書したりしながら意見を取りまとめるのは上手かもしれないなあと、そんなことも考えました。

一覧へ戻る