経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
育てられないなら産むな/自業自得
生後半年で父親の暴力が原因で一家離散、”父方”の祖父母に育てられた私。
祖父母は終始父親の肩を持ちお金を貸していた(今も貸している)。
心から頼れる大人には出会えないまま成人。
自力で探し出し生後半年ぶりに母に会った。子供がいた、父にも子供が2人いる。
私のことを育てていない2人がそれぞれ別の人間と結婚し子供をもうけている。
半分血の繋がった一緒に暮らしたこともない妹弟が計3人いる。
じゃあ私を産むなよ。
成人して分かり合えるかと思ったが、遺伝子上の父親からは直接”死ね”と言われ、最後半年以来ぶりに会った産みの母親からも”鬱は甘え”と言われておしまい。
どれだけ自分の幼少期の辛さを言ったところで”今更?”と言われるだけ。
“育ての親がいるのに贅沢”
“もっと辛い人はたくさんいる”
ハイ、ソウデスネ。
両親と会って思ったがふたりの嫌な部分は私にもしっかり受け継がれている、というか濃縮されていてそれも嫌なところ。
愛着の形成に問題があるせいかとにかく人と関わりたくない、関わったとしても距離を間違えて踏み込みすぎて自己嫌悪から音信不通か、連絡が億劫になって音信不通か、ともかく人と継続的に関係を築くことができない。
いや、継続できないという特性は人付き合い以外にも当てはまるか……。
絵を描こうとした本を買ってやめた、音楽を作ろうとした楽器を買ってやめた、語学を勉強しようとした本を買ってやめた、資格を取ろうとした本を買ってやめた、写真を撮ろうとしたカメラを買ってやめた、とにかく買ったところで全て興味を失ってしまう。
継続した努力、達成感に対する喜びみたいなものを感じたことが一度もない何もかも中途半端で宙ぶらりん。
興味を失ってしまう、というのはもはや正しくない。
やろうとした対象が悉く何も身につける事のない自分を責める棘となっている。
今の私は漫画を読むことも小説を読むことも映画を見ることも音楽を聴くことも苦しい。全てが私の不出来を責めている。ただただ自分の不出来に苛まれている。
でもそれは自業自得だ。
努力もできず積み上げたものがない私が悪い。
自分の空虚さや劣等感に押しつぶされてしまいそう。でも他人を信用しきることが出来ないので精神科医もカウンセラーにも上手く自分を見せることが出来ない。
この逃げ癖を生まれる前に発揮できていたらな。
産まれることからも逃避できたのに。
……そんなこと言ってないで天涯孤独になっても良いからこの家系から逃げろよ、と書いていて自分でも思うが、それが出来ないからこそここまでどうしようもない人間になったとも言える。
最終的に自分が苦しんでいるのは自分のせい。
どれだけ産まれてきたく無かったとしても産まれてきてしまったのだから。
感想1
2度読ませてもらいました。
意識、無意識に関わらず、必死に自分の存在を確かめようとしてきたこれまでだったんじゃないかなと思います。少しだけ私もあなたと重なるような経験をしてきたので、理不尽な思いを何度も感じてきたのでは…と自分に重ね合わせて読んだところもあります。私の場合は、17歳になった頃に父親のこどもに出会いました。10年ぶりに会う父親に笑顔で「お前に弟が2人もいたんだぞ~」と知らない子を誇らしげに披露されて苦笑いしながら挨拶したのを覚えています。あなたの場合は分かり合えないだけではなくて否定までされたのですから、深く傷つけられて言葉がなかったのではないでしょうか。
これも愛着形成に関係するのかわかりませんが、私は母親にも父親にもあまりいい感情を抱いていないと思います。一方で繰り返し幼少期の一場面を思い出したり、母親に会うと自分の中で必要以上のイライラが生まれたりするのは何なんだろうと不思議に思うことがあります。
あなたが人間関係の境界に悩んだり、興味関心が継続しなかったりするのはどこか納得が行くような気がしました。愛着形成は人間の土台作りのようなものだと私は思っています。自分が尊重されたり、何かあったら支えられたり、その逆もありながら人間の中核が満たされて土台が作られていくようなイメージをもっています。
人との距離を適切に保つこと(他人軸よりは自分軸で特定の人と関係を保ち続けること)や興味を持ち続けて物事をやり続けるためにはそれを支える土台が必要です。
あなたが書いてくれたように愛着を形成する過程で傷つき体験があると、土台が不安定なことが多いと思うんです。その上で人との関係を築くことや趣味をすることは、楽しむというよりも何かを埋めようとするためにあるのでとっても疲れてしまう…そういう感じなのかもしれないと私は感じました(違ったらすみません)
あなたはこの文章の中で親をほとんど責めていませんね。今の自分の姿は自業自得なんだと自分を責める方がもしかしたら現状を飲み込みやすいのかもしれません。そしてそれはあなたが自分の人生に折り合いをつけてきた生き方のようにも思えます。でもあえて私はあなたの今は自業自得ではないと、あなたの代わりに思いたいです。少しずつでもいいので誰かの力を借りながらこの自分でもいいのかも?と思えるといいなって私は考えています。そういう意味でも、今回あなたが送ってくれた文章には、誰かにしんどさを伝えることで自分が自分を助けようとする自然な力を感じます。こうやって自分の気持ちをつづったり、誰かと対話を続けて行くうちにあなたの中にある土台をつくる力が発揮され始めるような気がしてなりません。
よかったらまたここに気持ちを伝えにきてくれたらと思います。書いては消してを繰り返したので、わかりにくい文章になっているかもしれませんが、あなたとつながることができたような気がしました。ありがとうございました。
感想2
読み終えて、あなたが自業自得なことがあったのだろうかと率直に思う私がいました。
小さい子どもは出来ることが限られているので補うように、周囲の大人に頼りながら色んな力を体得していきます。わからないことがあれば尋ねるし、納得できないことがあれば怒るし、困ったことがあれば言葉に出すなど、誰かを通して自分の気持ちを整えたり知っていったりそんな練習をしていくのだと思います。「心から頼れる大人に出会えないまま」というあなたは、心身の成長の全てを一人で担ってきたのではないでしょうか。何人もの大人の手ですることを、あなた自身が中心となりやってきたのですから、逃げる気力や頑張る力、奮起する気持ちに回すだけのエネルギーは残っていなかったような気がします。
家族を離散させるほどの暴力、それによって訪れた孤独。生活状況を一変させられた、全ての始まりである父親。そんな父親をかばうような祖父母には、複雑な気持ちを抱くのも自然なことに思います。知らぬ間にできた妹弟の存在によって、強い疑問や許せない心、憎しみや羨むような気持ちがあなたの腹から引っ張り出されてしまった。自分自身が傷つけられたということを素通りし、「両親と会って思ったがふたりの嫌な部分は私にもしっかり受け継がれている、というか濃縮されていてそれも嫌なところ。」と、自分を責めた。あなたが悪かったことは何も無い。怖い事や嫌いな食べ物が、ある日突然できたり好きになったりすることはあるでしょうか。慣れたり、試してみたりと段階を踏み経験をしてみて変化につながるような気がします。他人を信用することも同じだと思います。
こうだろうか、そうだろうかと周囲の気持ちを想像したり、自分の変化を期待してみたり。その都度折り合いをつけながらずっとやってきたあなたを想像します。あなたが幼かった日に抱えた胸のつまりを、学校や地域社会が気がつかず手当てができなかったことを謝りたいような気持ちです。心無い言葉をあなたに向けた両親から、あなたを取り戻して欲しいと精神科医やカウンセラーに耳打ちをしたいと思う私がいます。傷ついて痛んでいるあなたがいることを、ここで私は受け取りました。投稿、ありがとうございました。
感想1
2度読ませてもらいました。
意識、無意識に関わらず、必死に自分の存在を確かめようとしてきたこれまでだったんじゃないかなと思います。少しだけ私もあなたと重なるような経験をしてきたので、理不尽な思いを何度も感じてきたのでは…と自分に重ね合わせて読んだところもあります。私の場合は、17歳になった頃に父親のこどもに出会いました。10年ぶりに会う父親に笑顔で「お前に弟が2人もいたんだぞ~」と知らない子を誇らしげに披露されて苦笑いしながら挨拶したのを覚えています。あなたの場合は分かり合えないだけではなくて否定までされたのですから、深く傷つけられて言葉がなかったのではないでしょうか。
これも愛着形成に関係するのかわかりませんが、私は母親にも父親にもあまりいい感情を抱いていないと思います。一方で繰り返し幼少期の一場面を思い出したり、母親に会うと自分の中で必要以上のイライラが生まれたりするのは何なんだろうと不思議に思うことがあります。
あなたが人間関係の境界に悩んだり、興味関心が継続しなかったりするのはどこか納得が行くような気がしました。愛着形成は人間の土台作りのようなものだと私は思っています。自分が尊重されたり、何かあったら支えられたり、その逆もありながら人間の中核が満たされて土台が作られていくようなイメージをもっています。
人との距離を適切に保つこと(他人軸よりは自分軸で特定の人と関係を保ち続けること)や興味を持ち続けて物事をやり続けるためにはそれを支える土台が必要です。
あなたが書いてくれたように愛着を形成する過程で傷つき体験があると、土台が不安定なことが多いと思うんです。その上で人との関係を築くことや趣味をすることは、楽しむというよりも何かを埋めようとするためにあるのでとっても疲れてしまう…そういう感じなのかもしれないと私は感じました(違ったらすみません)
あなたはこの文章の中で親をほとんど責めていませんね。今の自分の姿は自業自得なんだと自分を責める方がもしかしたら現状を飲み込みやすいのかもしれません。そしてそれはあなたが自分の人生に折り合いをつけてきた生き方のようにも思えます。でもあえて私はあなたの今は自業自得ではないと、あなたの代わりに思いたいです。少しずつでもいいので誰かの力を借りながらこの自分でもいいのかも?と思えるといいなって私は考えています。そういう意味でも、今回あなたが送ってくれた文章には、誰かにしんどさを伝えることで自分が自分を助けようとする自然な力を感じます。こうやって自分の気持ちをつづったり、誰かと対話を続けて行くうちにあなたの中にある土台をつくる力が発揮され始めるような気がしてなりません。
よかったらまたここに気持ちを伝えにきてくれたらと思います。書いては消してを繰り返したので、わかりにくい文章になっているかもしれませんが、あなたとつながることができたような気がしました。ありがとうございました。