経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

どうせ滅びるのに

日々夢想している、ただ死にたいわけではない。何もやる気が起きなくなったわけでもない。まだまだこれからだと言われる年齢ではあるが、なぜか満たされてしまった感覚に陥る日々だ。後悔は3%しかないと思う。そう思えるばかりに日々身体は動かなくなる一方、頭の中を散歩をするように思想は巡る、そんな中に、「誰が頼んだかもわからん人生セット、君はそれを買ってるつもり、貴方はそれを俺に強制する義理はあんの?」なんて思い立ったりもしてみたが、憂い悲しみは結局メリーゴーランド、君たちはいつまでも空騒ぎ。どうりで数すら数えられてないね。なんて、そんなことも書き記したりもした。つい最近は絶望の品評会、そこに神秘はあったかな、あるとすれば様相。何もそこからかけやしなかった。たくさんの文を書くほどの体力がない。もう思い残すことはない。生きたいように生きた。それができなくなったから生きなくて良い。それでいい。

感想1

私も色々なことを次々に取り留めなく考える人間なので、ふわふわした書きぶりにどこか心地よさを覚えながら読んでいました。どことなく寂しさと諦念を感じました。
私もめったにベッドから動けないくせに、起きているときは要らんことばかり考えて、眠るときはぐるぐる悪夢を廻っている。たまに起きられることがあればノートにぐちゃぐちゃと書きつけます。

いま、身体がままならないことを読み取りました。その煩わしさには深く共感します。「まだまだこれから」と言われるように、たしかに客観的には若い身体を持っています。でもその内実はどうでしょうね。ボロボロの心が身体すら錆付かせているように思います。どうして自分の身体なのに自由に動けないのでしょうか。「何故か満たされてしまった感覚」というのは私も心当たりがあって、なんというか、私の場合冷めていく湯船に浸かったまま動けない感覚として感じられます。このままじゃ体が冷たくなっていくのに、今のぬるま湯の感覚が心地いいから動かなくていいや、そんな感じです。

もし体力が回復したらこのグルグル思考や悪夢や終りの無い反省会を辞められる日が来るのかなと思って、私は今日も悪夢に魘されながらたくさん眠りました。終わりの見えない日々に自ら終止符を打つことが無いように、どうかいつか起き上がって朝日を拝める日を、もう一度ペンを持てる日を祈って、ひとまずは今日も眠りたいです。

感想2

一人言葉が連鎖していくような静かなポエジーがあるなぁと感じながら読みました。「君」「君たち」とあなた自身はどこか距離があるような気がしました。もしかしたら、この夢想の中であなた自身とあなたの意識との距離もさほど近くないときもあるのかなと想像しています。実際にあなたの感覚と一致する部分がどれほどあるのかはわからないのですが、この文章にある言葉には共感する部分がすくなからずありました。私が読んで連想した自分のことは、たとえば私が希死念慮を抱えて生きてきつつも同時にすでに満たされたような感覚も持っていること、自分のエネルギーの有限さの中で、諦めが絶望的に思えるときもあれば、それもそれでよいという肯定感につながる日もあることなどです。
すべてのものはいずれ滅びると思います。人類を大きな一つの生き物ととらえたとしても、その生き物もけして不死ではなく、科学によって知られている通り地球も太陽も宇宙ですら有限のものです。ただ私たち人間一人が観測するには大きすぎるから普遍性を夢見てしまう。それ自体もまた不思議で魅力的な錯覚なのかなとも思います。遺したいという言葉を聞くことがありますが(そして自分にもそれがないとも思わないのですが)どんなになにかが遺ったとしても、宇宙がなくなったあとにまで遺せるものはほとんどないように思います。あるとしたら、事実だけでしょうか。でも、それでも存在している事実にはすべてが含まれるように感じる瞬間があります。

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