現在22歳 男性 無職です。
ほんとにどうしようもないです。
私は就職する以前から働きたくないと言う気持ちがありました。
それは皆が心の中で1度思ったことがあると思います。
しかし、あることがきっかけで強烈に心にとどまり続けることになってしまいます。
私は10年来の友達がいました。
彼とは地元の友達で境遇が似ていたことから仲良くなり、友達を作ることが苦手な自分にとってはとても良い友達だったと思います。
しかし彼がある時、相続をすることになり、膨大な資産、並の会社員の倍以上の不労所得を毎月受け取るようになりました。
それから彼は一切働かずに遊び呆ける生活を送れるようになりました。
最初こそ、あまり心に思っていなかったものの、そのタイミングで私が就職する時期でもあり、彼は仕事を辞め、毎日遊んで過ごせる。対して自分は学生から社会人になり彼の半分以下の給料をもらい働く。
これを考えてると羨ましいという気持ちが抑えられなくなりました。
もちろん周りにも相談し「彼と距離を置く」「考えない」等の対応をしていきました。
しかし、どの考え方も対策も自分にとっては無意味でした。
もともと働きたくないという気持ちを抱えていたのに、彼のその出来事が私にとって大切な何かが崩れ去る感覚がありました。
もはや考え方や一時的な気持ちの問題では済まされないレベルに来ています。
実際私は新卒で入社した会社を2ヶ月で辞めてしまいました。
今考えてもかなりホワイト寄りの企業だったと思います。
ですが、そんな企業に恵まれていたにもかかわらずその気持ちが拭いきれずに、休職を経て辞めました。
現在は就活もできず、貯金を切り崩して、毎日クラウドソーシングを漁っています。
もう一つ私がここまで落ちている理由が、
「失敗した」と言う部分にあります。
彼が不労所得を手に入れてから私自身ももちろん不労所得が欲しいと思うようになりました。
学生の段階からNISAを始めましたが、不労所得になるにはどんなに頑張っても10年、20年平気でかかってしまう計算になってしまいます。
なので、稼ぐ力を身に付けるために動画編集、物販に挑戦し、高額のスクールにも入りました。
しかし、初期の大変さや当たり前続けること大変さによって完全に停止してしまいました。
貯金のほとんどを叩いて合計150万自己投資に費やしましたが1円も収益を発生させることができませんでした。
本来なら事業が安定してから会社員を辞めるのが良かったのですが、働きたくないと言う気持ちが強烈に残っている状態では、一瞬も働きたくないのです。
もはやホワイトかどうかなんていうのも関係ない状態です。
それが現在も続いています。
自分の希望に合った求人を1つとしてありません。
結局は何かで妥協をしなきゃいけないなんていうのはわかりきっています。
しかし、妥協してしまっては新卒で入った会社を辞めたことをとても後悔することになります。
だから、この無職である現在の時間を最大限に使う必要がある。再び動画編集や物販を始めなきゃいけないと頭の中では毎日考えてます。
しかし、どうしようもなく落ちぶれた私は働かなきゃ生きていけないという事実を目の前にしても事業1つ向き合うことができなかったのです。
不安から求人サイトを漁る日々。
アルバイト、パートでも正直きつすぎると思ってしまう。
完全在宅で探しても何かスキルを求められる。
価値を提供しなきゃ当然対価はもらえません。
そんな当たり前が私にはできません。
さらば死ぬのみです。稼がなきゃ死にます。
その現実を目の前にしても何もする気が起きない時点で人生終わったに等しいです。
正直このまま寝ながら餓死できたらいいな思っています。
ですがこの気持ちが誰にも理解されず終わるのはあまりに苦しいので、今回書き込むことにしました。
何とかなりたいと言う気持ちはいまだにありますが、就職エージェント等に相談したって意味がないと思ってしまいます。
行き着く先が就職である以上、誰にも相談できないんです。
思いつく限りの方法は試しましたがダメでした。
実家に籠ることも、生活保護も。
私が落ちている要素として、働きたくないくせに、快適に過ごしたいと思っているのです。
不労所得がある彼はなんの苦労もせず20代前半から遊んで生きていけます。
それを望んでいます。でも割り切れません。
今すら生きれません。このループです。
詰みです。
ほんとにどうしようもない。
感想1
読んでいてまず不思議に感じたのが、「働きたくない」というあなたの一貫した想いに反して、「動画編集、物販に挑戦し、高額のスクールにも入りました」「クラウドソーシングを漁って」という日々というのはかなり労働的な作業のではないかと感じたことでした。「働かない」の極致としての「一切働かずに遊び呆ける」が理想なのかなとは思うのですが、 そもそもあなたにとって「働く」というのはどういう状態を指すのだろうと気になりました。
私自身も働くのが好きじゃない人間ですが、今いくつかやっている仕事の中で、お金がもらえないなら全然やらなくていいなぁと思っている内容と、それこそ自分に不労所得でもあってお金に困っていなかったとしたらお金なしでもやりたいなと思う内容の物があるなぁと思っています。「働く」といってもさまざまな方向性や内容、求められることなどがあり、一口には言えないなぁと思ったのでした。
ただ、あなたにとっては「働く」という概念自体への拒絶感覚が強くあるのかなぁとも思います。私の場合は以前「お金」に対して強い拒絶意識があって、自分の金銭状況を把握すること自体が不可能なくらいの強い負荷と感じていたので、対象は違うけれど似た部分もあるのかなと想像していました。
また読んでいて、これは当然個人のあなたの話であると同時に、資本主義社会の中でのしんどさがたくさん詰まっているようにも感じました。世の中には事実上の世代連鎖があり、相続もどの地域で生まれ育ったか、どういう教育を受けたかなどで考えても、持つものと持たないものとの格差は深刻に存在していると思います。いま『銃・病原菌・鉄』という本を読んでいる途中なのですが、この本では、そもそも地球上のさまざまな人類文明の格差が、その人それぞれの能力の問題ではなく、そこにどんな資源や環境があったかで構築されてきている不平等の歴史が描かれているように思っています。21世紀のいま、その状況自体をどうにかできないものなのかと、一市民の私としては思うのですが……。
今の自分の状況と自分の理想を擦り合わせること自体が、強烈に見たくないものを突きつけられるようなことなのかなと思います。そうすると「投資」という考え方は、ある意味でとても魅力的なものになるのかもしれないと思いました。直接的なNISAも高額のスクールなどの話も、不労所得に向けた「投資」の一つなのかなと思うのですが、そこには「今」を削れば「未来」を豊かにできるというスキームがあるように感じています。ただ実際には、そういう「投資」自体がミヒャエル・エンデが描いた『モモ』の「灰色の男たち」が運営する時間銀行の詐欺のように、その構造を作った側と利用する側を分断した搾取構造になる場合が少なくないようにも思っています。それを搾取する側に回ったら勝ちなのかというと私にはそうも思えず、ただ虚しさを感じてしまうのですが……。
死にトリの「つらチェック」というチェックリストは、理想と現実とのギャップの大きさがつらさにつながるのではという仮説で作られています。ただ理想の前に現実があることを頭ではわかっていても、承服できない感覚というのもわかるなぁとも思っています。簡単に割り切れるなら困っていないよという感じだからこそ「ほんとにどうしようもない」という言葉につながるのかなと思っていました。
もう一つ気になったのは、あなたの理想がほとんど「10年来の友達」との比較だけでできているように感じたことです。たしかに身近で似ている境遇の人は強烈なモデルとなるのは頷けると思いつつ、たとえばもっとお金のある人や、その逆、全然違う生活の人は世の中に無数にいると思います。その中で、あなたには他者のモデルがあまりないような気がしたのでした。他者の存在の少ない思考の中では、ずっと鏡を見続けるような、遠近感のわからなくなるようなしんどさがあるようにも思います。私も自分の中で考えれば考えるほど「詰み」以外の選択肢がなくなることがあります。とはいえこれまで持ってきた価値観と外部と出会うことは簡単ではないのですが、それでも他者がこれほど多く存在し、これほど多く発信している時代もほかにはないと思いますし、死にトリもそういう発信の場所のひとつだと思います。あなたにとって既存とは異なる価値を感じられるものがどこかに見つけることを祈っています。