経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

表面と中身、そのギャップが苦しい

自分の経歴はかなり恵まれている。
私立の中高一貫校へ通い、
都内の有名私大に合格し、
名の知れた企業で平均以上の給料を貰っている。
数人だけだが、学生時代の友人とは今も仲が良いし、職場でも同僚とそれなりに上手くやっている。
大学時代から付き合っている彼女と結婚もした。
これだけ見たら、何を死にたいことがあるのかと思うかもしれない。

でも本当は何もしたくないのだ。
中学受験は親に言われて嫌々やった。
大学受験は周りがやっているからやった。
妻のことを好きな気持ちは本当だが、結婚したのは周囲からのプレッシャーがあったから。
仕事だって全く興味がない。

正式に診断を受けたわけではないが、発達障害の傾向がある。
固定観念が強い。物事はこうあるべきだ、という考え方をしがちで、そこから外れた事象を過剰に忌み嫌う。これは自分自身に対しても足枷となっていると思う。
実行機能が弱い。上記の「べき論」に基づいて頭の中では完璧な計画を立てるが、実際にそれを行動に起こすことができない。そんな自分を責め続けている。
集中力が続かない。集中が必要な場面でも、頭の中では無限連想ゲームが始まってしまう。
人との会話が続かない。初対面はテンプレートに則って当たり障りのないことを話して乗り切れるのだが、二回目、三回目が本当に辛い。根本的にあまり他人に興味がないのだ。

生きづらさを抱えながら、なんとかライフイベントを乗り越えて、立派な経歴は手に入れた。でも、なんだか疲れてしまった。社会に出てからは特に生きづらさを強く感じるようになった。本当に手に入れるべきだったのは、綺麗な経歴ではなく、自分らしい生き方だったのだ。無理して普通になろうとして表面上は普通になったけれど、中身はボロボロだ。

WAIS-Ⅳという知能テストを受けたが、総合スコアはIQ120で、分野ごとの凸凹も少なかった。
私はただの怠惰な人間なのか。

生きづらさを人に相談することもある。でも返ってくる言葉はたいていこんな感じだ。
「みんな辛い思いをしながら頑張っている。あなたはこれまでも上手くやってきたんだから、やればできるよ。」

もう、頑張りたくない。
新卒で入社した会社を辞めたあと、1年間ニートをしていた。あれは最高の時間だった。
朝起きてランニングをする。帰ってきたら軽く家事をして、趣味のスポーツ観戦をする。昼食後は昼寝をして、起きたらゲームをしたり散歩に出たり。夜はジムで筋トレをして健全な時間に就寝する。完璧な一日だ。
体を動かすのは好きなので、別に頑張ってトレーニングをしていたわけではない。何も強制されることがなければ、一生こうやって生きていたい。

まとまりのない文章になってしまった。
転職して半年が経ち、思うように仕事をこなせず、上司に怒られる日々で、もう頑張ることに疲れてしまった。
これまでの経歴を全て捨てて楽になりたい。このレールから降りたい。
自分らしく生きれる別のレールがあるんじゃないか。みんなは、こんなに頑張って生きているわけではないと思う。頑張らなくても生きていけるレールはきっとあるはずだ。
でも、これまで無理して頑張って走り続けてきたレールを振り返ると、どうしても自分から降りることに抵抗がある。手放すことに対して勿体ないと思ってしまう。
今走っている整備された綺麗なレールを、この先もずっと泣きながら走るのか。
舗装されていないボロボロのレールを笑いながら走る未来が来るのか。

感想1

自分も所謂「レール」を走っている側の人間なので、ついお返事を書きたくなってしまいました。そもそも「レール」とはなんだ…と感じるときはありますが…。「レール」って会社などに勤めていることを指すんですかね…?

まず、あなたがこれまでしんどさを抱えながら生きてきたことがよく伝わった、ということをあなたに言いたいです。「みんな辛い」とか「やればできる」と周囲の人から言われて、苦しかっただろうなぁと私は思いました。これまで頑張れたからといってこれからも頑張れるとは限らないと思いますし、結果が同じように見えたとしても過程は人それぞれなんじゃないかなと私は考えます。同じことに取り組むときでも、人によっては滞りなくできたり、逆に困難を感じたりすると思います。その人の特性だけではなく、周囲との相互作用も絡んでくると思うので、画一的に評価できるものではなさそうだなと感じます。

今までのあらゆることに対し、本当は「したくないな…」って思っていたけれど、やらないといけない気がして、仕方なく本音をかみ殺してやってたのかなぁ…と思いました。
自分も進学校に通っていたので、大学受験の時期になれば当たり前のように受験対策が始まり、「受験しないといけない」という感じが学校にプンプン漂っていたことを思い出しました。就活でも同期が大企業に就職していったり、「○○大学だから」などと周囲の大人から言われ、「自分も大企業とか有名企業に行かないと…」と焦っていました。あなたもそんな学生生活だったのかな、と勝手に想像していました。
あなた自身が「○○すべき」と考える傾向にあることもあり、あなた自身がいる環境の「当たり前」についていかなければならないというふうに、呑まれていったところもあるのでしょうか。「こうしたい」をあまり意識してこなかった(できない環境にいた)のかなと、私はあなたの経験談から感じます。受験やら結婚やらを当たり前のものだと見なす環境にい続けると、「それ以外の道ってあるのかな?」と不安になってしまいそうだなぁと感じました。本当はいろんな道があるはずなんですけどね…。というか自ら道を開拓していく人もいそうですね。
そう考えると、綺麗なレールorボロボロのレールの二択ではないかもしれません。人生にいろんな選択肢があることを踏まえると、二元論的に議論できるものではないように思います。自分が今知らないだけで、あなたやあなたの職場の「当たり前」が別の場所では通じないということもあり得そうです。

自由に数年休めたり、働きたいときに働けたりする社会になってほしいと、私はたまに思います。でも、自分もそうですが、働かないとお金がなくなるとか、経歴に傷がつくといった理由で私もなかなか「レール」から降りることができません(降りたいのかすら自分でも分かりませんが…)。自分のお金というか人生を人質に取られているような感覚です。人間をやや無機的に捉えているが故の今の社会なのかなと私は思います。いろんな人生、道に対してもっと寛容な社会になってほしいところです。

感想2

明快で説得力のある内容で、興味深く読みました。社会が勝手に決めた価値基準に基づいて、そのレールに乗れるのならそれはそれでいいじゃないかと思う人も少なくない中で、それは嫌だし、ニートの1年間は最高だったと言い切れることに潔さと切なさのようなものも感じています。人はそれぞれやりがいや生き方などの理想や求めるものは違うはずなのですが、日本社会においてはかなり偏った幸せの形というのか、基準パッケージが存在します。私はとても不思議に思いますし、不自然だと思います。でも、そうじゃない生き方を選ぶ人は少なく、社会が必要とする既定路線に適応しようとします。適応させようともします。暗黙のプレッシャーがあります。そんな中で、適応できずに、自分には価値がない、ダメな人間だと苦しむ人もいます。適応の自縛が私たちを苦しめているように思いますが、適応しているあなたは、適応して幸せなのではなく、もう適応したくないという気持ちで苦しんでいます。適応できないという苦しみよりもむしろ、適応することに疲れたから、辞めてしまいたい、投げ出してしまいたい、でも、自分から降りることにも抵抗があるという葛藤は今の社会に対して大きな問題提起をしているように思うのです。だから、思わず仕事を投げ出し、家庭にも本音を開示して、自分の生き方を見直してみるのはどうか?レールから降りてしまうのはどうか?と思わず勧めてみたくなります。例えば、1年間は適応の年で頑張り、その貯蓄で1年は適応しない生き方をするとか、私の周囲でも、自分に合った新たなライフスタイルを探そうとする人たちがいます。
私は今の社会はあまりにも、こうあるべきという常識や社会が求める生き方が狭すぎて、息苦しくしているような気がしています。あなたの言葉を借りるとレールのバリエーションが少なすぎて、そのレールがあることで苦しくなっている自作自演の苦しさがあるように思います。それを問い直すヒントがあなたの率直な声の中から見えてきたように感じました。

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