今高3だけど、思い返せば本当に学校が苦手だったんだなって。
中1は部活が楽しくてなんとか行けてたけど、その頃から給食の完食指導で昼休みはずっと教室に残ってたし周りから笑われたりしてた、担任の先生にも嫌な態度を取られた。自分が悪いんだけど。
中2からまたしんどくなった。部活の友達全員とクラスが離れちゃって、中1で仲良くなった子も他の子と仲良くしてて。頑張って1人とは一緒に過ごせる子はいたけど友達とは言えないほど空気がしんどかった、自分に話しかけてくれる人もいたけど無理しているようで。それから給食を食べられないようになった。クラスメイトから悪口を言われて追い詰められた。さらには他のクラスから来た人にも笑われるようになった。別室で食べてるときもあったけどそれも担任が見に来るからしんどかった。そこから授業を受けるのも給食を食べるのもしんどくて遅刻や早退、休むことを繰り返すようになった。行ったとしても泣きながら登校した。授業中もずっと泣いてた。この時期から死にたいと思うようになった。
中3になって担任はいい先生で、部活の友達も2人同じクラスだった。給食を残しても悪口は言われたけど先生は「残してもいいよ」って感じだった。ただ2年から仲良くしてくれていた子から嫌がらせを受けた。目の前で悪口を言ったり笑ったり、ずっと違う子と行動したり。部活の友達も1人は他の子と仲良くしてて。もう1人は学校が苦手みたいであまり喋れないし給食も食べるのが遅かった。最初は合うと思っていたけど、その子は動きが固まったり泣いちゃったりするからどう接していいかわからなかった。その子がいたから中3のときは自分は泣くのを我慢していたけど、ちょっといいなと思ってしまった。その頃はうまく感情表現ができなくなっていた。授業も教室に入れないほどだった。また休むことが増えてしまった。
そして中3の夏休み明け、学校に行けなくなった。人の話し声も笑い声も耳を塞ぎたくなるほどになって、外の世界に出られなくなった。毎日頭痛があって、学校に行ってた頃を思い出して苦しくなったり急に涙が出てきたり。本当にしんどかった。担任は別室登校を提案してくれた。最初は行っていたけど廊下で同級生とあってしまったときがあって、それを思い出すと苦しくて行けなかった。それから担任とは夕方親と一緒に学校に行って課題を受け取ったり雑談をしたりした。最初は怖かったけどだんだん笑えるようになってきた。でも担任は生徒1人のためにこんなに時間かけて迷惑だったんだろうな、親にも迷惑をかけた。本当にごめんなさい。
それから中学を卒業して週3登校の通信制高校3年の今、まだ死にたいって思いは消えないけどちゃんと生きてる。この過去は誰にも話したことがない、これからも話せない。これを1人で抱えて生きていくのはしんどいから文章にした。いつか、あのとき死ななくて良かったと思えますように、そして、今選ぼうとしている通信制大学という進路が間違っていませんように。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
過去と今。不登校時代。
感想2
学校が苦手な気持ちを今になってからでも、明確に表明できたことに私は拍手を送りたい気持ちになりました。学校が苦手な人は実はわりと多いと思います。でも、学校が苦手なことはあまりよくないことで、苦手を克服すべきという考えは多いです。私は苦手の克服をむやみに押し付けるのは反対です。苦手なものは苦手だと言っていいし、特に子どもの頃に苦手や嫌なことを周囲に認めてもらう、分かってもらう経験がとても大切だと思うのです。そういう意味で、あなたがしんどかった中学時代の経験はあなたにとって相当苦しくて、深く傷ついた経験だったと思いました。今も給食の完食指導というものがあることにも驚きました。簡単に残してしまうのももったいない気持ちがするので、確かに完食することは大切な側面もあるかもしれません。ただ、食べ物の好き嫌いや食べるスピードや量はとても個人差があるものだと思います。その個人差がある中で一律に完食を強いるとしたら、それは子どもにとって尊厳が傷つく経験だと思いますし、自分の好みや感性を否定されることは自分への否定につながってもおかしくないと思いました。
また、学校という集団は自分で選んだ人間関係ではなく、逃げ場も少ない特殊なところです。そこで馴染めなさや居心地の悪さ、しんどさがあった中で、我慢をして通い続けたことに心から労いの気持ちを伝えたいですし、今もそのしんどさが心の中に「死にたい気持ち」として残っていても無理もないと思っています。だから、高校も大学も通信を選んだことは妥当な選択のように思えました。私は小学校や中学校でも通信が導入されてもいいのにと思うことがあります。せめて、子どもが選べる余地があってほしいし、つらかったら行かなくてもいいという選択肢ももう少し自然にあってほしいと思います。
周囲に迷惑をかけたとの言葉もありましたが、私にはあなたが誰かに迷惑をかけたようには思えませんでした。自分の感性を偽らず、嫌なことやつらいことがわかるからこそ、自分なりに自分を守るためにもがいてきたし、迷ってきたように思います。それはある意味誠実に生きてきた証だと私は思います。通信の大学を選択し、ひょっとしたら後悔する瞬間もあるかもしれません。でも、あなたが自分の経験をもとに選択することに間違いはないと私は思います。思っていたのとは違うと感じることはあるかもしれませんが、それは間違っていることではないと思うのです。違っていると感じたら、軌道修正したり、選択をし直すこともできると私は思っています。今まで誰にも話していなかったしんどい気持ちをこうして文章にしてくれてありがとうございます。あなたの苦しさはあなた個人の問題ではなく、学校がどうあるべきかを考えるための大切な生の声だと私は受け取りました。
感想1
誰にも話せない想いをここに書いてくれたこと、きっと勇気も必要だったかなと思います。しっかり読ませてもらいました、きちんと届いてますよと伝えたくなりました。
学校に行けばほぼ毎日必ず訪れてくる給食の時間の出来事をきっかけに、クラスでの関係が崩れたり、学校での過ごす時間が苦痛になったのだとしたら、そこまで完食することを強制するのにどんな意味があるのだろう…と疑問に思いました。
食べることが遅いことは、社会生活上何も問題がないことです。なのに学校という場所で生活する中では、給食の時間が決まっていたりするからこそ、みんなと同じスピードでいなければいけないという緊張感のようなものもすごく感じていたのかなと思いました。本来、食べる時間だけはリラックスできたらいいなと思うのに、その休憩時間とも呼べるものにこんなにも苦痛を感じたのだとしたら本当に苦しかっただろうなと想像します。そんな状況なら食べられなくなって当たり前だろうなと思ったし、食事をするということ自体を苦手に感じてしまっていないかなと少し心配にもなりました。当たり前ですが、苦手なものがあっていいし、食べるスピードだってゆっくりであっても何も問題はないと私は思います。
泣きながら登校し、授業中も泣いていた。そんな限界の状態のあなたが学校に行き続けた理由はなんだったのかな、と聞いてみたくなりました。走り続けてきた状態から、試行錯誤し今の自分にあった高校生活を送っているのを聞くと、これから選択する大学という進路も充実したものになってほしいなと、勝手に思う私がいます。もちろん楽しいことばかりではないし、間違ったなって思う時もあるかもしれないけれど、今の自分が思う最善で選んだとすればそれは間違いではないのかなと私は思います。貴重な経験談をありがとうございました。