私はもともと発達障害で、二次障害で双極性障害も患いました。高校生の時の受験期のプレッシャーとかもあって苦しくなったんだと思います。あれから、体調の波も色々なトラブルも乗り越えてなんとか人並みかその半分くらいは社会に関われるぐらいにはなりましたが、未だにつらくなったり、それに伴って死にたくなったりすることもあります。オープン就労をしているのですが、そこでは毎日楽しくて、結構長めに働けてるんじゃないか、自分は恵まれているし努力もできてるんじゃないかといい気分になったりすることもしばしばあるんですが、それはそれとして生きるのが辛くなったり、どうしようもなく重い気持に押しつぶされたりすることはあります。生きていくことは否定はしませんが、時々全部一存でやめたいと思うこともあります。職場の人が穴を埋めなければいけないし家族が崩壊するので絶対実行には移しませんが、時々もう長く生きられないんじゃないかとか、前に進めないんじゃないかとか辛い気持になったりします。発達障害はなんとかカバーできても二次障害の双極性障害がつらすぎます。いつもそっちのことに気を取られて消耗したりします。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
たとえ壊れてしまっても続く
感想2
楽しいことがあるからといって、辛い気持ちがなくなるわけじゃないこと、逆も然りで苦しい状況だからといって、人生の何も楽しいと感じないわけではなくて。そんな両極端の感情が両立する不思議さと、それでもやっぱり感謝や楽しい気持ちよりも、辛い出来事や重たい気持ちに目が向きがちで苦しくなる・・そんな日常をとても理解できると思いながら、経験談を読んでいました。病気の辛さが大きいとのことで、日々それと向き合うことが多い状態の中なのかなと想像します。そのなかで、自分の恵まれている部分に目を向けられること、自分ができている努力に気づけること、どれも簡単ではないと思います。いつも前ばかり向けないし、苦しくなって全部辞めたくなる時もあるけれど、そんな生き方もありじゃないかと思っています。苦しい時にはこんなふうに吐き出す場所に想いを連ねてほしいなと思いました。
お返事
おっしゃるとおり、周囲からわからないところで苦しんでいて、やりがいと徒労の両極端な狭間で揺れているのが私の病態だと思っています。そのなかでも、こうして声にしてみたり、前向きな日も、後ろ向きな日も受け入れてみることで生きていくことをやめずに続けていけるのではないかと思います。
実は先ほどの感想を書いたのは、うつの真っ最中で身体に傷を入れた後の絶望の余韻の中で書きました。あの時は苦しくて苦しくて、いつもの自分が輝いてる風に見えるのさえ許せなくて自己破壊的な気持ちで苦しい部分だけを切り取って書いたつもりなのですが、「恵まれているし努力している」なんて前向きな言葉が出てくるくらい人生に対してはマイナスではないのだなと再び実感しました。そういった点もご教示いただいて嬉しく思います。
部分寛解のため時々うつに押しつぶされそうになりますが、これからも世のため人のため、何より家族友達など支えてくれる人たちのためにマイペースに頑張って生きていきたいと思います。ご感想ありがとうございました。
感想1
経験談への投稿ありがとうございます。
タイトルに込められた思いを想像しながら読みました。生きていくことを受け入れながらも、時折どうしようもない苦しさに覆われてしまう瞬間があることを感じています。
仕事が楽しいと感じられていることには少しだけ安心しましたが、何かのきっかけや心身のコンディションによって、安心感が突然不安や虚しさに変わってしまうことも感じました。自分でもコントロールが難しい部分でもあるのかなと思うと、どうにかバランスを保ちながら日々を過ごしているのではないかと思っています。社会や人とのつながりを維持しながらも、周囲からは見えにくいところに苦しさが潜んでいるようにも感じます。自分の状態を俯瞰して捉えることができるのはあなたの力でもあると思いましたが、一人で抱えることがしんどくなったときには、またこうして声を届けてほしいなと思っています。