経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生きてていいのかわからない

支離滅裂な文になってしまっていますが読んでいただけたら嬉しいです。
半年前からずっと死んだ方がましなのかそれとも生きてた方がいいのかずっと考え続けてます疲れます結局何の解決にもならないからこんなこと繰り返すの辞めたいのに辞められないです。起きた瞬間から頭の中でループし始めます。今日も明日も、生きてないといけないのかって心が重くなります。たまに気楽な日もあるけど、やっぱりすぐ元の重い状態に戻ってしまいます。今の生活が苦しいのが続いてもう何が辛いのかわからなくなってきました。生きてた方がいいんでしょうか。自分でも何を言ってるのかよく分かりません

数年前に初めて希死念慮が始まって、でもその後は波があって楽な時期も長くありました。今年に入ってからずっとつらいままで、夏休みで学校にも行かなくてもいいのに辛い気持ちのままです。毎日生きてるだけで将来のこと考えないといけないのが重すぎて辛いです。もうこれ以上生きていたくないなんて思いたくない。前向きに生きれるようにしたいです。

感想1

生きることは選択の連続で本当にエネルギーが必要だなと思います。その力が少しでも不足すると、生きることが苦しくて、それなら“死んだ方がマシ“という思考になることも理解できる気がします。でも死ぬという選択にもまた、エネルギーが必要だとも感じていて。日常は日々続いているので、身体にある絞り出した残っている力でなんとか過ごしている。だからこそ力がなかなかたまらなくて・・そんな悪循環もあるなあ、と私は感じたりしています。
夏休みで学校に行かなかったとしても、やっぱり休み明けのことを考えたり、宿題をこなさなきゃいけなかったり、やっぱり日常には「やらなければいけない」ことが多いように思います。そういった年齢に応じた“当たり前”と固定されたようなやるべきことが多い社会に生きづらさを感じたりしながらも、日常に流されている感覚があり、すると自分がどうしていきたいのかわからなくなる、そんな状態は私も少しわかるような気がしました。それでも、「生きていたくないなんて思いたくない」と、気持ちが揺れ動きながらも前向きに生きたいと今そう感じてここに書いてくれたんだと想像しました。そうやってどちらとも決められずに、揺れ動きながら生きる、なんてこともあっていい社会であってほしいと私は思ってしまいます。

感想2

「結局何の解決にもならないから」と書いてあって、つまりそれは、あなたが本当だったらどうにか解決したいという思いを持っているということなのだろうと思いました。
あなたが考えなければと重圧を感じている「将来」というのはどのようなことなのかなと気になっています。進路や就職といったことなのでしょうか。なにか選択と行動を迫られるようなことが、学校では数年おきにあって、なんだかとても疲れてしまう仕組みだなぁと思います。具体的な出来事や学校や家での生活のことはあまり書いていないけれど、どこか居心地の悪さのような感覚もあるのかなと想像していました。

私も10代からわりとずっと希死念慮があるのですが、希死念慮が強まるタイミングには心身の無理が重なって、あとから考えると疲労困憊なことが多いです。ただリアルタイムでそれに気づけることはとても少なくて、とくに学生時代は周りから言われることとか学校で言われていることに合わせようと頑張るだけで、私は実は本当に疲れていたのだとあとあと気づきました。
個人的には、希死念慮はあなたの心の一面ではあるのだから、無理に否定したりなくそうとしなくてもいいのかなと思います。前向きじゃなくていいと思います。それは大事な防衛反応かもしれないし。だけど苦しさの渦の中にい続けるのも苦しいことだと思うので、ひとときでも呼吸を楽にできたり、なにか心地よいと思えたりできる時間があるといいなと思っています。

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