経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自意識の化物

生まれた時から劣っていた。
結果に見合わない過大な自信があって、ネガティブで自信がないと言う割には他人を見下したり、自信過剰で勝手に傷つくことがある。
物心ついたときからこうだった。だから、環境で構成されたものでもなく、ただ生まれた時からこうだったんだと思う他無い。
特技は何もない。骨が曲がって肺がイカれてるから走ることも出来ないし、真っ直ぐボールを投げることも出来ない。
勉強もできない。嫌いなことにはとことん逃げぐせがあって、頭が悪いから気づいたら一番下のクラスに居る。
だが、ひたすらにプライドが高くそれを信じられないのか、授業すら聞かないこともあった。
何もない。何もない。本当に何もない。
こうやって言葉で修飾してるのも、薄っぺらくて気持ち悪くて、全部が嘘のようで嫌になる。
自分というものが分からない。
ネガティブで自信がない、そう思ってるのにたまに人間とは思えない非人道的なことすらしてしまう。大切な友達を裏切ってしまうようなことすらする。
でも、そこで「じゃあその子のために」と距離を取るのも違う。私の場合それはただの自暴自棄だから。友達でいたかったけど、仕方なく縁を切ることによって自分を傷つけると同時に周りにヘルプを出してることと同じだった。
自分で火種を作って、消化せずに去っていく、挙句の果てに尻拭いすらさせようとして一人で気持ちよくなってしまう。

何でこんな人間なんだろう。出来ないじゃない言語化しろ。お前のことをお前が一番分かってるだろう。そう言われても、自分が自分じゃないみたい。
家に帰ったら温かい布団がある、美味しいご飯が食べれる、満足に本も読める。そんな環境で、何を不幸せになることがあるんだろう。
人と比べる意味ない。貴方は貴方で傷ついてるんだから。そう言われても分かんない。
自分で自分を慰める言葉がすべて嫌い。気持ち悪い。分かんない、全部わかんない。
目に見えるもの以外真実じゃない。自分の苦痛とか、メンタルの不調とか、全部ウソでしか無い。
自分で知った気になってることも、全部ウソだ。自分はこれが出来るとかって思うことも、出来ないって言うことも。
自分がなすこと全て、自信過剰だし自傷行為で自暴自棄。
彼が好き、考え方が彼に似てるとか、そんなのおこがましい。
ただ自分が分からなくて社会に合わせられなくて、自分で自分を社会のレールから外した、ひたすら醜い化物。

感想1

投稿ありがとうございます。勝手ながら近しい気持ちで読ませてもらいました、昔私が書いた日記に似ていたからです。まさに、「何もない。何もない。本当に何もない。」、私の場合は真っ黒い何かに追われていたという感覚でした。私と重ねてしまった事、不快に思われたらごめんなさい。何者かにならなければいけないという、世の中の圧はどこからくるのだろう。見えないものだけれど確実にあるそのかたまりに、うんざりしつつその渦に飲み込まれているあなたと私を感じます。

ハチャメチャな自分を演出し、周囲をブンブンと振り回す。そんなつもりは無いような、あるような。右往左往している周りを見て、良くも悪くも自分のことに時間を費やしている満足感をうっすら感じる。この際なんでも良いし少しの時間でも構わない、皆こっちを向いてくれていればそれで良しとしよう。私の場合の「気持ちよくなってしまう」とは、こんなところだったかもしれません。自分自身のことはわからないし、咄嗟の自分も余計にわからない。そして言葉にならない何かを説明することは難しい、こんな癖くらいでしばらくは見守っていたいような気がするのは私だけでしょうか。

誰かを好きになることにも、ちゃんとした説明を求める自分がいる。門番のように、厳しく尋問する自分は社会の誰よりも手厳しいかもしれない。好きはアメーバーのように色んな形に変化して、沈んだり浮いたり、グルグル巻きにされていたり、その正体は簡単には暴けない。世界中の人たちが、好きに手を焼いているから、そこから色んな文化が生まれていくのかもと、手始めに恋愛ソングを聞きいっていたことを思い出します。醜い化け物と書かれていましたが、昔からの親しい友人のように私には思えました。よければ、また気持ちを書きに来てください。

感想2

何をもって劣っているというのか、というところはありますが、何においても個人差はつきものですし、能力で比較したときに優劣もついてしまうものだと思います。また、社会で評価される性質を持ち合わせていたり後から獲得することができるか、というところもその優劣には含まれているようなイメージをしています。
私にも、自信や自意識のバランスがとれなくなっていたり、理想や自己愛だけが大きくて、結果は全くついてこないことで、一人盛大に傷ついていることが、よくあります。苦手や欠点、サボった故に生まれた遅れはもちろんありますが、それらに向き合って努力を始めると、「やっても無理だ」「追いつくまでに途方もない道のりがある」ということに気づいてしまいそうな気がして、向き合うことから逃げてしまう気持ちがあります。頑張れそうにないと、諦めているのに諦めきれない自分がいる…投稿者さんももしかしたら似たような気持ちがあるのではないかなと、想像しながら読んでいました。
そして、自分のことなのに、自分がわからない。これって意外とよくあることなのではないかと思いました。心理学には、ジョハリの窓という自己分析のツールがあります。ジョハリの窓は4つに分類されていて、「自分も他人も知っている」「自分は知っているけれど他人は知らない」「他人は知っているけれど自分は知らない」「自分も他人も知らない」という領域があります。半分は自分の知らない領域ということです。外見だけで言っても、自分の背面、耳、あごの下、他人からはすぐ見えるのに、自分で見るには少し苦労がいります。どんな姿勢をしているか、どんな声をしているか、引きで見た自分の姿は…自分のことですが、自分よりも他人の方が「私」に対するイメージが鮮明な気がしています。こんな風に、心の中にも、自分ではわからない領域があって、わからなくてもそれが当然なことがあると、私は考えています。
周りを見下したり、ネガティブでいることで得たかったもの、守りたかったものがあるのかもしれないと思い、それは目に見えないものの可能性が高そうな気もしています。もし心に負担がなかったら、心の窓を少しのぞいてみるのもいいかもしれないと思いました。

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