経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
今の感情を吐き出したくなったので、思ったままこの文章を書いています。
内容が拙くまとまりのないものになっているかと思いますが、ご了承ください。
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これまで私は、人間関係においてあまり良い経験をしたことがありません。
幼少期から両親は喧嘩ばかりで怒号が飛び交い、小学校では理由もなく6年間クラスから暴力・暴言を受け、中高では友人から友情を通り越し依存をされ、何度も関係性を確かめられ、相手のために行動した結果嫌われ、大学では相手の勘違いから悪者扱い・暴言を受け、社会人ではこれまでの積み重ねがきっかけで他人の何でもない発言や行動にも過剰に反応してしまうせいで、周囲と馴染めず辞職しました。現在は就活中です。
このような発言をすると被害者意識丸出しで恥ずかしいのですが、きっと自分が気づいていないだけで、私が悪いことをしているだけなのだと思います。出来事に対して私が適切な対応をできなかっただけかもしれません。しかしその原因も解決方法もわからないため、改善したくともどうすれば良いか知ることが出来ずにいます。
悶々としていても生活は続いていくので、ひとまず元気な人のまねっこを(出来ているかはさておき)しながら日々をやり過ごすことにしました。
自分の欠点が相手にバレていることも薄々気づいてはいますが、それでもこの「正常なフリをする自分」から脱却できず、ずるずるとこの方法を続けることしかできずにいます。
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人間関係のもつれで簡単に感情が左右され、過去の失敗を何度も脳内で繰り返してしまう私は、日々重苦しい身体を引きずって生活しています。
ただ道を歩くだけで暗い思い出がよみがえり一人反省会。人との会話中も疑心暗鬼になり素直になれない。バカにされたくない・下に見られたくないという余計なプライドが働き、知ったかぶりを何度もする。突然悲しい気持ちに襲われ自室で一人号泣。
そんな自分が嫌いで、どうにかしようと色々試しました。人に相談すると嫌な顔をされるのでこれは早々に辞めましたが、日記をつけたり、悲しい気持ちが生まれるきっかけや要因が何かを自分なりに分析したり、気分転換に外出したり、趣味を増やそうとしたり…。
いつか良くなる、いつか自分も他の人と同じように笑って生活できると思いながらそんなことを繰り返していましたが、あまり良くなる兆しがありません。
一度だけメンタルクリニックに診察をお願いしたこともありました。親身に話を聞いていただいた担当医の方によると「軽度の鬱かもしれない」とのことでしたが、カウンセラーさんとの相談の際「それってあなたが悪いですよね」と笑い交じりにされたことで心が折れてしまい、それ以降病院に行くことも避けるようになりました。
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一体、私のどこをなおせば他の人と同じように生きることが出来るのでしょう。
何をすれば、私のこの漠然と続く脳のぼんやりとした思考が晴れ、人と対等な関係を築けるようになれるのでしょう。
そんなこと言われても、結局私が自分でセルフケアして解決しなければいけないんですよね。
この発言も、なげやりに聞こえてしまうのでしょうか。
人間って難しいですね。
感想2
あなたの自己分析する力に驚かされながら興味深く読ませていただきました。ここまで自己理解を深めることも簡単じゃなかっただろうなと思います。社会人になってから、人間関係のうまくいかなさから辞職された中で、悔しさや絶望感など様々な感情の中にいらっしゃるのではないかなと想像しました。
喧嘩の多い両親の間で、耳を塞いだり、隠れたり、あるいは仲を取り持とうとされたり・・そんな経験があなたにもあったりしたのでしょうか。わたし自身喧嘩の多い両親の元で育ち、とにかく喧嘩を恐れた幼少期を過ごしましたが、そうこうしているといつの間にか「人の顔色を伺う」ことが板についてしまいました。人の言葉や態度、表情や視線に敏感で、疲れやすく、また人にどう思われるかを考えすぎて言葉がうまく出てこないこともあります。
書き込んでくれた経験の中の、依存関係になった中高時代というのはある種、相手の欲求がわかってしまう、それに応えることができてしまうあなたがいたのかなと想像したり、社会人での人の発言や行動に過剰に反応してしまうというのも、あなたが幼少期から培ってきた敏感さからきているのだろうかと感じ取りました。
元気な人のまねっこをすることも含め、人前では、とにかくセンサーや気を張り続けているような印象も受けましたから、人と対面した時のエネルギー消費は激しいだろうし疲弊しやすい側面があったりするのではないかなあと想像します。相手の勘違いによるすれ違いも経験されたようですが、相手の理解力ももちろんあるとは思うのですが、わたしの経験則から「考えすぎて言葉が出てこない、選べない」こともあったのではないだろうかとも思ったり(違っていたらすみません・・わたし自身はっきり言葉にすることが怖いので曖昧や遠回しな表現をしがちで、意図しない解釈をされることが多々あるのです・・。)
知ったかぶりをしてしまうことは、プライドの働きだとも書いてくださいましたが、それでコミュニケーションが取れている人たちから学習した円滑なコミュニケーションの羨ましさ=人とコミュニケーションがとりたい思いや、仲良くなりたいという思いもあるのではないなとわたしは受け止めています。
また、両親の喧嘩を見てきたものにとっては、衝突は避けなければならないもの、意見は合わせなければならないものだという考えが自然に体の中に住み着いていたりするので、同調することを反射的にしてしまうということもあったりするかもしれません。
わたしが少しずつそこから回復する気になったのは「傷つかない人間関係はないという前提」と「自分の意見を言わないことも自己中心」だというふたつの考え方に出会ってからかなあと思い返しています。
一つ目の「傷つかない人間関係はない」というのは、人と意見や価値観が違うというのは当たり前のことなので、人間関係を築こうとすると意見や価値観の違いから必ず傷つく。傷つかないように距離を取ったり、傷ついて終わるならそれまでの関係だけれど、傷ついた上でどう修復していくか?それが「関係を築くこと」だと教わったことがありました。なるほどなあと、自分に腑に落ちた考え方でした。
それから、付随して「自分の意見を言わないことが衝突を生まない良いこと」だと思い込んできたのですが、どうやらそうではないらしいのです。その対になるのが、アサーションというのですが、自分も相手も大切にしながら、自分の意見や気持ちを率直に伝えるというコミュニケーションの在り方だそうです。相手の意見をのむというのは一見人思いに見えるのですが、自分が傷つかないように嫌われないようにしていることなので自己中心的なコミュニケーションだと突きつけられた時には本当に衝撃でした。
あなたとわたしの経験や背景は違うので、参考になるかはわからないのですが、どこかあなたが傷つくだけ傷ついて終わってしまう関係がこれまでは多いように感じました。「傷ついた時に、自分が傷ついたということを相手に伝えられること」「どうして相手がそのような言動をしたのか聞けること」「どうして自分が傷ついたのか言葉にして説明できること」「今後お互いどうすべきかを考えられること」・・などなど一歩踏み込んだコミュニケーションが関係性であり、アサーションなのかもしれません。
相手があってこそですし、なかなか顔色を伺う者にとっては本当に大きなハードルですが、練習を積み重ねながら対等な人間関係に近づけるといいなと思っています。あなたがこれ以上一人で傷つくことがないよう、ここや相談窓口も活用しながらいてほしいなと思いました。
感想1
小さい頃からの一つひとつの出来事を聞くと、一言では表すことができないほどの体験だと思います。その全てがどうしてそうなったのかは誰にもわからないけれど、少なくとも“あなた自身が傷ついたり、怖いと感じてきた”という事実まで否定しなくていいんじゃないかなと、率直に思いました。また、あなた自身のせいとありますが、人間関係において片方が100%悪いなんてことはないし、ただただ巻き込まれてしまっただけなんてこともあると思います。それに、幼い頃から人間関係の中で何度も傷つく経験が続けば、人の何気ない言葉や表情に敏感になったり、嫌われないように相手に合わせたり、何か悪いことをしていなかったかと何度も振り返ってしまったりするのも、ある意味では自分を守るために身につけてきたものなのかなと私は感じました。
だから「正常なフリをしている」というより、これまでの環境の中でなんとか人と関わっていくために、あなたなりのやり方を身につけてきたのかもしれない。もちろんそれが今は自分自身を苦しめている部分もあるのだと思うけれど、ただの欠点とか、怠けとか、あなたの性格が悪いからという一言では、片付けられないなと思います。
私もよく頭の中で一人反省会をします。あとから落ち着いて考えているうちに、「あれはやっぱりおかしくない?」と怒りが湧いてくることもあって、そんな時は独り言のように鏡の前で相手に伝えるつもりで声に出して話すことを前はよくやっていました。実際には臆病なので、本人を目の前にしたらなかなか言えないことも多かったけれど、理不尽に感じたことや言えなかったことって、時間が経ったからといって簡単になくなるわけではないからこそ、言葉にして外に出すことで少しだけ違うこともあるなと感じています。
方法は違えど、日記を書いたり、自分の感情が生まれるきっかけを分析したり、気分転換をしたり、病院に相談してみたりと、「どうにかしたい」と思って、かなり色々なことを試してきたこと、伝わりました。それでも良くならないと、「結局自分が治らないからダメなんだ」と思ってしまうのかもしれません。でも、ここまで一人で自分を分析し続けること自体、もう十分すぎることじゃないかなと思います。
「人間って難しいですね」という最後の言葉を読んで、私も本当にそうだなと思いました。人との関わりで傷ついて、人と関わることが怖くなって、それでも一人では寂しかったり、人と対等な関係を築きたいと思ったりする。簡単に答えを出せるものではないですよね。投げやりな発言であったとしても、吐き出したい時にはまたこうして、死にとりに書きにきてください。