経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

外出が怖い、人が怖い。

家から出られない日が続いています。外の音も怖いし、人と話すのも怖いです。人が嫌いなわけではないのに人と話す時敏感になりすぎて動悸がします。相手に合わせようとしてるんだと思うけど、相手に全部合わせてしまったらそれも良くないのはわかってます。何人かの友人は私が合わせないと機嫌が悪くなります。機嫌が悪くなる友人を見ているととても怖くなって動悸が止まらずパニックになります。不機嫌な友人たちとは距離を取っていますが、時々彼らの事を思い出しては身体が震えたりお腹が痛くなります。そして、その後イライラしたり苦しくなります。考えなきゃいいのに、私がこだわりすぎているのだと思います。でも友達が減るのは寂しい気がして、自分が悪いのかなと考えることもあります。正解はないけれど、恐怖でいっぱいです。

感想1

自分の頭では解っていても、「友だちや周りの状況で話や行動を合わせないといけない」という心理的なプレッシャーで、心と身体が疲れてしまう。そうしないと嫌われるんじゃないか、という恐怖感などもあったりするのかなと想像しました。
自分を保ちながらも相手に合わせられるって、凄く器用なことだと私は思います。
私自身も人との関わりで長い時間悩んでいます。相手に合わせること、会話を合わせることが苦手で、自分から距離を取り一人になるようにしています。(個人的に一番楽なので)
自分が変わるのか?相手を変わるのか?関わることをやめるのか?
常に自分らしく、無理のない選択が出来たら楽ですし、生きやすいのかなと思ったりもしますが難しいし、上手くいかなかったときのことを考えると踏み出せなくなるように思います。
自分語りが多くなりましたが、正解がない事だからこそ、自分を守るためにも、相手に合わせる合わせないを試していくなかで、自分なりの「関わり方」みたいなものを見つけられたらなと個人的に考えています。(試すことも勇気がいることですが)

感想2

相手に合わせずいたら不快な想いをしたり、恐怖を感じたりと、そんな経験を何度も繰り返せば、かなり無理をして無意識にでも自分が合わせようとしてしまうのも頷けるし、それ故に強い負担がかかるだろうと思います。不機嫌な友人とは距離をとっているとのこと、少し安堵しましたが、でも距離をとっていても、その時に植え付けられた恐怖心は簡単には消えないですよね。関係のある友人だけでなく、外や音までもを怖く感じるのは、それだけ今まで人との関わりの中で緊張し続けてきたのかなと想像しました。
今は自分を責めるよりも、安心できる人とだけ関わり、安心できる場所で過ごすことを優先してほしいな、と私は思ってしまいます。自分を殺して人に合わせる、そんな感覚は私にも経験があるので少しわかります。自分を守るためにそうしてきたものを、苦しいからといってすぐに変えることも難しいですよね。だから今は、「もっと人とうまく付き合わなきゃ」と頑張るよりも、怖いと感じている自分が少しでも安心できる時間があっていいんじゃないかなと思います。友達が減ることや、自分が悪かったのではないかという不安もあると思いますが、すべての人と無理なく付き合わなければならないわけではないし、あなたが安心していられる関係もきっとあると思います。今はそのことを急いで見つけなくてもいいから、少しでも恐怖から離れていられる時間があってほしいなと思いました。

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