経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分は怠け癖があるだけなのか分からない

私は小さな頃からマイペースだね、と言われて育ってきました。小学生くらいまでは何も思わなかったですが、年齢が上がるにつれ周りと同調できない、ズレてると思うことが増えてきました。まぁこれもいつかはどうにかなるでしょう、なんて思いながら社会人になりました。
初めての会社、新社会人として事務仕事をしていましたが、ちょっとしたミスを繰り返す、先輩の言いたいことを汲み取れない、空気が読めてないなどが重なり孤立していきました。5年目を目前にして退職しました。
二つ目の会社は現場仕事を経験しました。ところがここでもミスを繰り返す、空気が読めなくて孤立。さらには体力も元からなくて半年ほどで休職し、1年未満で退職しました。
三つ目の会社はもう一度事務として勤めました。ここでは中小企業でマイペースにゆっくり仕事ができていましたが、社長の言うことが全て、白も黒に変わる、という超ブラック企業でした。その中では社員さんとも仲良く過ごせていましたが、上司からのセクハラとストレスにより退職しました。
現在勤めている会社は全国展開している大手企業です。給与面もよく、福利厚生もしっかりとした会社です。なんとか頑張れそう、と思った矢先にここでもセクハラに遭ってしまいました。相手方にはしっかりとした処罰も下りましたが、前職でのトラウマなどによりまたもミスを繰り返すようになってしまいました。そこからまた落ち込み、ミスを繰り返し、落ち込み…と社内での信頼度も落ち、またも孤立してしまいました。
ミスを繰り返すこと、空気を読めないこと、気持ちが切り替えられないことが積み重なり、鬱のような状況になりつつあります。もしかしたら自分は発達障害があるのではないか、と思うようになりました。
お前の努力不足だ、と言われればそうなのかもしれないが、ここまで生きづらい、死にたいと感じるのは発達障害でもあるのではないかと思います。
もしそうなら今までのことに納得がいくけど、そうじゃなかったら私はただの怠け癖があるだけのクズなんだなってなってしまい怖いです。
こんな思いをするなら早く自殺でもすれば良かった、生まれてこなければよかったと思います。
幸いなことに家庭環境は悪くないとは思いますが、家族には心配をかけたくないと相談できませんでした。
心の中の自分がお前なんか生きてる価値ない、早く死ねと言ってきます。こんなに生きてきてこんなことしかできないのか、と。自分より年下の子が頑張っている姿を見ると余計に感じてしまいます。早く楽になりたいです。

感想1

怠け癖って、だめなんでしょうかね。という私も何度となく「自分の頑張りが足りない」と責め続けてきたのですが(私の場合はADHDの診断もされました)、診断がつこうがつかなかろうが、脳の反応の仕方って千差万別らしくて、よくいう「やる気を出せ」ってつまり「脳内物質をいい感じに出せ」って意味なんだなと気づいたことから(無茶すぎますよね)、個人的には多少あきらめがついてきました。21世紀は私たちにとっては最新だけど、化学でもまだまだわかってないことや無茶な言説も多くて、当たり前だけど未来から見たら結構未発達な時代なんだろうなと思ってしまいます。
あなたのこれまでの企業の経歴を見ていると、たぶん困ることはありつつも、学校などではある程度やってこられていたということなのかなと思います。私もどちらかというとそのタイプで、私も休職と退職をくりかえしてきて今に至るので、マイペース仲間として、共感しながら読んでました。

「そうじゃなかったら」という感覚の部分や、「お前なんか生きてる価値ない、早く死ね」という言葉を読み、私たちの社会ってどうしてこうまでも私たちをジャッジする眼差しが強いのだろうと思っています。「お前なんか生きてる価値ない、早く死ね」と言う言葉は本当にあなた自身の言葉なのかなと思いました。少なくともオリジナルは、この社会に蔓延する排除的な雰囲気だったり、さまざま差別的なメッセージなのだと思うと、あなたは知らず知らずのうちに、こういうメッセージをたくさん浴びてきたのだろうと感じました。
最初にも書いたとおり、怠け癖がいけないっていうのは本当?と疑問だし、どちらかというと今の世の中がやばいだけな気がしています。労働基準法で週40時間が労働の上限と定められたのは1994年ですが、その後の30年くらいの間に、インターネットは当たり前になり、いろいろな隙間時間や待ちの時間はよりすくなく、効率化という名の下に、労働の密度の過酷さは増していると思います。そもそも週40時間は上限であって下限ではないのに、私たちはいつの間にか「40時間働いて初めて普通」みたいな資本主義に都合のいい刷り込みをされまくって生きている悲しさがある気がします。努力と無理をごちゃ混ぜにして、私たちは自分でも自分がいまどのくらい疲れているのかわからなくなっていることも多いと思います。セクハラやパワハラもひたすらそれが悪いですがまだまだ蔓延っていますし、「我慢するのが大人」みたいなメッセージも消えてはおらず、そのメッセージに都合がいいのってどの立場の人なのだろうと考えてしまいます。

あなたが発達障害の診断をされるかされないかはわからないけれど、あなたが困っていて、疲れていることは事実だと思いました。だからしんどさが減ったらいいし、その一つのサポート軸として発達障害について相談することも含めメンクリに行ってみるのもありなのかもと思っています。個人的には今の診断基準自体びみょうだな……と思う部分もありますし、発達障害というジャンルに詳しいかどうかも医師によってかなり差がある気がします。相性もあって、私も何度か病院を変えたこともあり、「病院に行ったら解決するよ!」と言う気持ちにもなれないのですが、うまく波長の合う医師とつながれれば、それは生活する上で大きな財産になるとも思っています。
家族には話せないということで、悪い人たちではないとしても、「これくらいできて当たり前」で生きること以外があまり想定されていない状況なのかなとも想像しています。人に言えないうちに煮詰まってしまう感覚もあるだろうなと思うと、ひとまず吐き出すだけでも、またここに書きにきてほしいと思いました。あなたと言葉を交わせてうれしく思います。投稿ありがとうございました。

感想2

これまで何度も「今度こそ頑張れそう」と思いながら新しい環境に移り頑張って適応し、でもいつからか仕事を変えるたびに“今度は上手くいってほしい“という手に汗握るような願いに変わっていた部分もあったのかなと想像しながら読んでいました。
社会では、周りと同じようにできることや、言われなくても相手の意図を汲み取ること、場の空気に合わせることが求められる場面が多くて、それが自然にできる人を基準にされてしまうこともあるように感じます。そこから外れてしまうと、「自分がもっと努力しなければ」と思ってしまうけれど、実際は本人の頑張りだけではどうにもならないこともあるし、そうあらねばいけないような風潮の社会にも生きづらさを感じます。
これまでの職場でセクハラを経験していることも、私はとても気になりました。仕事でミスをしたことや、人間関係がうまくいかなかったことは自分の中で反省できても、相手から傷つけられた経験まで、自分のせいだったことのように抱えてしまっていないかな、、と少し心配になりました。今の職場でまたミスが増えてしまったことも、前の経験からくる怖さや緊張が関係している可能性もあるかもしれないし、実際にトラウマになる程です。簡単な一言で説明できないこともあるのではないかなと思います。
そして、発達障害だったとしても、そうではなかったとしても、これまであなたが感じてきた生きづらさまで「努力不足」や「怠け癖」で片づけなくていいと思っています。むしろ、何度も仕事を変えながらも、そのたびに働こうとしてきたあなたを“怠け癖がある”なんて思えませんし、どれだけ必死だったのかと、労いたくなる私がいました。
自分のことを理解したいと思っているのに、その答えが「自分が悪い」にしかたどり着かなくなってしまうのは、とても苦しいですよね。そして、家族に心配をかけたくなくて相談できないまま、一人で抱えてきたのかなと思うと、死にとりに書いてくれたことも、これまでの自分を振り返って、どうにか理由を見つけようとしている1つのように感じました。一人で抱えるには苦しそうだなに感じます。身近な場所であなたが安心して苦しさを吐き出せる人がいてくれたらいいなと勝手ながら思ってしまいます。また苦しい時には、死にトリに吐き出しにきてください。待っています。

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