経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

拗れた承認欲求

(前置き:拙い言葉ですみません。中学3年の私なりに、今の精一杯で書きました。)

褒められるってどう思います?私の一番古く印象に残っている褒められたことは保育園の年中さんの頃、自分の気持ちを押し込めてやりたい役を譲った時です。当時は幼かったため、「我慢できて偉いね」と言われた時も親と先生の顔を見る前からも、訳も分からず泣いていました。そして純粋な子供はどう思うか…私が可笑しいのでしょうか、当時の私は「我慢すれば褒められる」と勘違いだとも分からず悟りました。
話は飛び、小2の頃私はあることをきかっけに「1から2よりも、−1から0の方が目に見えてわかりやすく、褒めてもらいやすい」という思考が芽生えました。その頃から当たり前だった宿題をやらなくなり出し、叱られても「褒められるために」と無理やり言い訳をつけて過ごし続けることになります。小5の頃、悪くもその頃の思考を肯定するようなことが起きました。苦しくも当たり前をやって親に褒められたんです。それを機に私の思考していた仮説は確立してしまいました。
それから自然と「自分でできることはやる」「人に迷惑をかけない」「家族の(学校の)一員としてちゃんとする」などのことを擦り込まれ、今では人に頼ることが出来なくなってしまいました。トラブルがあった時や、自分の衝動が抑えられない時でも親にも誰にも言えず、ただ1人、バレないように隠して取り繕って対処しようとして、結局綻びから発覚し、叱られることも多々………。そこからも人に迷惑をかけないようにと抱え込み続けてしまいます。最近精神的に問題があるような気がして精神科に行きたいのですが、先のことを考え込み、なかなかに言い出せず、この間やっと長いこと見ている配信者の方に匿名で相談をすることができました。他の誰かにしっかりとこう言うことを言ったのは十数年の人生でも初めてでした。未だに親に自分の気持ちや、やりたいことをうまく言い出せず心の奥底で燻り続けています。褒められたいがために、「偉い」という一言のためにここまでできてしまう私が私は怖いです…。
「褒めてほしい」「褒められたい」たったそれだけのことで変わってしまうほど人生とは繊細です。長く続けてきた習慣というものは簡単に変えられるものではありません。ましてやその価値観などはもっと。私は今までの自分を否定し、考えを改めることは難しいためこれからも抱え込み続けてしまうと思います。私は私のことをできるなら好きになりたいですが、このままでは一生無理なのではと考えてしまいます。今でもしつこく残ってしまった「褒めてほしい」という古傷とどう向き合うべきか迷い、逃げ続けた結果ここに辿り着きました。(逃げ癖も改善しなければですね…………。)
『ここに書き出すことで何かが変わるのではないか?』という願望も込みで精一杯ここに書き殴りました。ここでのことで変わらなくても良いと、気休め程度かもしれなくても良いと思っています。
(最後まで読んでいただきありがとうございます。過去に起こってしまったことは変わりません。同情のされすぎもそれはそれで困るため参考にだけにしておいてください。)

感想1

あなたが自分を分析してきた結果がまとめられて書いてあるように感じて、興味深く読ませてもらいました。「褒められたい」気持ちと「承認欲求」がつながっていると、ちまたでもよく言われている気がしますし、大人の私自身にも両方ともあるなぁと思います。でも、考えてみると不思議なことのようにも思えてきました。承認というのは、たぶん、「自分がここにいること」を許されている感覚のことをいうのかなと考えています。それに対して「褒められる」というのは、「えらい」「すごい」「よくできた」みたいなイメージで、あなたの言い方を真似ると、「承認」はマイナスでもプラスでもないような、対して「褒められる」はプラスであることのような気がしたのでした。
でも、私も褒められてはじめて、そこにいていいような気がした瞬間はあって、なんでかなぁと思いました。もっと当たり前に「ここにいて大丈夫」という感覚が持てたらいいし、だれでもそう感じられる世の中がいいと思うけれど、そうは思えないような感覚が、学校の中にも家にも、いろんなところにある気がします。
「我慢できて偉いね」といった言葉かけの積み重ねは子どもの心にダイレクトに影響を与えるものだなと改めて感じます。そして、褒めてもらうことが「そこにいていい」という許可みたいになっていたら、褒めてもらうことを切実に求めるのって当然なことな気がします。あなたがそういう言葉の中で自分の居場所を探してもがく一方で、大人にはそれが伝わらなくてむしろ叱られてしまうのは、なんだかやるせない気持ちになります。周りの人の評価を無視できない感覚の中で、自分の気持ちを言えなくなってしまうのも無理もないように思いました。
その中で配信者さんに匿名で相談したことは、きっとすごく勇気のいることだったんじゃないかなぁと思います。もしかしたら、何年もその人の配信を見てきた中で、ある種の信頼感を持てたから、相談してみようという気持ちになったのかなとも想像しています。そして同時にあなたが状況を変えたいと感じている気持ちもひしひしと感じています。
「褒めてほしい」という古傷、「逃げ癖」とありましたが、私はどちらも人間という生き物の自然な心の動きであって、本来否定する必要はないものだと思います。逃げることってなぜか悪いと言われがちですが、普通に考えれば、ものすごく大事な生存手段だと思います。ただそれにとらわれてしまったり、ほかの選択肢を選べないような状況があるなら、そのメカニズムを考えることには意味があるのかもとも思いました。
それはあなただけの問題というか、上に書いたように社会や環境の問題のような問題の部分が大きい気がするし、あなたが「変わるべき」って話でもない気がするなぁと思っています。ただ、すくなくともあなたの苦しさが減る方法はなにかないだろうかということは気になっています。
相談できない中で抱えきれなくなってしまうことの不自由と苦しさもあると思いますし、自己分析を続けていると、自責ばかり膨らんでしまうこともあると思うので、あなたがどこかですこしずつ自分の思いを表現したり、言葉にして誰かに伝えたりできる機会があるといいのかなとも思いました。誰にも言うことがむずかしいなか、死にトリを見つけてくれてありがとうございました。

感想2

褒められたい、認められたいという欲求は、人間にとって自然なものだと思います。幼い子が「見て見て!」と自分をアピールすることは、周りの大人たちに褒められ、認められることを通じて「自分はこの世界にいてもいいんだ」と確認する作業なのではないかと、今ふと思いました。社会的動物とまで言われる人間にとって、他者との関係性の中に安心して自分の身を置けることは極めて重要なのではないかと感じます。だからこそ、自分は存在していいということの確実性を高めたいし、常に確認しておきたくなっても仕方のないこと、そしてそれを実感できる手段の一つが「褒められる」という行為なのではないかと考えました。

かくいう私もそれはもうとんでもない承認欲求モンスターキッズでした。とにかく親をはじめとする周りの大人たちから認められたくて必死で、良い子になろうと頑張っていました。なぜなら「大人の言うことをよく聞いて、大人の望み通りに振舞えば褒められる」と学習してしまったからです。理由こそ違えど、褒めに依存して苦しい思いをした構造は似通っていると思いながらこれを読んでいました。
私は「偉いね」「よく頑張ったね」、その一言を貰えた瞬間に全身を駆け巡る快感の威力を知っているので、人間が褒められることに固執することは全く不思議ではないと思うし、承認欲求が行動に全く絡んでいない人を見つけることはとても難しいように思います。

人は体験から学ぶことができる生き物で、特に幼少期に学んだことはいつまでも響く強烈なインパクトを残すものではないかと思います。なので、あなたが幼いころから学んできた褒めを獲得する方法に囚われているのもおかしいとは感じませんでした。
「これをやったら褒められる」というパターン化された行動と報酬は、不確実性が小さくなるという意味で人に安心をくれるけれど、その一方で「これをやらなければ褒められない」と行動を束縛し、強迫的な観念を生んでしまうことにも繋がると思いました。多分、人間に与えられるべきなのは「○○しているから偉い」という条件付きの承認や褒めではなく、「あなたの存在そのものが尊い」という無条件の承認なのではないかという気がします。でも、成果主義の濃い今の社会ではこういう褒められ方はなかなかされないですよね。
多くの人が大なり小なり誰かに褒められたい、認められたいと思っていて、それを利用するビジネスのなんと多いこと。SNSを見れば、承認欲求に支配された人ばかりです。けれど、それはおかしいことでも悪いことでもなく、人として当然の姿なのだと私は感じます。大事なのは欲求そのものを手放すことではなく、自分の持っている欲求と向き合って、安全なお付き合いをしていくことなのではないか、そんなことを考えました。

一人で頑張ってばかりだったあなたにとって、配信者さんに相談したり、ここに書きこんだりして自分の気持ちを人の目に触れさせたのは大きなことだったろうと思いました。一人で抱え込むといっぱいいっぱいになってしまうから、こんな風に気持ちを書き殴るのも良い対処法だと思います。
「○○しなければならない/○○してはいけない」や「褒められるために○○する」という条件の外側で、「あ、今何もしなくても大丈夫だった」とか「人に話しても大丈夫だった」とか、少しずつ、褒められること以外で安心が感じられたらいいなあと思うのでした。自分の中の「褒めてほしい」と向き合うことに疲れたらしばらく放っておいていいと思うし、逃げることも立派な自己防衛です。あなたの中の「褒めてほしい」あなたが安心してくれること、あなた自身が肩の力を抜いた楽な状態で暮らしていけたらいいなと思いました。

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