経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生と死

私は社会人になったら絶対にレールを外れてはいけないと言う思いで約15年間働いてきた。2年前にはパワハラがひどい上司がいるため転職を行い今の職場に就いた。だが仕事に起きるストレスによってまた服用している安定剤とお酒の相性が悪く、お酒を飲むと散財してしまうと言う散財癖が出てしまい任意整理を行い、現在は任意整理中も家計状況が大変苦しい状況になってしまっている。それでも父方の母親はまだ存命、母方の両親も存命、両親はともに健在のため、今自分が死んでしまったときの周りの人々が悲しむ事は容易に想像ができ、ここまで育ててもらった、またお世話になった人にも私が死んでしまう事は失礼にあたると思い、死にきれずに今日も生きている。20代の頃にはできていたことが30代には少しずつできなくなっていき、仕事のストレスの発散も20代の頃であれば外に出るなどすれば、すぐに落ち着いたものが、だんだんストレスのはけ口をいくら持っていたとしても、そもそもストレスのはけ口のスタート地点にたどり着くまでに労力が必要となり、正直なところもう誰かの為を思って自分が生きると言う今の現状には限界を感じている。今は生きるために仕事をして仕事のストレスで散財した支払いのために給料もらっていると言うわけのわからない状態になっている。それであればもはや死んでしまったほうが自分のためであり、これ以上社会にも迷惑をかけない状況になると思う。これを見ている人々の中でも同じような悩みを抱えている方がもしいたとしたら、あなたの感性は間違いではない。他人である以上は他人の人生に踏み込むことはできないが、生きているのも迷惑、死んでいるのも迷惑であれば生きるしかないのではないか。そんな自問自答、日々繰り返しながら、どんどん歳を重ねどんどんストレスのはけ口にたどり着くまでの足取りが重くなり、最後はどうなるかはわからない。ただ1つ言えるのは、人間は生物である以上いつかは必ず死を迎える。であれば、残された時間可能な限り迷惑を周りにかけ、そして周りに支えてもらい、何とかはいつくばって生きるのも1つ手ではないだろうか。なぜなら、迷惑をかけた側もかけられる側もいずれ死ぬのだから。とは言え、残された時間を辛い思いを抱えながら生かされるには、約数十年は、あまりにも長く辛い日々である。

感想1

自分もストレスがたまると散財するタイプなので、ときどき「なんか分かるかも」と思いながら読んでいました。「仕事でストレスがたまる→散財する→仕事でお金を稼ぐけどストレスがたまる」というループにハマったことが自分にもありました。もうその仕事はやめましたが…。
あなたの場合はいつからその状態なのかな、と純粋に疑問に思いました。2年前に職場を変える前もそういった状況だったのか、それとも今の職場だからなのか個人的に気になりました。どの職場でもそうだとしたら、仕事のどういうところがストレスなんでしょうか…。解決するといいのですが…。

また、「レールを外れてはいけない」って結構しんどくないのかなと思いました。かく言う私はいわゆるレールに乗っているタイプなのですが、レールに乗っているということは、時々「レールから外れる恐怖」を感じるということかもしれませんし、それは息苦しいなと思うときがあります。
インスタで仕事をやめて世界一周をしているバックパッカーを見たことがあって、「いいな」って思いました。でも、その人にはその人なりの大変さがあると思うので、いわゆる「隣の芝生は青く見える」状態なのかもしれません。
個人的には「生きているのも迷惑、死んでいるのも迷惑であれば生きるしかないのではないか」という文章が印象に残りました。あなたなりの哲学が垣間見えたように感じるからです。
もし自分が「生きているのも迷惑、死んでいるのも迷惑であれば」という文を見たら、その文に続けて、あなたが書いたことと逆のことを書くかもしれません。
ストレスのはけ口がだんだん遠のいていく、そんな真綿で首を締められるような状況で生きていくという、なんだか悲痛に思える思いを感じ取りました。また、「残された時間可能な限り迷惑を周りにかけ、そして周りに支えてもらい、何とかはいつくばって生きるのも1つ手ではないだろうか。迷惑をかけた側もかけられる側もいずれ死ぬのだから」という部分からは、多少違うかもしれませんが、楽観的虚無主義のような雰囲気を感じ取りました。「つらい状況でもなんとか生きようと思うけど、生きるのはつらい」という揺れる気持ちを感じました。

感想2

人生の先を考えるとあまりにも長く、今と同じ日々をただ繰り返し続けていく・・本当の意味で今を生きている実感を持つことができない、変化のための選択の自由もない、そんな檻の中にいるイメージが浮かびました。

死にたい気持ちは、もしかしたらずっと前から抱えているかもしれないし、最近抱えはじめた気持ちかもしれません。それでもここ数年の出来事から強まった苦しい日々が積み重なって、徐々にあなたの全身を締め付けるように、死にたい気持ちが強まってあなたの中に大きく住み着いている印象を受けました。そんな状態の中日々を過ごされていることを想像すると、常にうつ状態であることに加え、ちょっとしたことでも疲れてしまったり、ダメージが大きく感じたりするのではないかなと思ったりもします。

一方であなたがこれまで困難に直面した時に解決するために行動されてきたことも、しっかりと感じています。パワハラを受けての転職、精神を安定させるための通院、散財による任意整理・・どれもその時々で解決策を見つけ実行されてきたように思います。本来課題解決のために行動することと言うのはそれだけでよくそこまで頑張った!という気持ちにわたしはなるのですが、どちらかというと悔しさや情けなさなどの気持ちも感じていらっしゃるように文章から感じました。周囲からの視線も怖く感じることもあったのではないかな・・とも感じます。

パワハラを迅速に解決できない会社の対応、強いストレスを感じる会社や社会のあり方、簡単に借金ができる制度と仕組み、返済するために働かなければならない牢獄・・きっとあなた自身の責任であることというのは本当は微塵もないのではないかな、と私は思ってしまいます。どれだけの人がこのストレス社会と簡単に借金ができる仕組みの中で、知らない間に労働の牢獄に閉じ込められているかわかりません。これは自己責任では済まされない、社会的な問題だと思えてなりません。

迷惑をかけあい支え合いたいという人間本来の想いと、助けを求めることがとても難しい自己責任を押し付けられる社会との狭間で苦しくなっているあなたも感じました。あなたの責任ではなくこれは社会の責任だということ、死にたい気持ちもあなた個人の問題ではなく社会の問題であること、それを分かってくれる人や場所のそばにいてほしいな。堂々と助けを求められる場所、ここがその一つになれたらいいなという思いを抱きつつ、また必要な時にはぜひ書きに来てほしいです。

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