現在大学2年生の21歳です。遡れば、幼稚園生の時からいじめを受けていました。小学生の時も中学生の時も違う人からのいじめを受けていて、人間関係を築くのが怖いです。
中学生の時は半不登校だったのですが、少しずつ登校できるようになって全日制高校に入学しました。しかしうつ病が悪化して通信制へ転入。そこから療養のために2年ほど留年し、今に至ります。
やりたいことがあってやりたいことができる場所に来れたのは良いのですが、最近はうつ病も悪化気味です。家族も機能不全気味で、自ら離れたくて離れたので、うつ病の療養のために休学して実家に帰っても、もっと悪化する未来しか見えません。家族は妹が引きこもり、両親は過保護なのに助けて欲しい時に全く助けてくれないタイプ、決め付けで怒鳴ってきたり、気合いでどうにかさせようとしてくる感じです。幼い頃から「あなたはしっかりした子だから」と妹の世話を任されてきて、ずっとうっすらプレッシャーを感じてきました。引きこもりの妹の世話を大人になってまでしないといけないような雰囲気があって、それも本当に嫌です。一人で自由になりたいのに安心できる帰れる場所が欲しいと思ってしまいます。
大学も最初の頃は家族と離れられた高揚感と好きなことを学べるウキウキで行けていたのですが、最近になって仲良くしていた子達にとばっちりで縁を切られたりしてしまい、行く気が起きません。とばっちりでというのは、「自分たちの気に入らないあの子と仲良くしているなら、君は悪くないけど縁を切るね」みたいな感じのことを言われたのでそういうことです。
地元を出たことにより旧友とも縁が切れてしまい、ひとりぼっちというか、誰かに頼ることができなくて辛いです。このまま大学も行けなくなったら仕事にもありつけないし、正直考えるのも疲れてしまいました。死にたいというよりは、もう全部やめにしたいです。出席日数もだいぶマズイのですが、寝床から起き上がれずに天井を見上げる日々です。薬も効いてるのかよくわかりません。自傷も自殺もできない上に、身近な人にSOSも出せない自分に腹が立ちます。何かが軌道に乗り始めると何かがだめになる自分と環境が大嫌いです。
全部大丈夫になるか、全部終わるか、どちらかになれと毎日思っています。誰かに助けてほしいです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
全部やめにしたい
感想2
いじめによる心の傷つき、体調悪化による思い通りにならない体への苛立ち。言葉では言い尽くせないほどのしんどい時間を経ての1年目、地元から離れた安堵感や解放感が気持ちの多くを占め、謳歌するぞという高まりも強かったのではと想像します。様々なことがありつつも新生活と総称し過ごしてきた日々から一転、再度体調不良に見舞われうんざりとした気持ちがあなたを覆いつくした。助けて欲しいのに、助けてもらえない。居るのに居ない、家族の重さが余計に肩にめり込むようなそんな気だるさも感じます。
高校までと違い大学ではカリキュラム含め友達関係も過ごし方も、自分自身で組み立てなければならない。自由ではありつつも、気が抜けないそんな気持ちがどこかあったように私自身の大学時代を振り返り、あなたに気持ちを重ねます。「君は悪くないけど縁を切るね」どうにも理解できない言葉さえも、自分から周囲に判断を仰いだり、自分で受け止めたりしなければならない。誰かを頼るのも、いちいち頑張らなければならないのは正直キツイよねと、勝手な共感をあなたに求めてしまいそうになる私がいました。
うまくいかない自分を責め、天井を見上げながら流れる涙が喉につまり、ゲホゲホと咽て今度は身体反応で涙が出る。このプロセスがしんど過ぎると、「全部大丈夫になるか、全部終わるか」あなたの口をついて出たように思います。仰向けから、横向きになってみたらどうだろう。あなたの背中をさするような言葉は何だろうと考える私がいますが、うまい言葉が見当たらない。けれど、嵐が過ぎるのを共に待とうと思うような気持ちでいます。投稿、ありがとうございました。
感想1
幼い頃から人との関係で傷つく経験が重なり、家では年齢以上の役割を背負いながら過ごしてきたあなたにとって、大学入学はとても期待に溢れたものだったのだと読んでいて感じてきました。環境が変われば状況も変わるはずと思っていたのに、新しい場所でも思うようにはいかないことが続き、「どこへ行っても同じ」という感覚につながってしまったのかもしれないなと思い、切なくなりました。ただ実際には環境そのものが悪いわけでも、あなた自身が悪いわけでもなく、これまで積み重なってきた傷つき体験が、新しい出来事をより大きな苦しさとして感じさせてしまったのだと思いました。
今まで、自分が苦しい時には誰かに支えてもらうよりも、「自分で何とかしなければ」と生きてきたのかなと想像しました。本当なら守られる側であってもよかった時期に、気づけば誰かを支える立場になっていたのだとしたら、人を信じることや頼ることが難しくなってしまうのも無理はないように思います。私は、人は安心できる場所があって初めて挑戦する力が湧いてくるものだと思っています。だから、「頑張れない」のではなく、「安心できる土台がずっと不足していた」のではないかと読みながら考えていました。社会では努力や自立が求められることが多いですが、それ以前に「安心して失敗できる場所」や「弱音を吐いても大丈夫だと思える相手」がいるかどうかは、生きていく上でとても大きなことだと思います。相談できないこともあなた自身が悪いわけではないし、小さな子供の頃から、“苦しいこともある程度我慢するべき“というような雰囲気がある社会にも問題があるのかもしれません。
私も大学入学時に友人関係で同じような経験をしました。他人事とは思えず、もう4年間通えないのではないかと、絶望したことを思い出し、あなたも今天井を見て涙を流すこともあるのかなと勝手に想像しています。ここで今あなたが「誰かに助けてほしい」とSOSを出せたように、その気持ちが現実の誰かに繋がってほしいと願ってしまいます。投稿ありがとうございました。