経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

この先40年と少し、どうやって生きるのか

新卒3ヶ月目、塾長をしています。朝寝坊して10時頃に起き、働いて、残業して、家に帰る頃には日付が変わっていることもあります。この先40余年、ずっとこうやって生きていくのでしょうか。3ヶ月でもう私は無理だと思ってしまいます。
何も上手くいかない。生徒の成績を上げてやれない。志望校に受からせてあげたいけど、本当にできるのかな。
上司は失敗してもいいと言うけれど、私の1年は受験生にとっては人生を左右する1年です。失敗してもいいなんてただの建前です。私なんかが塾長になってしまって申し訳ないです。でも、今辞めても迷惑がかかります。ただでさえ前任が半年で辞めてしまったのに、コロコロ先生が変わる塾って、生徒にとっては不安でしかないでしょう。

だから1年。1年耐えようと思いました。それから決めても遅くないと思いました。
でも無理です。仕事が遅くて残業しなきゃ追いつかないのに、明日にやれと言われます。じゃあ明日の仕事はまたその次の日に持っていくんですか?その次の日の仕事は?そうやって、どんどん自分の首を絞めるんですか。
受験校や制度の勉強もしなければなりません。サボったので、ツケが回ってきています。なんでちゃんと出来ないんだろう。勉強しなきゃと思うのに、スマホを触って、いつの間にか寝落ちて。毎日そんな感じ。上司に最低限の勉強を指示されます。無理ならば言ってほしいと言われます。無理ではないです。実家暮らしで楽をしていますから時間はあるはずなのです。ただ、やろうと動けていないだけ。自己嫌悪で動けなくなっているだけ。そんなのどうやって言えばいいんでしょう。上司はカウンセラーの先生ではないのに。
自己嫌悪で首を絞めて、苦しさに咳き込んでやっと、ほっと息をつきます。体は生きようとしていて、息が吸えた快感を生きたいという気持ちだと錯覚させています。昔は首絞めしたらメンタルが危険なサインだから休もうと決めていましたが、もう社会人だから、休めないです。そもそももうサボりにサボって休みすぎなんです。睡眠時間だって8時間以上ある。寝すぎです。眠れないほど辛いどころか、惰眠を貪っているんです。

つらつらと取り留めのない文章になってしまいましたが、とどのつまりはほぼ全てが自分のせいで、変わろうともできていないサボり癖が悪いということです。いてもいなくても迷惑をかける。助けの求め方もわからなくて、助けてもらうべきか、自分をどうにかすべきかもわからずに一番楽な道を選びたいと、死にたいと思っているんです。

働かなくてはいけません。誰かの役に立てなければ、私は私が生きることを許せませんから。
働けません。迷惑をかけるとわかっているのに、それを更に積み重ねるのが申し訳ないです。
働きたくありません。何の目標もなく、心の支えも上手く見つけられず、価値のない自分に無理やり価値を見出すことに疲れました。

みんなどうやって生きているんでしょう。社会人という終わりのないシャトルランを、どうやって乗り越えているのでしょう。
環境を変えたら変われますか。自分を変えられないのは単純に甘えではありませんか。

今はただ、死ぬ日を思って生きています。命が終わる日か、職業人として終わる日かわからないけれど、その日に、その時に、少しでも死にゆく自分を尊べたらと、そんなかすかな希望を抱いています。

感想1

読ませていただき、仕事に対する責任感の重さと、それによって自分自身を追い詰めてしまう苦しさが強く伝わってきました。特に、生徒の将来に関する仕事だからこそ、「失敗できない」「迷惑をかけられない」という思いが大きくなり、自分を責め続けてしまう様子が印象に残りました。

文章の中では何度も自分を「怠けている」「甘えている」と表現していますが、私はそうは感じませんでした。むしろ、できなかったことばかりに目を向け、自分の努力や限界を認められなくなっているように私は思えました。責任感が強い人などは、自分を厳しく評価してしまうことがあるのだと改めて考えさせられました。

また、「助けてほしい」「助けを求めたい」と思っていても、その気持ちをどう伝えればよいのか分からず、一人で抱え込んでしまう葛藤がとても印象に残りました。誰にも迷惑をかけたくないという思いが強いほど、本当は助けを必要としているにもかかわらず、苦しみを一人で抱え続けてしまう事があるのだと感じました。そのような人に対して、ただ「頑張って」と励ますだけでは十分ではなく、安心して弱音や本音を打ち明けれる環境や、「助けて」と言っても受け止めてもらえるという安心感のある支えが何より大切なのだと改めて考えさせられました。また、助けを求めることは決して弱さではなく、自分を守るための大切な行動であり、その一歩を踏み出せるような社会や周囲の理解が必要だと強く感じました。

最後になりましたが、誰かを支える仕事だからこそ、自分自身の心と体を守ることも大切なのだと感じました。頑張ることだけを休めるのではなく、安心して相談できる環境や、「休むことも必要な選択肢だ」と言える社会であってほしいと感じ、これも社会の課題でもあるのかなと思いました。
これからのあなたがどのような目標を持ち歩み始めて行くのかが、とても気になりました。よかったらまた、よかったらここに書きに来てください。

感想2

経験談、読ませていただきました。
私としては、新卒3か月なのにも関わらず、「塾長」ということに一番驚きました。

私の経験では、新卒3か月目というのは、まず、その会社がどういう場所なのかや自分の仕事を把握する、生活リズムに慣れる、そういった働く上でのベースを整える段階のように認識していたので、あなたの役職があまりにも、段階を飛び越したもののように思えて、その塾の体制について「どういうことなんだろう…?」と違和感を感じました。そして、あなたの経験談を読む限り、業務も膨大で、塾長だからこそ、生徒の進路や人生にかかわる役職だろうと考えると、とてもあなたに負荷がかかっているように見えました。

しかしながら、それでも、あなた自身が自分のさぼり癖が悪いからだと表現されていることを見て、あなた自身の問題だと片付けられてしまうことに切なさを感じました。
というのも、前任の塾長も半年でやめたということだったので、やはり、負荷があまりにも重たい、一人に抱え込ませてしまう職場の体制(環境)のように思えたからでした。
結局、上司の方も、自身に責任がないからこそ「失敗してもいい」というのかもしれないし、確かに失敗してもいいと伝えることで少し責任感をやわらげよう、楽にしようと思っての声かけだったのかもしれませんが、業務量を減らしてくれるわけでも、その他フォローをしてもらえる環境ではないことを考えると、気休めにもならないかもなと個人的には思えました。

だからこそ、まず私自身は、そもそもあなたに要因があるというよりかは、結構環境にもあなたが追い込まれてしまった、働きづらさを感じさせてしまっている要因があるのではないかと感じずにはいられませんでした。それを踏まえ、私自身はあなた自身がもっと初歩的な段階を踏んでから、塾長になったとしたら、また状況は変わっていたのではないか、もっとフォロー体制が整っていたら、あなたが今のように追いつめられることはなかったのではないかと感じずにはいられませんでした。

しかしながら、そうはいっても、今働いている職場はそこだし、当たり前のように毎日仕事が降ってくる状況…。あなた自身も、責任感を持って、生徒の人生を自分事として向き合えるからこそ、そう簡単に投げ出せない部分があるのかもしれないと思いました。

何をもって価値がある人間なのか、誰かの役に立たないと価値がないのか…。そもそも、役にたつってなんなのか…。私自身にもわかりませんが、実は私も新卒の会社で、責任が重い役職に就き、心身ともにやられてしまい、結局働けない時期がありました。その際に働いていない自分に価値を見出せず、さらに精神的にやられてしまった部分があったからこそ、あなたの気持ちをわかりたい部分もありつつ、それを経たからこそ、働けない時も人それぞれあるし、それは自分が要因だけでなく、実は環境や社会的な背景も大きく関係しているのではないかと伝えたくなりました。そもそも、働いてくれたほうが、社会としては都合がいいので、こんな考え方になってしまっているのかと思う自分もいます。

あなたが今後働くか働かないかはあなたの人生なので委ねたいと思うのですが、結局責任を放棄して私自身は休んだことがあったこともあったので、なんとなく感想を書いてみました。
(ちなみに、私は学生時代に長時間バイトしていたので、本来雇用保険の求職者給付を利用できるはずだったのに、知識がないばかりに傷病手当金のみ、受給して生活していました。)

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