経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生きたい

就活は辛いですね、中途半端な完璧主義の私には向いていない。
私は今まで逃げて生きてきました、辛いと感じたら逃げてきた、現実逃避ばかりしてきた。そのツケが今回って来たんだと思います。頑張らなかったツケが
もちろん私は就活でなにもしなかった訳ではないんです、面接などやりたくないのに、キャリアセンターの先生に連絡し面接練習をして欲しいと頼んで、履歴書等の添削を頼んで、企業研究も業界研究もノートにまとめ、暇な時は会社のホームページを見ていました。
ですが結果はお祈りメール、
自分なりに、キャパオーバーしないように頑張って来たのに、やはり私は周りと同じスタートラインに並ぶこともできないんですね。
そしてやはり頑張りが足らないんだと感じた。私はなにもできていないですから

それに、私は面接で嘘をつくのが嫌なんです、深掘りされた時にきっと黙り込んでしまうから、だから真実を話してきた、ですが前回の最終面接では嘘をついた方が良いと聞こえるようなアドバイスを受けた挙句、会社で言っていることと面接官の上の人が言ってることはなにかズレが生じていると感じました。

なんだか馬鹿らしくなってきました。
面接などただの茶番でしかないと感じました。

私はこんな社会で生きていられないです、それに、もう二度と同じような苦しい思いをしたくない、また面接だって最初からです。
私にはもう耐えられない、もう疲れました、こんなことでと言う人がたくさんいると思います、まだ始まったばかりで良い所に会えていないだけと言う人がいると思います、きっと私の母も言うでしょう。
ですが私にはもうこれ以上できる気がしない、こんな世の中でこんな社会で、生き抜くことは到底できない、耐えられない。

でも、私は死にたくないんです。
家族のためにも友人のためにも恋人のためにも、私は大事な人のために今までだって生きてきた、私のせいで悲しませたくないから。
3月に亡くなった父親との約束を守るためにも、生きたいんです。

でももう、つかれた、私が自暴自棄になっておかしくなって誰かに危害を与える可能性があるくらいならば、私がこの先就職できずに家族に迷惑をかけるくらいならば、私が死んだ方が遥かにマシです。そうすれば、私の家族や友人や恋人はただの可哀想な人になる。
でも、死にたくない、私だって痛いのも苦しいのもいやなんです、勇気もない、でももう同じことを繰り返すことは私にできる気がしない。

言われることもすべてわかっているんです、少し休めばいいと、辛いなら一旦逃げようと
でも私がそれを許さない
私はまた逃げようとしている自分を許せないんです。
恋人が私を認めていたって、私は私を認められないんです。

それに、頼って欲しいと言われても、頼ってなにになるの?と言ってしまう、面接の時は私の技量であって、頼ったところで根本的な解決に至るわけじゃない。
ずっと一緒にいると言われても、ずっと一緒にいて、なにになる?と
1人じゃないよと言われても、面接は最終的に1人でしょ、と。

励ましてくれているのに、こんな酷い応対しか出来ない自分に嫌気が刺します。迷惑かけたくないのに、私のせいで巻き込みたくなかった、話さなきゃ良かったです。

うまく言語化が文章が作れなくて読みづらくなってしまい申し訳ないです。
私はただみんなと同じように生きたかったです、それだけなんです。私のせいで心配もかけたくない、辛い思いをして欲しくない、でも本当にもう疲れたんです。楽にならせて欲しい、許して欲しい。

感想1

就職活動は、自分を知ってもらう場と言われますが、実際には“自分の良い部分”や“評価されそうな部分”を切り取って言葉にしなければならない場でもあるように私は感じています。本当は迷っていることや、自信が持てないこと、うまくできなかった経験も全部ひっくるめて自分なのに、そのままでは評価されにくい。だから少し背伸びをしたり、前向きに聞こえる言葉を探したりすることが当たり前になっていて、そのことに疑問や苦しさを私は感じていたことのある1人でもあります。
私自身も、初めてアルバイトや就職活動をした頃、「何がしたいの?」「なぜうちの会社なの?」と聞かれて困った経験があります。もちろん夢や目標がはっきりしている人もいますが、「家から近いから」「生活のために働きたいから」という理由だって、本当は立派なきっかけの一つだと思うのです。それなのに、面接になると、もっと立派な理由を探さなければいけないような空気があって、いつの間にか“本当の自分“と”求められる自分“の間で苦しくなってしまうことがあるように思います。だから「面接で嘘をつくのが嫌なんです。」という言葉に、私はとても共感しました。きっとあなたは嘘が苦手というより、自分の言葉に責任を持ちたい人なのかなと想像します。だからこそ、本音ではないことを話すことが、自分を少し否定してしまうような感覚になるのではないでしょうか。
そして、「頼って何になるの?」という言葉も、とても正直だと思いました。面接は最後は自分一人で受けるものですし、誰かが代わりに人生を歩いてくれるわけではありません。だから今は、励ましの言葉さえ苦しく感じてしまうくらい疲れ切っているのではないかなと感じました。励ましは自分の余裕がない時には、とても綺麗事のように聞こえて素直に受け取れないこともあると思います。素直に受け取れない自分に嫌気がさしてしまう気持ちもとてもわかります。でも、後悔があったとしても、周りを悲しませたくない、迷惑をかけたくないと常に思っているあなたが、周りに相談や言葉にしたことは(しょうがない想いがあったとしても)、無駄なことではないと思うし、自分の頭でループするだけでなく言葉や文章にして吐き出すだけでもきっと違うと思いました。何度も自分を責めながら、それでも生きたい気持ちを手放していないあなたがいることを、教えてもらいました。苦しい気持ちを言葉にしてくださり、ありがとうございました。

感想2

いやあ、辛いですよね…と終始頷きながら読んでいました。あなたが周りの人を思いながら暮らし、これからのことをよく考えながら真剣に就活に取り組んでいること、とても頑張っている様子が伝わってきました。面接練習、履歴書添削だけでなく、情報収集もしっかりやっているということは、かなり早期から準備していたりするのかなと想像していました。私の周りには、情報をノートにまとめるほど熱心に就活している人はいなかったので驚いてます。やりたくない気持ちを抑えながらもこれだけ頑張っているのに、なかなか結果が出ないのでは嫌になって当然だし、心身ともに疲れて余裕がなくなってしまうのも無理もないと思いました。それに、お父さんが亡くなったことはあなたにとってそれはそれは大きなショックだったろうし、気持ちの整理がつくにはまだ十分な時間が経っていないのではないかと感じました。

しかし、個人に何があっても採用選考期間は勝手に訪れて、どんな事情があってもそれに乗って働き口を見つけなければならないというのが今の日本の大学生のメインルートです。というか、今の社会のなかではそれ以外のルートがほとんど提示されず、そこから脱落すればほかに道はないという緊張感を植え付けられている、私は現在大学にいてそんな雰囲気をひしひしと感じます。そして就活というシステム、エントリーシートで企業ウケのいい立派なことを書き、面接で思ってもないことを吐き、自己一致しない言動を繰り返すなかでどんどん自分が分からなくなっていく気がします。「自分の強み・性質がよく伝わるように見せ方を変えるんだよ」みたいなことをアドバイスされますが、そうはいっても、じゃあ自分の本音・本質とズレた言動を繰り広げた結果採用されたとしたら、入社後もずっと取り繕った状態で働かなくてはいけないということになるのではないか?企業は自分を誤魔化すのが上手な人を採用したいのか?と私は全然納得できません。しかし、周りのみんなは続々とそれを上手いことやり遂げていてたまげるし、こんなに不器用で頑固なのは自分だけなのではないかと、私はたまに悲しくなってしまいます。でも、経験談を眺めていると就活で苦しんでいる人がとても多いことが分かり、こんなに硬直的で融通の利かない社会のシステムの方が変わるべきなんじゃないかと思わずにいられません。

ところで、あなたはいま自分に逃げることを許していないけれど、そう思ったきっかけが何かあったのかなと思いました。多分あなたは今までたくさん辛い目に遭ってきて、そこからなんとか逃げることで生き延びてきた人なのだと感じています。「逃げるな、立ち向かえ」という人もいるけれど、同じく逃げることで生きてきた私としては、あえて苦しんだり傷つく必要はないし、常に人は安心安全な場所にいるべきだと思っています。
いまあなたが自分に対して就活から逃げるのを許さない、逃げられないのは、家族、友人、恋人を悲しませたくないというのが大きくて、その行動にはあなたの気持ちや意志は不在であるかのように見えました。周りの人は、あなたが無事内定を取れれば安心するんだろうけれど、現在の疲労困憊しているあなたを見ていることもまた辛いのではないかと勝手に思いました。人を頼ったところで、話を聞いてもらったところでESは通らないし、面接が円滑に進むわけではないけれど、ほんの少し、ほんの一瞬でもあなたの気持ちが楽になったら幸いだと思って私もこれを書いていました。

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