経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

つらいの、きえたいの。うったえさせて。

世界がどうでもよく見えたあの日のこと。

前にも描かせて頂きました。感想も読ませていただいて、心が暖かくなったのを覚えています。それでも拭いきれなかったもの達を、吐き出していけたらなと。

進学した高校は地区の中では学力が高く、私はあまり見合っていないような気がしていました。そんな中で迎えた定期テスト。‪部活の友達から言われた言葉『𓏸𓏸ちゃんには勝ちたい。』今思えば、私を苦しめたひとつなのかもしれません。定期テストギリギリまである部活、慣れない生活でストレスや疲労は溜まって。”自分の価値って何?もう死んでもいいよね。”こんな事ばかり考えていました。テスト本番でもずっと『死にたい。』家に帰っても自殺の方法を調べて、上手く眠りに付けなくて。そんな日々を過ごしていました。

テストの点数はそこそこ。自分の予想通りだったのに、いつもなら居なくなる”死にたい”の四文字がいつまで経っても消えない。
なんなら増える一方で、とにかく辛かった。
未だに消えない死にたいの文字。処方された薬でよくなることも起きずにいたんです。

学校で受けたカウンセリング。初めて先生に死にたいを言った。全てを諦めたような顔をしていたと思う。行動に移せない自分が憎い。成長できない自分が嫌いだ。改めてそう感じていた。

周りからは気づかれにくい精神疾患。それは病気を隠そうと笑顔を作るから。普段通りに見えていても、実際は辛いと思っている。だからこそ、気づかれにくいのだろう。私も、友達や親の前ではニコニコの笑顔を貼り付けて、心配されたら『大丈夫』という魔法の言葉(お呪い) で取り繕うの。

泣きたくても泣けないの。笑ってる時、心が痛いの。助けが求められないの、下手くそなの。大丈夫だろうという眼差しで見ないで、辛いんだよ?『𓏸𓏸ちゃんなら大丈夫。』そんなことないからさ。比べないで、私だって頑張ってるの。冷たい視線はやめてよ。不安
になるし、より人を信じれないからさ。
いっその事、病名がついてしまえば楽なのかもしれない。そしたら何も考えなくて済むのかもしれない。

障害者の文字、害をなしてる訳じゃないのに書かれるのはこの字。心が弱くてなった訳じゃないのに、自分の意思でなった訳じゃないのに。だから、私は障がい者の方がすき。

みんながみんな頑張っているのは分かる。それでも偏見や差別を持っているせいで生きずらい人。自由を奪われて生きれない人。そんな人達が居なくなって、みんなが楽になる世界を、景色を見たい。

それでも私が楽になれる方法は、一つだけ。いつか、きれいな花のように散りたい。星になれればいいな。

全てが辛いの。消えたいの、死にたいの。

感想1

溢れ出したつぶやきを連ねたような、切実な感覚を受け取りました。学校でも家でも、どこでも、本当はべつに、笑顔でいなくたっていていいはずなのに、笑顔でいるべきって刷り込まれてしまう気がします。私も、つらくて死にたくて泣きそうでも口の端をなんとか上げて笑ってようって思って学校に通っていた記憶があります。心がつらいのってパッと見えないから、伝えることにまた別の労力がかかってしまう。周りを困らせてしまうかもか、伝わらないかもと思って生きてきたら「大丈夫」ととっさに口に出るのもわかるなぁと思うし、伝わらないことや誤解されることにまた傷つくのも疲れてしまうことだから、とてもむずかしいなぁと思って考えていました。病名や障害の名前があれば、「これだからつらい」ってちょっとは言いやすいこともある気もする。でも、本当はそうじゃなくても、しんどさがうまく伝わればいいのにな……と思っています。
私は自分でも「本当は自分はつらくなんてないんじゃないか」って自分を疑ってしまっていたのですが、あなたは自分のつらさをちゃんと受け止めて言葉にしているのが印象に残りました。自分の心が感じていることを信じるのって、案外、むずかしいことな気もします。でも、すこしでもしんどくない方法とか、過ごし方を増やしていくには、自分の心を聞いていることはとても大事だとも思ったりします。

「みんながみんな頑張っている」って私も感じることがあって、みんなうまくいってほしいけれど、そうじゃない世の中があって、私はいつも悔しい気持ちになります。(あと、本当はもっと気軽に頑張らないでもいられるといいのにって思います。)偏見や差別はなんでこんなにたくさんあるのだろうと思うけれど、私は大人になって、100年前とか、もっと昔のこれまでの歴史を改めて知っていく中で、これでも、すごくたくさんの偏見や差別がなくなって、いろいろな生き方で大丈夫な世の中に変わってきてるんだなぁと知りました。そう思うと、まだ変わっていくんだろうという希望もすこし湧いてきます。
あなたはきっと感性が豊かでいろいろなことを感じて生きている人なんだろうなと思います。そういう人が、心をすり減らせるのではなく、その感性を発揮していられるような世の中になってほしいと私は心の底から思っています。みんなが楽になるためには、みんなの、それぞれの感じ方を否定しないで「こうじゃないとダメ」とならずに、それぞれ大事にされる必要があるのかなと想像しています。あなたの経験談を読ませてもらって、改めて私はそんなことを考えていました。あなたの言葉を感じて、いろいろなことに思いを巡らせる機会をもらって、うれしく思います。投稿してくれてありがとうございます。また気が向いたら、あなたの感じていることを教えてください

感想2

辛い、消えたい、死にたいと呟くことは多々あり、またそんなつぶやきも多く目にしますが、語尾に一文字「の」がつくというそれだけで、ニュアンスが大きく変化するんだなと全然関係ないことも思っていました。心に余韻がずっと残るというか、あなたの痛切な気持ちがそのままぐっさりと刺さるような気がする、そんなことを感じながら読みました。

最近の生活で思ったこと、感じたこと、考えたことの断片を浮かんだままに書き留めているような文章だと思いました。まだ環境に慣れないなか、学業と部活を両立させなければならないハードな高校生活によって心身が疲れてしまっている様子が伝わってきました。そのためにあなたが普段感じる辛さ・希死念慮がより一層強くなってしまっている感じもしています。最近私が気づいたことなのですが、私は疲れると「疲れたなあ」よりも先に「死にたいなあ」の気持ちが出てくるようで、どうしてそうなってしまったのかはまだ解明途中なのですが、心身の相互関係の緊密さを実感しました。肉体的なものでも精神的なものでも、ストレスや疲労は心の余裕を無くしてしまうし、ネガティブな気持ちが繁殖するのに絶好の環境を作り出してしまうものなんだと思います。
けれどあなたは、その疲れや辛さを日常で必死で隠そうとしている一方、それに気づいてほしいという気持ちも抱えていて、その相反する気持ちの間で揺れていることもまた辛いのだろうと考えました。笑顔や「大丈夫」の言葉で取り繕おうとするのは、自分の辛さが周囲に知られてしまうこと自体が嫌なのか、心配をかけたくないのか、助けを求めようとしても上手くいかないので、辛さ自体をなかったことにして振舞いたいのか、多分色々思うところがあるのだろうけれど、その繕う動作そのものも疲れることなのではないかと思いました。

「障害者」の言葉の是非ですが、私の解釈としては「障害者」と呼ばれる人が周りに害をなしているのではなく、社会で生きていく中でその人にとって「障害」となる物事が多い人を指す表現だと思っています。身体的、精神的、知的な能力・特性は人それぞれ違いますが、個人の持っている何かが「障害」となるのは、社会がその人のことを想定していないデザインで運営されているためです。つまり「障害」は個人の内側にあるのではなく、社会の側にあるものだと思っています。私も、誰も傷つくことなく、すべての人が生きやすい社会になってほしいです。みんなの辛さをみんなで共有できるこのサイトも、きっとその一助になると信じています。

前回の投稿で心が暖かくなったとのこと、良かったなあと思いました。自分の気持ちを誰かに聞いてもらうこと、それにリアクションがつくこと、そのときの胸の中が暖まる感じや、肩の力が抜けるような安心感を私自身も感じています。また辛さが湧いてきたら、ぜひこちらに書きにきてください。

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