経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

わたしの人生だけハードモード

幼少期は宗教にはまった母と破天荒な父の間で、経済問題に悩まされたり、母の宗教活動を一緒にしたりしてきました。
大人になってやっと宗教から離れられ、2~30代はそれなりに楽しくやりたいことをやってきました。

30過ぎて縁あって結婚しました。夫はバツイチ子持ちでした。でも普通に幸せに暮らし、子どもも生まれ、それなりに楽しく生活してきました。

ところが最近になって、夫が平均余命数年の病気だということがわかりました。まだ40代、子どもは小学生です。
夫は転勤のある仕事で、わたしは結婚してから今までパートでしか働いていません。夫は手術しましたが、今後仕事復帰できるかわからない後遺症があります。今は傷病手当とわたしのパートでなんとかなるけど今後どうなっていくのか。障害年金をもらうには微妙な後遺症です。だけど収入の柱だった夫が働けなくなったのに、このままでは医療費も払えず生活もできず、家族もろとも死ねと言われているようなものです。

貯金は今はあるけど、いずれなくなります。
わたしが働けばいいと簡単にいわれますが、今から頑張って働いても夫が稼いでいた年収の半分にもなりません。
大体子どもが小さくてそんなに働けません。

こんな状態にした医者が憎い。
医者って簡単にこれは障害年金は難しいとかいうけど、現役世代、働き盛りだったんです。今働けなくなって、どうやって生きていくんですか??

こんな病気になった夫も憎い。
わたしが病気になりたかった。夫より先に死にたかったです。
なんの力もない自分も憎いです。

夫が亡くなってしまったあとの生活も想像できない。相続問題も出てくる。
何もかもが辛いです。

一家心中のニュースを見て、なんとかならなかったのかと思っていたけど、いまならその気持ちがよくわかります。
もうなんの心配もせずに消えてしまいたいです。

感想1

やっと幸せになれた。そんな時間を少しずつ積み重ねてきた矢先に、ご主人の病気がわかりその理不尽さ、苦しさが文章全体から伝わってきました。幼少期には家庭の事情でたくさん苦労をされ、大人になって宗教から離れ、自分の人生を歩き始め、結婚して、お子さんが生まれて、「ようやく普通の幸せを手にできた」と感じられる時間があったからこそ、今回の出来事はあまりにも残酷だったのだろうと思います。読んでいて強く感じたのは、病気そのものだけではなく、「これからどうやって生活していけばいいのか」という終わりの見えない不安です。傷病手当や障害年金という言葉が出てくるということは、今の状況を何とかしようと、ご自身でも制度を調べ、必死に道を探してこられたのではないでしょうか。それでもこのままでは生活できないという現実を前にして、福祉や制度に当てはまらないかもしれないという状況は、誰も助けてくれないと思い詰めてしまうほどの不安だと想像します。
働くといってもまだ小学生のお子さんがいて、ご主人の体調も気にかけながら、自分も働かなければならない状況は、あなたがいう通り簡単なことではないと思います。だから私は、この苦しさを「もっと頑張れば何とかなる」という話として受け止めることはできません。一方で、まだ一人で抱えなければならない状況ではないようにも感じています。医療費や生活費、制度のこと、ご主人のこれからの働き方など、病院の医療ソーシャルワーカーや地域の相談機関など、一緒に整理しながら考えてくれる人がいるかもしれません。もちろん、相談したからといってすぐに不安が消えるわけではないと思います。それでも、今抱えている重さを少しでも誰かと分けながら考えていける状況であってほしいと願わずにはいられません。そして何より、「夫が憎い」「医者が憎い」「自分が病気になればよかった」と書かれていた言葉の奥には、本当は誰かを責めたいのではなく、それくらい受け止めきれない現実に突然向き合わなければならなくなった苦しさがあるように私は感じました。誰かを失うかもしれない恐怖と、生活が崩れていくかもしれない不安を同時に抱えながら、それでも毎日を過ごしていること自体が、どれほど大変なことなのだろうと思います。もう消えてしまいたいという言葉が出てくるほど追い詰められている中で、この経験談を書いてくださったことに意味があるように私は感じました。どうかこの先、制度だけではなく、人とのつながりも含めて、一緒に考えてくれる人や場所と出会えますように。そんなことを願いながら読ませていただきました。

感想2

幼い頃から両親や宗教、経済問題に悩まされ続けた実家は、あなたにとって安住の地ではなかったのだと思いました。成長して行動力が付いたところでやっと柵から逃れられ、自分の家庭を持って…と順風満帆だったところ、配偶者の病気発覚はまさに青天の霹靂であったと感じます。突如として暗闇の中に突き落とされてしまったような気持ち、不安でいっぱいの状態でこれを書いてくれたのだと想像しました。
遺伝や生活習慣によって発症リスクの揺らぎはありますが、この社会のなかで生きる人たちは常に、誰がいつ、どんな病気になるか分からないままそれぞれ暮らしています。誰もが潜在的にリスクを抱えていて、それはみんながいつ破裂するか、あるいは一生破裂しないか分からない爆弾を背負っているようなものだと思います。しかし、まだ小さな子供もいるあなたが「どうしていま、よりによってこの人なのか」と思うのは当然のことだし、やりばのない、逃れようとしても逃れられない今後に対する不安、配偶者を失ってしまう悲しみなど、言い尽くせない感情が溢れ出して憎しみとして噴出していると受け取りました。

突然の病気というのは望みもしないのに与えられてしまうもの、自分でいかんともしがたいもので、それは人間が産み落とされ、育つ環境を選べないことによく似ていると私は思いました。自分が生まれる環境は自分で選べず、子どもは非力すぎてその環境を変えることは難しいし、運よく助けてくれる人が見つかったり、その場から逃げ出せないかぎりはそのステージで生きていくしかない人、生きていくしかなかった人たちが残念ながら存在すると思います。
「わたしの人生だけハードモード」という言葉は、最近のあなたから出た言葉なのか、それとも昔から思っていたことだったのでしょうか。この社会はリスクだらけで、いつだれが不運を引いてしまうか分かりません。特に病気や障害というのは、今の科学ではその全てを未然に防ぐということが難しく、もしそのリスクに当たってしまったとしても社会の側が生活を保障するというのが絶対に必要であるはずです。けれど、現状の制度は、あなたをこんなに不安にさせてしまうほどに不親切で、脆弱で、不十分なものなのだろうと感じました。
今を生活していくこと、これからを考えること、やることが多くて、何をすべきか分からなくて心も体も疲れているのではないかなと思っています。せめてこれを書くことでほんの少しでも気持ちが落ち着いていれば幸いです。

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