人生で二度目の休職中。
死にたくはないはずなんです。
けれど、生きていくことに疲れてしまって。
周りと比べて良いことなんてひとつもないとわかっているのに、周りと比べてしまったり。
自分が生きていることで、周りに迷惑をかけているように感じてしまう。
死にたくなるのも、周りに迷惑をかけているように感じるのも症状だって頭では理解している。それでも。
生きていたいのに、死んで楽になりたい苦しい夜が数え切れないほどあって、その夜を乗り越えることすら疲れてしまって。
泣きながら遺書を書いて、泣き疲れて薬を飲んで寝る日々。
通院して、次第に増えていく処方薬。ちゃんと内服している。
仕事も、もう8ヶ月も休んでいる。でも一向に良くならない。
あと何回こんな苦しい夜を迎えたら楽になれるのだろうか。
先のことを考えば考えるほど落ち込んでしまうから、今日をどう過ごすかだけを考えるようにしたけど上手くいかなくて。
どうしたら生きられるかをずっと頑張って考えているのに、全然何も思い浮かばない。
周りには生きているだけでいいと言ってもらえているけど、ただ息をしているだけの自分を認めてあげることも肯定することも許すことも出来ない。
結局死ぬことでしか、自分を救ってあげられないと思ってしまう。
生きていたいはずなのに、死にたい。
そんな自分がとても、情けない。
幸せになりたい、幸せになる未来が見えない。
明けない夜はないって、いつか暗いトンネルを抜ける日が来るって、それっていつ?
いつになったら、楽になれる?
いつか、そう遠くないうちに病気に負けてしまう気がする。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
生への両価性
感想2
個人的に、すごく身に覚えのある感覚が書かれていて、じわっと自分の記憶と照らし合わせるような気持ちで読み進めていました。私も何度も休職したことがあり、とにかく苦しさから逃げ出したくて、でも死ぬこと以外に逃れるイメージを持てずにいました。あなたの文章はとても理性的で、気持ちを抑えながら書いている部分もあるのかな……と考えていました。頭でわかっていることと、感覚的にそうできないことのギャップもあるのだろうなと思います。いまの世の中は自己責任論や「甘えるな」「迷惑をかけるな」というメッセージに溢れていて、私たちは日々普通に生きようとしているだけで、たくさんの否定を埋め込まれてしまう気がします。それは呪いみたいなものだなぁと思うのですが、呪いを解くのって簡単じゃなくて、焦りが膨らんでいってしまう状況もあるのではないかと想像しています。
その中で8ヶ月薬を飲みながら生活してきたことは、それ自体、あなたが自分へのケアをなんとかしようとしてきた証のように感じていました。でも「よくなる」実感が見つからない中で、休職は世の中の流れとも違う生活になって、不安も膨らむことを感じます。
精神疾患というと心の病気って言われるけれど、心身は分けることのできないもので、きっとあなたはこれまでの生活で心身ともにへとへとになってきたのだろうなと想像しています。私はこれまでかなり体を蔑ろにしてきたな……と思っていて、最近は冷えてないか、指先の感覚が痺れたようになっているなとか、こわばってるなとか点検したり、マインドフルネスなど色々試してみたりしてます。もちろんそれ自体エネルギーのいることだし今無理になにかをしようとする必要はないです。でもきっと、あなたの体も苦しい時には息がしづらかったり、ぎゅっと体がこわばっていたり、食いしばってしまっていたりとか、なにかの反応があるのかなと思ったのでした。それ自体も体が自分を守ろうとする反応で、一概に悪いことではないと私は思っています。でも、本当はリラックスした方がいい時にも力を抜くのがむずかしくなってしまっている人が、今の世の中にはかなり多い気がするのでした。
これまで重なってきた疲れは、一朝一夕ですっきり取れるものではないのかなと思うけれど、あなたが呼吸しやすく過ごせる時間が増えていったらいいな……と願っています。
感想1
「生きていたいはずなのに、死にたい。」この一文が、すべてを表しているように感じました。生きることは、これから起きるすべてのことに対して選び続けることでもある、と思っていて、当たり前のように見えるその積み重ねが、苦しさの中では簡単ではなくなってしまうことがあるように感じています。死ぬことを選択すべきでないと一般的には言うけれど、生きることを選ぶのは本当にエネルギーを必要とするものだと私は思っています。だから、「死にたい」というより、「もう頑張って生き続けることに疲れてしまった」という正直なあなたの言葉はとても心にスッと入ってきました。
また、「ただ息をしているだけの自分を認められない」という状況に周りの人は生きているだけでいいと言ってくれる。でも、その言葉を一番受け入れられないのは自分自身で、休んでいる自分、何もできない自分を許せず、「もっと頑張らなければ」と責め続けてしまうその苦しさはずっと張り付いて、考えることを辞めさせてくれないのだろうと想像します。社会の中では、「頑張ること」が評価され、「何かができる自分」に価値を感じやすい場面が少なくありません。だからこそ、病気によって立ち止まらざるを得ない時間は、「休んでいる時間」ではなく、「自分には価値がないのではないか」と問い続ける時間になってしまうこともあるのだと思います。でも私は、その苦しさをあなた一人の問題として片付けることはできないように感じました。誰でも病気や怪我、家族の事情などで立ち止まらなければならない時期はあります。それでも立ち止まりにくい社会だからこそ、自分を責め続けてしまう人が生まれてしまうのではないでしょうか。8か月休職し、通院を続け、薬もきちんと飲み、「今日をどう過ごすかだけ考えよう」と自分なりに工夫もしてきた。それでも良くならないと感じたら、「あとどれくらい頑張ればいいのだろう」と先が見えなくなるのは、とても自然なことと思います。でも「死にたい」という言葉以上に、「幸せになりたい」「生きていたい」という言葉の方が、ずっと強く心に残りました。私は最後まで読みながら、どうか少しでも安心して眠れる夜がありますようにと願ってしまいます。抱えきれない苦しさを言葉にしたい時にはまたお待ちしています。