私は小さい頃から早熟的な子供でした。
というのも、周りの大人から「大人だね〜」って褒められるのが嬉しくて、落ち着きのある冷静な子供でいようとしました。でもそれは、私が褒めてもらう為の手段だったんだと今となっては思います。ただ褒めて、認めて欲しかっただけなのに。
周りの子は子供らしく振舞っていても「えらいね、すごいね」って言って甘やかして貰えているのが悔しくて悲しかった。私には褒めて認めて貰う手段が、年齢にそぐわない大人であることだったのが辛かったです。
それからずっと、自分という存在を大人に、冷静に、自分の感情に振り回されない、真面目な人間であろうとし、いつしかそれが本当の自分になってしまいました。それと同時に私は自分に感情を振り回されないどころか、「嬉しい、楽しい」といった快感情を持てなくなってしまいました。でも、周りはそういう子なんだ程度で気づくわけもありませんでした。私は助けてほしい、いつだって認めて褒めてほしいという感情が増幅するばかりで、私から見たら幼稚に見えるけども、年相応で楽しそうに笑顔でいる同級生が本当に嫌いになりました。話も合わないし、「どうして周りと合わせなければいけないのか」「私を認めてくれない、褒めてくれない人と一緒にいなければならないのか」「奢ってくれるわけでもないのに一緒に遊びに行かなければならないのか」という感情に、ネガティブな方向にエスカレートしてしまいました。
また、私は家庭環境も悪く、母は精神疾患で父は苦手なタイプでした。後に父子家庭となり、私はうつ病と診断されました。受験では模試で成績が振るわないと貶され、良い結果を残せたとしても褒めてもらえることはなく、どんどん病状は悪くなり、進学をする際にも沢山勉強したのに、精神や体調の理由で共通テストを受験できませんでした。その時に当時の私に簡単に合格できそうな学校に入学することを決めましたが、学費がとても高く、散々親と揉めました。その時にも、私の体調や将来の心配よりも、お金は使ってはいけない、奨学金は悪だ、親に迷惑をかけるな、働けの一点張りであったことにショックでした。確かに、この状態でも学校に通うのは勿体ないと思うかもしれません。でも、言って働ける状態でもありませんでしたし、とにかく私は面倒で厄介な存在として認識されているのがとても悲しかったです。
それと、私は人の事をよく観察するタイプで、「この人はこういう立ち回りをすると私に利益がある」という損得を考えながら人と付き合っています。
そのおかげで一応、今の私に友達や恋人はいますが、やはり遊びにいこうという話が出ると、日頃の癖やこれまでの経験からお金を使うことを渋ってしまいます。どんなにアルバイトをしてもお金が無くなるのが怖いし、口座に増えていく数字に安心感を覚え、その時だけは安心出来ます。「今日は楽しかった、また遊びたい」なんて心からは全く思えません。「奢ってくれるなら行くけど、そうじゃないなら行きたくない」という極端な考えになってしまい、本当に損得しか考えらないような、こんな自分が本当に嫌です。
私も純粋に遊びや交際をお金で考えない人になりたい、損得なんて考えない純粋な気持ちを持てるようになりたい、楽しいと思えるようになりたいです。
感想1
大人らしくいることで褒めてもらえた経験は、幼いあなたが生きていくために一生懸命考えて身につけたものだったのかなと思いました。とてもいじらしく愛らしいと思う反面、成長とともに認められたいという気持ちが満たされない分、自分に「大人であれ」という呪縛を張り巡らしていたのかなと思うと、誰より周りの反応に敏感になるのも仕方がないのではないかと思いました。自分が努力をして得ているものが、周りは当たり前のように褒められ、認められていることに対して、怒りや苦しさを感じていたという部分は私も似たような経験があり、とても共感できました。心が満たされていれば気に留めないようなことも、気持ちが枯渇している時には、自分ができない、されないことへの嫉妬であるということも理解していながら、感情というものは制御できず相手を妬まずにはいられない、そんな感覚が私はありました。そういった思いをかかえて、自分でも処理しきれない中、きっと家庭環境のこともあり、安心して認めてもらうという環境を得ることができなかったのだとしたら、自分の安全をもたらしてくれる人をより厳選し選択してしまうこともあなたの自己防衛だったのかもしれないと感じました。そういった思考回路になる自分を責めているのだとすれば、あなた自身のせいだけではなく、そうせざるを得なかった環境もあったのかもしれないと私は感じました。私も家庭の経済困窮で高校の卒業を危ぶまれ、大学はアルバイト三昧の生活を送っていて、その時期としばらくは口座に増えていく数字に固執していた経験があるのでとても他人事には思えませんでした。損得で考えてしまう自分を責めているようでしたが、そう感じてしまう背景には、これまで抱えてきた不安や経験もあったのだろうと思います。だから私は、「損得で考えてしまう自分」を変えたいということ以上に、「楽しいと思えるようになりたい」「純粋な気持ちで人と関わりたい」と願い続けているあなたの気持ちがとても印象に残りました。遊びに行ったり、自分の好きなことに時間やお金を使っても生活や心が脅かされることはないという安心感を心の奥底で感じるのには時間も必要なのかもしれません。あなたばかりをどうか責めずに、今いる友人や恋人とできる範囲で一緒に過ごしてほしいなと思いました。投稿ありがとうございました。