経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

立ち止まって、分かった事

以前に仕事の業務負担や人間関係のストレスが原因で体調を崩し、心療内科を受診しました。診断結果は適応障害でした。現在は休職中です。休職してから、私はいかに自分が追い詰められていたか、余りにも多くの事を抱えていた事に気が付きました。性格も真面目で、仕事も全体の流れを把握しながら、進めて、私も何かと我慢しながら仕事をしていました。今の会社は人手不足、やる業務が多い上に、動ける人が多くないため、私などの出来る人に集中してしまいます。上司にはそこにつけ込まれてしまい、コキ使われる毎日でした。その反動で休みの日も、無気力になる事が多く、コンビニすら重い腰を上げないと行けないくらいでした。当然ながら、転職も考えましたが、この現状だったので、全く進まずに時間だけ過ぎてしまいます。仕事の過度なストレスと転職などの今後の不安で板挟み状態でした。休日も転職を考えなきゃ、あれをやらないと、これも考えないと、たださえ消耗し切っているのに、こんな状態でした。休職した時に、もう自分のエンジンの止め方が分からなくなっていました。休職した事で、今の私には何も考えない時間が必要だと感じました。今後は休職が終了次第、退職する予定です。

感想1

思い当たる節が多すぎて「渦中にいると本当にわからない…」とこれまでの自分を振り返りつつ、あなたのなかでの一区切りの文章でもあったのだろうか?と考えを巡らせていました。

生きているとさまざまなことによくもわるくも没入することが多いのが悲しいかな人間の性なのかなと思えます。それは、一歩引いた瞬間があるときには、価値観や優先順位など、自分のなかにあるさまざまな価値基準に照らし合わせて判断を下せますが、環境や人間関係、余裕の有無など外的な要因やしがらみによって、いとも簡単にその判断力を奪われることもまた多いような気がします。

あなたで言うと人手不足やタスク過多、動ける人や適性の有無などによって、雨あられのように仕事がふってきては抱えさせられる環境や人間関係がそれにあたり、やがては考える時間も持てない、いや、「考えるという思考にもなれない」ぐらい追いつめられていったのだろうなということがひしひしと伝わってくるようでした。

現状に至るまでやそれをこれ以上ないぐらいに物語っているタイトルがとても象徴的でしたが、本来であればそういった場面に人が直面したときに、環境設定側や社会の方が「立ち止まる」という選択肢を提示するのがあるべき形であるのかなと個人的には思います。ですが、現状ではなかなかそういった風潮にはなっておらずなんとも歯痒い思いです。ただ、そんななかで「休職」という形であなたが感じとったこと、それをこうして文章としてしたためられたことには一抹の安堵を感じている私がいます。

退職という意向に至るには幾らかこれからを考えての選択であるのかなと想像しています。ですが、「立ち止まって、分かった事」ともあるように、わかったからこその時間に浸る瞬間を持ちながら少しずつでも歩みを進めていく、そんなこれからでもいいのかなと思いました。

感想2

仕事の中でたくさんのストレスで消耗していても、立ち止まること自体がありえないことみたいに扱われてしまうことはまだまだすくなくないと思います。「自分のエンジンの止め方」がわからなくなっていたという表現はとても的を射ている感じがしています。たしかに、加速させる方法や技術は叩き込まれても、止まり方をだれが教えてくれたでしょうか。人間も動物なんだから、休息と回復が必要な肉体で生きているのに、学校でも休む=悪いみたいなイメージが強かった記憶があります。
あなたがそれでも立ち止まれて(それが動けなくなったというのが実情だとしても)休むことができていること、そして距離をとったことで冷静に当時の状況を見ていることを読んで、とても安心する気持ちになりました。「今の私には何も考えない時間が必要」という結論は私も同感で、その結論自体、あなたがあなた自身に関わるように方向転換した証拠のようなものと感じました。そうはいっても、今もまだ疲労や虚脱の中にいるのではないかと想像しています。息の詰まるような状況ではなく、あなたの呼吸がしやすいような生活の仕方が見つかることを祈っています。

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