経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

環境と時間とチョコレートと

多くの人が自分よりこっぴどく絶望しているのを見ると、自分はけっこう軽症だなと思います。
でも24時間四六時中“死にてェ〜〜〜!!”となるのが軽症なわけないと思っているのでここに辿り着いています。

小さい頃から親には十分大事にされてきたと思っています。
やりたいことをやらせてくれる親でした。
問題は僕にやりたいことがないことくらいです。

小学生の頃から、創作にハマっていました。
言うなれば空想の世界への現実逃避です。
自分の頭の中だけでも、僕は幸せになれました。
故に、それを仕事にはしたくありませんでした。
現実と空想を結びつけることほどの自己破壊はない気がしたからです。

反抗期はありませんでした。反抗する意味がなかったからです。
そのせいなのか、僕に自立意思はありませんでした。将来の夢はありませんでした。
高校になんとなく入って、就職するか大学/専門学校に行くかのたった二択を迫られ続けています。
その二択なら、なんかの罪を犯して刑務所で生きた方がずぅーっとマシです。

ここ以外にも、いろんな場所でいろんな形で絶望する同年代を見てきました。
親が暴力を振るってくるとか暴言を放ってくるとか、僕よりずぅっとこわい環境にいるのに僕よりずっと強い。
僕がなんだか惨めに見えてきました。
ずいぶん恵まれた環境にいておいて泣き言を言っている自分が情けなく思えてきました。

少し前、高校一年生のとき親に精神病院に連れていってほしいと言ったこともありました。
本当にこころが限界で、ずいぶんと勇気を振り絞って話を切り出したのですが、答えは“甘えだと思う”(要約)でした。
失望しました。
ひとに勝手に期待しておいて失望するのもあまり良くないかもしれませんが。

僕はとっても頑張っています。
僕の弱い心に鞭打って必死に生きています。
片道一時間の通学路をひ弱な体で学校に向かって、間に合わなかった提出物について怒られて、テスト勉強をする体力も残さないままお家に帰ってきて眠る生活を送っています。
不登校になるにも親が面倒だし、かと言ってこのまま学校に行き続ければ心がすり減るばかりです。

今はネット上で“狂うことで現実から逃避している仲間”たちと寄り集まることでなんとか耐えていますが、僕はそろそろ限界かもしれません。
チョコレートはストレス軽減効果があるのです。すぐに口の中でとろけて、目の前のくるしいことがどうでも良くなる程の甘さが数秒だけ口いっぱいに広がります。おすすめの現実逃避癖おやつです。
読みにくいところも多い文章かもしれませんが、読んでくださってありがとうございます。

感想1

軽快な文章でユーモアと読者への配慮を感じながら読みました。「やりたいことがない」とありましたが、それは「仕事」や「進路」についてを意味するのかな?と思いました。というのも読んでいて、あなたは自分のやりたいこと・やりたくないことの区別がつくタイプで、多分幼い頃から自我がしっかりしている人なんだろうなと思ったからです。
案外、世の中は周囲に価値観が流されやすいタイプが多数派で、社会はそれを前提に作られていることが多いようにも思います。だから、自分の気持ちや意思がはっきりわかるタイプの人には、かえって社会のレール(学校とか「進路」みたいな概念とか)にいるだけでしんどいことが少なくない気がするのです。この説の根拠はとくにないのですが、私自身、学校には目に見えるトラブルがあったわけではないはずなのに馴染めず、読書と創作で現実逃避し続けて生き延びてきたなぁと思っているため、社会を観察してきた結果、こんなふうに感じているという感じです。
「現実と空想を結びつけることほどの自己破壊はない気がした」という直感には同感で、私も自分の世界を現実というか社会と結びつけすぎないことは自分の心を守るために大事だと感じています。私は一応働いている大人ですが、自分の心を削り落とさないような生活をずっと模索している気がします。

私はあなたのつらさは「甘え」ではないと思いましたし、あなたのせいでもないと思いました。不登校もいいと思いますが、親がわかってくれない状況では、かえって大変ということも確かにあるかもですね……。私は不登校経験があるのですが、学校に行かないとなるとその時間の過ごし方が悩ましいところで、図書館に行ってみたり試行錯誤でした。学校と家以外で10代が過ごせるような安全で充実した場所がもっと現実に増えたらいいのになと思います。
「狂うことで現実から逃避している仲間」、同じところがあるって感じられる仲間がネットにいるのは貴重なことな気がします。チョコレートは糖やらカフェインやらなにやらで起爆剤みたいな効果もあるなぁと思います。ただ私自身が10代から食べ物で死にたさを誤魔化してきたら大人になって体に不具合が出まくってきたため、余計なお世話とはわかりつつ、創作とネットの仲間とチョコレート以外にも、すこしずつ楽な過ごし方や心を消耗させないでいられる場所が増えるといいのかなぁと思ったりもしています。
経験談を投稿してくれてありがとうございます。よかったらまた、ここにきてください。

感想2

投稿ありがとうございます。
読んでいて、正当な絶望ってあるのかなということを考えました。
確かにあなたが挙げている親の暴力や暴言のある環境は、絶望感が強いと思います。ただそういうことがないから絶望感がない、ということにはならないんじゃないかなと思います。あなたの感じている生きづらさは、外から見たり、あるいはあなたから見てわかりやすく「それはそうだよね」と思う生きづらさではないのかもしれません。例え親が「甘え」と判断したとしても、そこに絶望感や生きづらさがない、ということにはならないと思います。あなたが四六時中「死にてェ」と思う気持ち、それを生み出す何かが確かにあるんだろうと思うのです。
自分にやりたいことがないことを「問題」と表現するのは、人には「やりたいことがある」のが正しいという考えがあるからでしょうか。確かに世の中にはやりたいことが明確にあってそれが生計を立てることにつながっていて自発的、積極的に生きているのが良いとされる雰囲気があると思います。ただ私はそうとも限らないのが人だと思っています。特にやりたいことがなくても今日を生きている人が案外いるのではないでしょうか。かく言う私もその一人です。もし「人にはやりたいことがあるべきだ」という考えがあなたの中にあるとしたら、そうではない自分でいるのはしんどいことだろうなと思いました。一方で、あなた自身創作にハマっているからといってそれは現実逃避としてハマっていることで、現実という仕事として考えたときにそれはやりたいことではない、と冷静に考えている印象も受けました。あなた自身現実的に考える力があるからこそ、現実逃避としてやりたいこと、仕事という現実的にやることがはっきりしているのかもしれないと感じました。そうであれば、進路という現実的な選択を、しかも2択で迫られるという状況はあなたにとってとても負荷が高いのではないかと思います。
勝手ながら、精神病院受診のエピソードを読んで、親には大事にされてきたけれど、あなたの気持ちを「わかってもらえた感」はこれまであまりなかったのかなと想像しています(見当違いだったらすみません)。親さんは「甘え」と表現されていますが、体力的にも精神的にも、かなり負荷の高い日々を生きているのではないかと感じるので、病院受診ではなくてもスクールカウンセラーや市町村にある教育相談のカウンセリングなどを利用してみるのはありかなと思いました。
私も心身共に「疲れたなぁ」って感じたときにチョコレートを食べます。チョコレートにプラスして、経験談や、よければぷらっとチャットなどもストレス軽減方法にしてもらえたらと思います。

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