私は社会人になって2年目です。新卒の頃から働いている今の職場を1年前から辞めたいと思いながら今も尚働いています。
私は昔から新しい環境に馴染むのが苦手でした。高校の部活では下手だと仲間はずれにされ、専門学校は自分に合わない、辞めたいと勉強に意欲が湧きませんでした。大した仲のいい友達もいないし、学校に行く意味も見い出せませんでした。でも私は部活も専門学校も引退・卒業まで辞めることなく続けてきました。それは何故かと言うと自分の頭の中で辞める🟰ダメなことという謎の概念があったからです。せっかく受け入れてくれた相手に対して「やめます」と伝えることに罪悪感を抱いていました。それは学校を休むことへの罪悪感とも結びついています。それでも今までは強制的に終わりが訪れていました。つらくて辞めたくても我慢していれば部活は3年で引退するし、学校も卒業します。私が辞めるという選択をしなくても勝手に終わりが迎えられわたしはその場から解放されていたのです。
じゃあ今はどうでしょうか?そんな概念が変わる訳もなく社会人になり、最初の3ヶ月で挫折しました。精神的に病み何回も休みました。心療内科でも抑うつ状態だといわれ親にも仕事を辞めろといわれ上司に相談しました。そこで返ってきた言葉は「最初の3ヶ月はみんなつらいからここで辞めるのは勿体ない」「考えすぎじゃない?もっと気楽に生きなよ」この言葉で私は一気に今の職場への信頼と尊敬の意が消えました。他スタッフも理解が乏しいようで、休んだ次の日はなぜ休んだのか責められます。そんなつもりはないかもしれませんが、気を病んで休んだ私にとってはなんとか外に出てきたのにまたメンタルがやられるのでいつの日か休むことも億劫になり重い体を動かしながら出勤する毎日になりました。でも昔と違って自分で辞めるという決意をしないかぎり離れることはできません。分かってはいるのですが辞められません。それは先程も言ったようにせっかく受け入れてくださった相手に対して辞めるということを伝えることに後ろめたさを感じるからです。そんなこんなでわたしは1年の間こんな自分のことも嫌いになり仕事に行くこともつらく、いつの日からか泣きながら希死念慮を抱え出勤するようになりました。休みな日も倒れたように家で休みまた仕事に行く毎日。その世界は真面目な人ほど損するようにできている。本当に残酷です。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
それでもここで生きている
感想2
「勝手に終わりが迎えられその場から解放されていた」という言葉に、今の職場での所属の辛さだけでなく、高校、専門学校ともしかしたらそれよりも前からかもしれませんが、どこかに所属し続けなければいけないそんな社会、人生に疲弊し、疲れ果てているそんなふうに感じました。学生時代は特に、クラスや部活、学校という空間の小さな世界がまるで世界の全てかのように思えて、ここに馴染めなければもうどこにも自分の居場所はないのではないだろうかと思わせるようなそんな空間だったと私は感じていました。そんな自分に“合わない”と感じながら過ごす毎日はとても辛かったと想像します。そして、もしかしたら社会に出てそういったしがらみや苦しさから少しは解放されるかもというどこか期待があったとすれば、今もなお続いている苦しみに、この先が明るく感じられないのも無理はないのかもしれないと思いました。
「受け入れてくださった」という表現が妙に印象に残ります。私はそこに、自分で選んだというより“選んでもらった”という感覚が少し含まれているように感じました。そう感じているのであれば、この後は「もう選ばれないかもしれない」「受け入れてもらえないかもしれない」という大きな不安も別に隠れているのではと勝手に私は想像してしまいました。
自分で何かを決断するというのは自分に“責任”ものしかかるような気がしてとても勇気がいると思います。何度か仕事を変えてきた私にもその後ろめたさや恐怖とも言える想いは少しわかる気がします。
今も泣きながら通勤しているのでしょうか。“それでもここで生きている“そんなあなたを応援しながらも、どこか、あなたにとって辞める免罪符のようなものができたら良いなとも思います。今のあなたを否定したくないけれど、これ以上頑張ってとも言えないそんな気持ちになったということを伝えたいと思いました。
感想1
毎日重い身体を引きずって出社している姿を想像し、胸が痛みました。しかも今は二年目ということで、一年以上も耐え忍んでいるのかなと感じます。一年間の苦しさは相当なものだったのではないかと思っています。
上司の発言の真意は一体なんだったのだろうとつい考えてしまいました。「まあ大したことないだろう」とあなたの状態を軽く見ていたのかもしれませんし、「思い詰めすぎないでほしい」「この人はきっと回復する」っていう上司なりの思いやりや期待だったのかもしれません。上司の真意は分かりませんが、とにかくあなたにとってはすごく辛かったのだろうと思います。とても辛くて病院にも行って、本当にしんどくてしかたのない状態なのに、そういうふうに言われたら傷つくことも十分あり得ると感じます。「なぜ休んだの?」とか言われるのもしんどそうだなと思いました。辛いから休んでいるのにそうやって言われると、余計に責められているように感じるかもしれないなぁと感じています。自分だったら信頼していない人にそう言われたら、「ちょっとほっといてほしいかも」と感じてしまうかもしれません。
私としては経験談に繰り返し登場している「せっかく受け入れてくれた相手に対して『やめます』と伝えることに罪悪感を抱いていました」という部分が気になりました。なぜなら、「受け入れてくれた」っていう言葉には「自分なんかを受け入れてくれた」という感覚が透けて見えるように感じるからです(これは個人的な意見です)。これは私の個人的な考えですが、人付き合い、進学、就職などの場において、人は選ばれると同時に選ぶ存在でもあると思います(単にスペックの話ではなく相性等もあると思います)。だから、今の会社があなたを「受け入れた」と同時に、あなたも今の会社で働くということを、就職した時点で「受け入れた」と言えると思います。
そもそも高校生のときに部活で仲間はずれにされているのであれば、「受け入れてくれた」とは言えないのではないかと感じます。そういう相手に対しても「受け入れてくれた」と思うのであれば、あなたは自分自身のことを低く見積もっている部分があるのかもしれないと感じるところですし、あなた自身が「選ぶ」ということを、もっと大切にしてもいいように私としては思いました。