経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

「飽きっぽい」の行く末

人生に飽きた。終わりが来るのをただただ心待ちにしている。
周囲に恵まれているかそうでないかで問われると恵まれていると思う。自分や他の誰かの力でコントロールできないような、運の面でもわりと良い方だと思っている。勉強も苦労しない程度にはできたし友だちだって多くはないがいる。地元の田舎でなら顔向けできるくらいの仕事には就いた。
それでもなお、人生が今すぐ終わらないかなと待ちわびている。

私は小さい頃から集中力がない。ひとつのことに没頭することができない。何かをはじめても三日坊主どころか最初の日で辞めていたときもある。当然、今流行りの「推し活」だってできない。
そのくせ興味のないことに全く力を入れられない。興味のないことに脳のキャパを使いたくないと思ってしまうから、知識にもかなり偏りがある。学校という強制的に知識を入れこまれる場に属していたときは良かったが、社会人になった今は専ら偏ってばかりだ。

学生の頃はただ敷かれたレールに乗っていれば人生が進んでいくし短期間で目まぐるしく環境が変わるから飽きるほどではなかった。一方社会人はどうか。同じような日々の繰り返し。異動先の興味のない仕事。ときに理不尽な評価。
これが定年退職まで続くと思うと、飽きっぽい私は耐えられない、と思った。そもそも定年が何歳になるのか、定年の制度が残っているのかすら分からない。ただでさえ面白くない社会人生活というものに、終わりが見えないことが拍車をかけている。
だったら興味のある仕事をするしかない、となるところだが、社会人生活で心から疲れてしまったのか、仕事にするほど興味のあることがもう存在していない。働いて稼いだお金は自分の光熱費と食費にだけ消えていく。

変化のない人生に本当に耐えられないから、転職先も決めずに今の仕事を辞めることだけ決めた。無職になったら手放すものは自分の命だけになってしまう。今のメンタルでは、そのときはそのときだと思っている。

感想1

学生生活が終わり、社会人がはじまって慣れた生活をされていたのかなと想像しています。飽きっぽい人にとって、いわゆる毎日同じことを繰り返すような社会生活・・それは苦手を通り越し、地獄のような日々だったのではないかなあと感じています。転職先も決めずに今の仕事を辞めることを決めたというあなたの覚悟と、それでも不安になったりする気持ちを整理するためにここへ書き込みに来てくれたのかなと思いました。

比較的大きい安定的な会社に勤められていたのかなと想像すると、周囲の人も昇格や安定が大切なことだと言う価値観がどこか当たり前だという考え方がベースにあるようなイメージをしています。もしかしたら学生の頃から敷かれたレールの延長線上が、周囲の人もあなた自身も当たり前に乗る場所として見えているような感じかもしれません。その空気感の中にいて、ある種レールから外れるという選択をすることは本当に勇気のいることだと思いました。

投稿を読ませていただきながら、あなたは飽きっぽいながらも能力は比較的高い方なのかなと感じています。目の前の仕事をこなしながら、これが定年退職まで続くのかと言うところまで視野に入れることができる。飽きっぽいことも含めご自身について理解し、変化のない人生に耐えられないから仕事を辞める選択までできることはあなたの力だと思います。

飽き性は飽き性なりに、色々なことに手をつけては飽きながら、時間をかけて本当に自分の好きなこと面白いと思えることに出会うんではないかなと思います。同じ会社で働き続ける人も、転々と職を変える人もどちらが偉いと言うわけではなくどちらもその人の人生で、どちらかの人生しか歩めません。

失業保険などの使える資源を使いながら休みながら次を考えるのもよし、ちょっと興味があるからここに行ってみようでいきなり飛び込むのもよし。「無職になったら手放すものは自分の命だけ」と言う言葉に(あなたの意図とは違うかもしれませんが)個人的には痺れてしまい、いくつになってもそのマインドに戻れる自分でありたいなあと思いました。生活水準や安定を手放すのはとりわけ勇気のいることですが、誰も自分の明日のことなんてわかる人はいないのだから、生活するより暮らしていたい。あなたの楽しい時間やワクワクする時間が1日でも早く戻ってきますように。

感想2

私自身も飽きっぽいという自覚がありすぎるので、すごく共感する気持ちで、ずんずんと読みました。学生のころは日々の変化がたくさんあったけれど、社会人になってから「安定」と引き換えに、変化や興味の惹かれることがなくなってしまったことで、「あれ?」と思うことが積み重なっている今なのかなぁと思います。
これはめちゃくちゃ自分語りなのですが、一つの事例として書いてみます。私は社会人になってからも同じところにとどまれなすぎて、転職と引越しをしまくり、30代になった今は履歴書をはみ出すくらいの職歴があります。それは笑い話ですが、笑えないくらいしんどかった記憶も多々あります。そして、今はいくつかの種類の仕事・環境・居住場所を並行して、転々としながら生活をしています。転々とするようになってからの私はすごく安定して、「あ、私にとっては『同じである』ということ自体がすさまじいデバフだったんだ…」とようやく気づきました。一つ一つの仕事や状況にすごく興味があるわけでなくても、新奇性さえ高ければ、私はそこそこリセットされた頭で生活できるみたいです。あなたはそこのところ、どんな感じなのかなぁと気になっていました。
と聞いてみたものの、この世の中、いろいろな生活の仕方を気軽に試せないから、他のやり方で人生を送る自分を想像することがけっこうむずかしい気もします。いまとりあえず仕事を辞めることを決めて、それは絶望のニュアンスが強い感覚なのかなとも思うのですが、一方では、ひとまず疲れを癒して、それからいろいろな可能性があるタイミングとも言えるのかなぁと思います。投稿から数週間経っていますが、今はどんな感じでいるのでしょうか。
私の「飽きっぽい」の行く末は……これからまた変化していくのかもしれないなと思うのですが、あなたの心がふわっと動くようななにかが、あなたのこれからの新しい生活の中で見つかるといいなと願っています。飽きっぽさとその運用策について、あなたと語り合ってみたい気持ちです。よかったらまたあなたの感性と思考を聞かせてください。

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