経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
女子大生です。
タイトルにもある通り、私はずっと家族を含めた他人に迷惑をかけ続けてきました。最近それをやっと自覚しました。
根本にあるのは発達障害(ASD)でした。
いくら努力しても空気が読めない。気づいたら人が離れていく。
ただ、必ずしも私と同じものがあるからといって嫌われる人ばかりでは無いと思います。愛嬌があったり、特別な才能があって居場所を作れる方もいらっしゃると思います。
私が人に迷惑をかけてきたエピソードとしては、
小学生の頃は習い事の先生に怒られ、「帰れ」と言われた時に本当に帰ってしまう。
中学生の時はグループワークで意見を突き通そうとしてしまい、「だから友達いないんだよ」と言われてしまう。
高校生の時は最初は普通を取り繕って頑張りましたが、やはり人が離れてしまう。
大学生になった今は人付き合いはもう諦めています。
また、他人の気持ちには鈍感なのに、自分の気持ちには繊細なのも私の嫌なところです。
何も良いところがない私は中学生の頃から勉強だけは頑張ってきました。暗記力だけで受験は乗り越えてきました。
この文章を読めばお分かりになるでしょうが、この通り頭もよくありません。
今は死んでないから生きてるだけです。
無意識のうちに人を傷つけてしまう私が生きる意味とは何でしょうか?
感想2
私は大人のASD女性です。
よくわからないけど、うまくいかない。うまくいかないのはわかるけど、どうしたらいいかわからない。経験談を読んで、そんな声が聞こえてくるような感覚がしました。もしかしたらそれは、あなたの声ではなくて、過去の自分の声かもしれない…?と思いつつ、ASDに不親切なこの世界と、そのことで傷つき自信をなくしてしまうASDの存在に、やりきれなさを感じています。
迷惑や傷つけるって何なのだろう…と私は考え込んでしまいます。私が直球すぎる言動や、自我やこだわりを通そうとする振る舞いをしても、それを不快に思う人もいれば、気にしない人もいるし、稀にむしろ面白がってくれる人もいるからです。統計をとるなら、ネガティブな気持ちを抱かれる方が多いとは感じますが、気にしない人や面白がる人がいることがそれで無いことになるわけではない、というのか……。
といってもこのようなことは一般論に聞こえるかもしれませんし、同じASDでも嫌われる人と嫌われない人はいると反論?されてしまうかもしれませんが、私としては「迷惑や傷つけるは相手とのマッチングの問題である」という側面があることは、一つの事実だと考えています。私は定型発達者の善意の行動にけっこう迷惑を被ったり、傷つけられてきたので、自分がいいと思うことが相手にとっていいわけではない、というのは対人の難しさなのだろうと思っています。
空気を読めないのも、空気が読めない側に問題があるとするのか、空気を読ませる風潮に問題があるとするのかと考えると、私は後者の捉え方を採用したいと思っています。国によってコミュニケーションの風潮も様々ですし、空気を読むことだけが絶対ではないはず…です。最近は「違う」は「異常」や「劣っている」ではなく多様性である、というニューロダイバーシティの考え方も出てきています。
そのあたりはASD者の中でもいろいろな考えの人がいますが、ただ「自分がおかしい、悪いんだ」みたいな文脈ではなくて、このASD者(に限らず様々なマイノリティ)が生きづらい社会について、私はいろんな人と考えてみたいと思っています。
感想1
「最近それをやっと自覚しました」という衝撃が静かに重く伝わってくる文章だと感じました。今は自分のなにもかもが受け入れがたく、否定したい気持ちが強くあるのだろうと思います。「この通り頭もよくありません」とありましたが、短い文章から伝わってきたのは何とか周囲とうまくやろうと懸命に自己分析をしてきた姿勢です。それはある種の賢さであると私は思っています。しかし、世の中は残念なことに、誰かが人知れず努力をしたり、試行錯誤をしたりすることに気づいてくれません。特にASDへの理解は大変浅く、空気を読むこと、言わなくても分かることが当たり前とされて、それができないことをなかなか許してくれません。学校の先生のエピソードを見て、私は「帰れ」とあなたに言った先生に喝を入れたくなりました。そして、帰れと言われたのですから、帰ったあなたには何の非もないと思いました。言い換えると帰れと言った先生は、あなたが意図を理解できない表現を使ったのですから、明らかにその表現を使った側に過失があると思うわけです。しかし、そうした理解はされないまま、分からなかった側が一方的に責められることが一般的なので、あなたが「自分が悪い」「迷惑だ」と感じても仕方がないと思います。でも、私はあなたが悪いのではないし、迷惑なのではないと思うのです。そう強く思わせてしまう「これが当たり前」という強い圧のせいであなたが追い詰められているだけなのに…と何とももどかしく感じます。
人の能力やあり方はその人が持っている資質で決まるのではなく、誰とどうつながるかという協働性の中で決まる「能力の協働性」という考え方があります。あなたはまだ協働性を発揮する環境を得られていないだけだと思いました。ただ、今回こうして私たちに問いを投げかける発信をしてくれたことには大きな意味があり、自然に力を発揮した機会になったと私は感じています。また伝えたいことがあればいつでも届けてください。