経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

わからないことばっかり

私は、とてもいい人生を歩んでいました。
お母さんも、お父さんも、お兄ちゃんも、おばあちゃんも、私を取り巻く物は暖かくて、優しいです。暖かいご飯も出るし、優しい声もかけられて。
周りの友達も、いじめなんて考えにないような。柔らかくて、明るい雰囲気で包まれていました。

自分の記憶は曖昧でフワフワしているので、ここからは主観が混ざっています。

自分は何かヘンでした。
小学生の頃から怠惰で、勉強もロクにしない。提出物も忘れて、ランドセルやバッグの奥底から出てくるか、行方不明に。
その度にお母さんから、車の中で怒られていました。自己中心的だった私は、まるで私が被害者ですと言わんばかりに泣き出します。
それを月に数回、高校卒業まで。卒業式のあとも、何か怒られた記憶があります。
ここら辺から、中学生辺りから、覚えたての希死念慮と共に朝を迎えていました。

愛ある怒りでした。勉強をそっちのけで、友達と通話したり、ゲームしたりする私を正してくれる、愛でした。
馬鹿な私は、それをただの叱りだと思い込み、ずっと怖がって泣いていました。「怒られた!」という感情でいっぱいだったと覚えています。
それが長い間続いたからか、未だに外出して、親が子供を躾ている姿を見ると、少し恐怖を覚えます。自分が怒られてる気がしてたまりません。

小学生の時から、言われてました。
「あんたはADHDだ」と。
担任から言われたそうで、母親からも定期的に話されていました。
しかしながら私は意固地になり、「違う」とのたまって、今も診断を受けていません。本当なのかは、わかりません。

塾にも通わせてもらって、授業代も出してもらって、いい感じの大学にも進学しました。一人暮らしの始まりです。
最初は楽しかったんです。色んなことを学べて、自分の好きな授業を取れて。課題も、友達とやればどうにか出せました。

ただ、1年生前期の終わりあたりから。段々息苦しくなりました。
周りの目が気になる。息ができない。見られている。
その思いは夏休みが明けても、残り続けて。
後期から段々と授業に行けなくなってしまいました。

昔から、同年代の他人と話すのが苦手でした。
ですから、年上の多いバイトは行けるけど、不特定多数の多い授業には行けない大学生が出来上がりました。
今は、履修登録の画面を開くのも怖いです。

お母さんには、言えていません。
仕送りもしてもらってます。なのにこの体たらくで。
大学のことを考えてはベッドの上でうずくまって、バイトだけは行っている。
お金をいっぱい出しておいてもらって、結果はこれでした。
お母さんに言おう、そう思っても、「怒られるのかな」と思って、言えません。思えば、これも昔からの癖でした。

精神科も、遠くて、怖くて、行けていません。そう言って先延ばしにしているだけなのかもしれません。

時が進むのが怖いです。このまま夜で止まっていれば、ずっとこのままでいれば、これ以上考えなくて済むのにと。タラレバを考えて、眠りにつきます。

桜が散り始めました。サークルには、後輩ができるみたいです。
どうすれば、この曖昧で薄ぼんやりとした人生と、腑抜けた自分を、正しく見ることが出来るんでしょうか。未だに答えは分かっていません。

感想1

半年よりも前から、布団の中で不安な夜を何日過ごしたんだろうと思いました。一人で抱えてしんどかっただろうなあとも、勇気を出してここに書き込みに来てくださったことにまずはありがとうを伝えたくなりました。

初めての一人暮らし、始まる前まではキラキラする大学生活を思い描いていたりするものですが、あなたももしかしたらそうだったのではないかなとも想像しています。大学はこれまでの学生生活とは違い、格段に自由を与えられる一方で、自己責任を大きく突きつけられる場所でもあり、課題の締め切りや、授業や生活の時間まで自分で管理しなければなりません。もしかしたら、これまで散々母親さんから怒られてきたこと、ADHDを否定し違うとのたうち回ってきたこともあり、大学では「しっかりとやる」ことへの意気込みもあったのではないかなとも思いました。

入学したばかりの頃は自分で履修計画を立てたり、課題も友達とこなしたりと楽しくできていたことが伝わってくる一方で、時間が経つにつれて提出物に追われたり、行方不明になる書類や、勉強せずに別のことに時間を費やしてしまったり・・という、あなたのこれまでに重なるうまくいかなさが出てきたりもしたのかなとも想像しています(違っていたらすみません)。

これまではある意味「怒られるだけ」で許されていたことが、時間に遅れたら出席扱いとされなかったり、期限を過ぎたら提出物を一切受け付けてもらえなかったり、評価が常に付き纏い、単位や留年という言葉を持って脅しにも近いような厳しさで自己管理を(個人で)徹底されるような空気感が大学にはあるなあと思っています。

もしかしたらそれらの圧力を敏感に感じ取って、息苦しさや周囲の目が気になる感覚を覚えていらっしゃるのかもしれません。わたしも履修画面はまさに「自己管理」を押し付けられるようで気を病むほど怖かったですし、救済処置のない大学に抗議した方がいいのではと思ったくらい、辛かったことを思い出しています。

ADHDを意固地になって否定されてきたあなたが、大学生活でのうまくいかなさを目の当たりにする中で「もしかしたらそうなのかもしれない」と心のどこかで思い始めているのかもしれないなと文章を読んでいて感じています。

スポーツの得意不得意があるのと同じように、脳の特性も人それぞれで思考の得意不得意は人それぞれです。自己管理が得意な人もいれば苦手な人もいますから、時間がかかってもできないならできない自分なりのルートを、誰かと一緒に考えていくことができればなと思いました。友達と課題を提出できたことや、バイトには行けていることなどもあなたの力ですし、「これならできる」のヒントになるような気がします。

これまでも本当は「できないことを怒られる」のではなく、周囲の人と「あなたがどういう風ならできるのか一緒に考える」時間を過ごせていたら違っていたこともあったのかもしれません。怒られてしまうことで「周囲の人と同じようにできなければならない」という脅迫観念とも言える考え方があなたの中に強く根付いてしまったのかもしれないなとも感じています。

病院での専門的な診断をもらうことも一つかもしれませんが、まずはスクールカウンセラーなど学校で相談できる人を頼るのも良いのではないかなと思いました。大学によっては、ADHDなどの特性のある生徒への支援や配慮なども増えていると聞いたりします。(親御さんもなんとなく大学でのあなたの苦労を想像していたりもするんじゃないかなとも。)

暮らしの中で「脳の苦手」で苦労することもあるかもしれませんが、一方で興味のある分野への集中力が高かったり、短期間で何かを成し遂げたりという得意とする側面もあるんではないかなと思います。ここまでやってこられたあなた自身、相当力のある人だと思います。勇気を出してここへ一歩踏み込んでくれたことにも感謝します。この先、しんどい時は一人で抱えずに、理解してくれる人に相談できたらいいな。陰ながら応援しています。

感想2

怒られたら、怖いですよね。「叱る」のがどうしても必要なことがどのくらいあるのか私にはわかりませんが、大人の「叱る」が怖い調子のとき、それが本人のためと思ってのものだとしても、全然効果的じゃないことも少なくないと思います。それってお互い不幸なことだな……と思います。
また「これは病気」「これは障害」みたいな診断って、とても一方的なジャッジという感じがするし、世の中には偏見もあるしで、捉え方がとてもむずかしいと思います。私はADHDの診断を受けていて、自分でも不注意多動衝動ぜんぶあるなぁと思っている大人です。あなたがADHDかどうかは医師でない私にはわからないのですが、ADHDだと言われることへの拒絶感の中にはジャッジされることへの苦しさもあったのかなと想像していました。
忘れものなど、私はたくさんしてしまいますが、あなたの親にとっては「自分は困らずにできたこと」だったから、なぜあなたが忘れてしまうかわからなかったのかなと思いました。それはどちらがいいというより、性質の違いのように思います。いくら愛があってもわかりあえないことって多い気がするし、みんなそれぞれ「これが普通」と思っていることは結構違ったりするので、その中で、お互いに疲れてしまうこともある気がします。

私は今はADHDといわれるような自分をいやだと思ってはいないのですが、だからといって困らなかったわけでもなく、そのたびに反省したり悲しんだり謝り倒したりしています。ただそうは言っても、私の問題というより世の中がいわゆる「定型発達」向けの仕様になっているからじゃない!?と最近の私は思うことがあります。ADHDには不注意の性質があると言われることがあるように、「定型発達」にも特性があるように思います。それはもちろんグラデーションだし、どちらがいい悪いとかでなく、違いだなぁと思っています。 (こういう考え方を最近はニューロダイバーシティといったりするようです。)もちろん、典型的などれにもうまく当てはまらない人もたくさんいますし、生得的な特性以外にも、育ちの中での経験で性格も感性も得意不得意も変化するものです。ただ、もしあなたがなぜか他の人と違ってうまくいかないということで困っているとしたら、それはあなたが悪いのではなくて、世の中がまだまだだっていうことだと思ったのでした。

学校って同年代ばかりで集められる、特殊空間なので、苦手が募ってしまうことが多い気がします。その上、いろんなことで叱られる機会が多かったら、泣くのも死にたいくらいつらくなるのも自然で、むしろここまでやってきたことが偉業だと感じました。あなたの大変さにちゃんと寄り添って味方をしてくれる人があなたの近くにいたらよかったのに……と、どうしても思ってしまいます。ちなみに私も同年代苦手タイプですが、大人になってさまざまな年代の人がいるのが普通の空間にいるようになったら、だんだん、同年代の人とも喋りやすくなりました。
バイトには行けているというのを読んで、お金がどうこうとかではなく、あなたが過ごしやすい場所があることにすこし安心する気持ちになりました。

私も不登校をしてきたのもあり、「学校に行くべき」みたいな考えにもかなり疑問です。ただ、好きな気持ちもありながら行けないのはそれもストレスだろうなと思います。
精神科はたしかにいったことないと不安かもしれないなぁと想像していたのですが、あなたがすごく苦しんでいることも伝わってきたので、どうか一人で抱えないでほしいという気持ちにもなりました。学校にカウンセリングルームとか相談室とかがあれば、そういうところに行って話してみるのもいいのかもですし、この経験談の文章を見せてみるのもありかも?と思いました。(この文章はあなたの気持ちや感じてきたことがわかりやすく書かれていて、すべてではないにしてもしっかり伝わってきた感じがしました。)
どうしたらいいんだろうという気持ちの中で、経験談を書いて送ってくれてありがとうございます。新年度から一月以上が経ったいま、あなたはどうしてるのかな、と気になっています。

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