経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

正解なんて要らないのに

前から学校に行くのは嫌いだった。滑り止めの高校、実際行ってみると、私とは合わない事を行くたびに感じる、泣きながら帰ってくる、静かに家でも泣く。
やりたい事もある、行きたい高校もある、お金が無いだけで絶望に変わる。
感情も無くなってくる、やりたかった事も分からなくなってくる、好きな物も分からなくなってくる、生きてる意味、あるのかな。
周りから言われる事は、社会は厳しい。それだけ。なぜ悪い事が起きる前提なのか、なぜ悪い環境の中で生きてく前提なのか、トラウマになるだけなのに、強くなんてなれやしないのに、視点を変えれば楽観的に変わるのに、悲しい世界だと教えさせられる、悲しい中で生きてく術を教えられる。
大人になっても分かりたくないんだよ

感想1

合わない環境に居続けるのは心が消耗するだろうと思いながら読みました。
やりたいこと、生きたい高校がありながらそれが思うように実行できないことのもどかしさがあるのだろうと想像します。
私も、特に親から「社会は厳しい」「世の中甘くない」という言葉を散々聞かされました。大人になって思うのは、社会が厳しいと言う人は、その人自身がそういう社会を経験してきたんだろうな、ということです。私が経験してきた社会は、確かに厳しい面もありますが、決してそれだけではありませんでした。あなたが書いているように、視点を変えることで見える世界は変わるということなのだと思います。社会が厳しいと思う人にはそれが正解なのでしょうが、必ずしも人の正解が自分の正解にはならないというのが生きることなんだと、私は思っています。

感想2

「なぜ悪いことが起きる前提なのか」、「なぜ悪い環境の中で生きてく前提なのか」…本当にそう思います。「社会は厳しい」、たしかに、社会のなかで生きているとそう思わされることばかりだと私は感じています。実際に続けて言われるかは別にして、その先に接続される言葉はおそらく「みんな我慢して生きている」、「だからあなたも我慢しろ」ではないかという気がしています。
同じ環境でみんな同じような悲しさ・辛さを抱えながら生きていくこと、これが当然視されていることに、私は大きな違和感を覚えます。安心できない環境に曝され、嫌な思いを押し殺していると、そのうち心も体もおかしくなってしまいます。私はすでに色々なところがおかしくなってしまいましたが、一見適応しているように思える人でも、ギリギリのところで耐えているのに過ぎないのではないかと思います。今の社会に生きる誰にだって、常に絶望するリスクが付き纏っているけれど、その現状を容認していて良いのだろうか?と思っています。
やるべきことは、悲しい中で生きる術を身に付けさせるのではなく、悲しい世界そのものを変えていくことだと考えています。悲しみに耐えるのではなく、楽しいことを追求したり、苦しみの根源を探って、それを解消していくこともできると私は信じています。あなたの投稿や、他の人の投稿は社会に対する一つの問題提起であり、これをみんなに共有して、考えていくことが大事な一歩だと思っています。またお話を聞かせて下さい。ぜひ、一緒に考えていきたいです。

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