経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

劣等感で消えたい

長くなりますが聞いていただけるとうれしいです。
大学受験で行きたい大学がはっきりしていてその時たまたま彼氏と同じで一緒に頑張ろうという感じで勉強をしたり励ましあったりしました。時には私が勉強に集中したいから距離を置きたいと言っていたこともありました。ですがテスト前後で躁鬱状態になりテスト本番でこけてそこから二次試験まで何も動けない日が続き精神科にも行ってなんとか第二志望の大学には合格できました。ですが第二志望の大学は自分の学びたい学部ではなく家庭の金銭面を考え志望した所でした。彼氏は私の志望校に合格し、私の志望校を下げたことについて深く聞いてくることもなく気を遣ってか何も言っていませんでした。
ですが学校が始まって彼氏の学校生活やサークルについて聞いたり、〇〇県は嫌いとか、〇〇を置いて一人暮らしできないよとか言われる度に今まで中途半端にしか頑張れなかった過去の自分が情けなくて消えたくなるし大袈裟とはわかってるのですが本当に行きたかった大学だったので毎回彼氏と会うたび泣いて帰ってしまいます。本当に自分勝手です。努力不足なのにこう泣いてる自分もきもいししにたくなるしこう思いながら会い続けるのもどうかなと思って家族に言うとくだんねーといわれ理解はできるのですがあまりにも未練がありかつ自分の学びたい学部でなく雰囲気も苦手な大学に行く自分と彼氏を比較して勝手に落ち込んでます。客観的に見ようとすればたかが大学で勝手に比べて落ち込むのはばかだろと思えるのですがどうしても割り切れません。この感情は家族以外誰にも相談できなく新学期ということもありなかなか気持ちの整理がつかず彼氏のこと好きだけど会うのもやめた方がいいかなと思ってしまいます。彼氏と会うのは好きなのに会う度に自分と比較して勝手に劣等感を感じその自分が嫌いで消えたくなります。どうしたらいいんでしょうか。
そして今新学期で深い友達もできないし会話もすぐなくなってしまいこれから大学生活すごし無事卒業できるかも不安で帰り道泣いちゃいます。みんなでもそうですよね、、

感想1

学校という場所や受験システムは、意味不明なくらい、序列の感覚を人に押しつけてしまっているものだと思います。志望校の上下という感覚はそういう中で知らず知らずのうちに入ってくる気がします。もちろん、そうでなくても、一番行きたい学校、二番目の学校ということはあると思いますし、あなたも偏差値などの問題というよりは、自分が学びたいと感じた内容があるから、志望校を選んだのかなと思います。ただそれが優劣の話と深く結びついてしまうのが、根深く、苦しみを増やしてしまうことにつながっている気がしました。
学びたい学部ではないというのも、あなたにとってはモチベーションを下げることにつながっているのかなと思います。もしかしたら、家族のことを考えたら、とにかく大学に入って卒業し、新卒で就職するというようなルートに乗らなきゃいけないという感覚も強い中での選択だったのかな?とも考えていました。私の周りでは一度会社などで働いたあとで行きたかった大学に入学し直した人も結構いて、ルートは全然一つじゃないと感じています。ただ周りにそういう人の例があまりなかったりしたら、イメージもつかないよな……と思います。

彼氏さんが行きたかった大学に行ったことで、彼氏さん自体があなたにとってその大学の象徴みたいになって切り離せなくなり、会うたびに苦しさが溢れちゃうのかなぁと思いました。それを切り替えるのは簡単なことではないと思うけれど、比較の感覚から距離を置ける時間や、無関係な活動などは大事なのかもと考えています。いまこの投稿からしばらく経って、あなたはどんなふうに過ごしているのでしょう。また、近況や感じていることを教えてください。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。大学受験はただの進学に向けての選択というより、自分がどこへ向かいたいかを明確に意識する場でもあるからこそ、そこで届かなかったものは、あとから何度も形を変えて現れてくるものなのだろうか…と考えながら読んでいました。
元々目指していた大学がはっきりしていて、しかも誰かと並走する形で頑張っていたがゆえに、その人がそこに辿り着いて自分は成し遂げられなかったという現実は、そう簡単に受け止めきれない重みがあるよなと私は思います。比較したくないと思っていても、日常の何気ない会話の中とかでも自然と差が浮かび上がってしまうものでしょうし、そのたびに過去の自分に原因を求めてしまうのは、無理のないものだと感じます。
「努力不足だった」と自分に言い聞かせることで、納得しようとしているようにも感じながら、でも実際には、躁鬱状態の波などによって動けなくなった時間があったことも書かれていたので、あなたの努力量で片付けられるものではないと私は思います。ただ、そうした事情よりも「結果」だけが評価されやすい環境の中で過ごしてきたから、自分でも結果だけで自分を裁いてしまうのかもしれないな…とも思っています。
そして、パートナーとの関係も少し難しくて複雑だなとも感じました。好きでいたい気持ちと、会うたびに傷つく感覚が同時に存在していて、相手が何か悪いことをしたわけではないのに、自分の中で勝手に比較が始まってしまうことへの罪悪感も含めて、感情が行き場を失っているように私には映りました。もしかしたら関係そのものではなく、“そこに映ってしまう自分自身”がしんどいのかもな…とも考えたりしていました。(全然違っていたらすみません)
「たかが大学」と思おうとしたり、「自分勝手だ」と引き戻そうとしたり、でも、その視点と実際の気持ちが一致しないところに、余計な疲れが生まれているようにも私は感じています。大学や進路の選択が、そのまま人の価値の差のように扱われてしまう空気は、社会の中に確かにあって、その影響は思っている以上に深く残るものですよね…。その中で、自分の選んだ道や選ばざるを得なかった道を受け止めることは、時間がかかるのも自然なことなのかもしれません。今はまだ、何かを“乗り越える”というよりも、未練や悔しさや劣等感がそのまま残っている状態で、それを無理に消そうとせずどう自分の感情をどう取り扱っていくのかをじっくり整理する時間と、そこから少しでも離れて比較や考えることで疲れている自分を休ませる時間の両方が必要だったりするのではないかと私は感じました。投稿から少し日が経ち、あなたがどう過ごしているかなと気になりながらこうして感想を書いているところですが、またいつでも死にトリに声を届けてほしいなと思っています。

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