昔から不安が強く、上手くやらなくては、という意識がかなり強いにも関わらず、皮肉のように要領や継続力、計画性が伴っていない、アンバランスな状態でした。特に思春期は異性とのコミュニケーションや、部活動•勉強でのパフォーマンスに課題を抱えていました。多感な時期に勉強、部活、恋愛と尽く上手くいかず、「自分はやれる」という感覚や、「できなくても問題ない」という感覚が育たず、未だに尾を引いています。幸い、暴力を振るわれたり、仲間はずれにれたりと大きなトラブルを経験しておらず、友人には恵まれたことから大きな不適合を起こさずに生きてこれました。しかし、自分の中にある「上手くやらなければ終わりだ」「実力がなければ誰も相手にしてくれない」という歪みに突き動かされ、ただでさえ他の人よりも興味•関心が弱くて無気力気味な自分を無理やり動かし、試合、受験、プレゼン、懇親会といった自身を評価される場に対して、まるで処刑台に登らされているような気待ちで毎回臨み、終わった後はひどく疲弊する、といった事の繰り返しでした。また、矛盾するようですが、生粋の能天気さや計画性のなさも併発しているので、それらに対して終わった後は始まる前の緊張が嘘のように安心し、トレーニングを積むわけでもなくただ無気力にダラダラし、締め切りが近づきパニック、徹夜など無理して何とか誤魔化すということを繰り返しています。どうにか学生時代は誤魔化しきり、社会人にはなれましたが、相変わらずなかなか上手くいかず、いつドロップアウトしてもおかしくないと感じています。しかし、レールを外れる恐怖から、無理やり体を叩き起こして日々仕事に向かっています。自分の能力のなさや、アンバランスさを恨む毎日です。書いていて思いましたが、今まで目をそらしていたものの、中々しんどい状況ですね。いつか楽になれれば良いのですが。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
ガタの出始め
感想2
読んでいて、ギリギリなんとかなってきた面もあるからこその終わらない苦しさがあるのかなと感じました。「ギリギリ」は「苦もなく」とは全然違うのに、苦しさが可視化されないから続くのかなと思ったのです。私も「これができなかったら死ぬしかない」と自分を追い詰めながら生きてきたと感じています。ただ、それは、社会の「常識」やさまざまな価値観を疑うという観点が持てなかったからだと現在は思っています。
この経験談を読み、私はあなたにも「一緒にやろうよ」と誘いたい気持ちになりました。この世の中に苦しい人がたくさんいるなら、あなたが苦しんできたなら、社会の現状を正しいと思うのでなく、世の中のいろんな「当たり前」を一緒に問い直してみようよ、という感じです。処刑されないように心がけるのではなく、なにがあなたを処刑台に向かう感覚にさせているのかを捉え直し、処刑システムとなっている規範を変えてしまうことが、私たちが人間らしく生きるためには必要なことだと私は思っています。
「上手くやらなくては」というのも、近現代の個人主義的、新自由主義的な風潮がとても強く押し付けてくるメッセージだと思います。とくに男性であれば「強くあること」「弱みを見せないこと」や能力主義の中で「勝ち残る」ようなことを押し付けられやすいと思います。ただ、それらの価値観は人を孤立させるもので、その中では仮初のコミュニティにはいられても、自分自身を表した上での連帯には届かないように私は感じています。
私はレールから転がり落ちた結果、紆余曲折をへて今に至りますが、落っこちてよかったし、レールなんか無視していいという気持ちがあります。あなたの中にもそれらへの違和感や苦しさがあるからこそ「ガタ」が出ているのかなと想像しました。社会はさまざまな人たちの力で少しずつアップデートされてきた歴史の上にあります。後から見れば私たちの時代はまだまだ未熟な価値観ばかりなのだと思いますが、こうやって言葉を交わしていく中で、より誰かを苦しめないで済む、より人が孤立しないで済むような在り方を探していけるはずだと思っています。あなたの思いを投稿してくれてありがとうございました。
感想1
わかるなぁと呟きながら最後まで読ませてもらいました。処刑台のくだりから、その後の無気力ダラダラ締め切りパニックまでも生唾を飲むほどに共感しました。焦燥感が詰まっている、題名の「ガタの出始め」という言葉には、良い悪い出来る出来ないと評価をされることに晒され続けてきた、世の中の多くの人の顔が浮かぶ思いです。ちゃんと、しっかり、普通にそんな言葉を主語に学校教育では様々なことを学んできたように思います。多様性という言葉ももれなく加わりながらも、本質的な評価のし合いは形を変えてより露骨になっている気がします。自分の能力の無さやアンバランスさを恨んでいると書かれていますが、単純な評価指針ばかりの世の中にうんざりし疲れ切っているようにも思いました。そしてひかれているレールに魅力を感じきれないそんな本音も隠れているのかもしれません。ある人から見るとドロップアウトでも、ある人が見ると卒業ということもあるのかもしれません。投稿いただき、ありがとうございました。