経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

気持ちを置く場所が欲しい

私はいつも、安易に「辛い」「悲しい」と口にできませんでした。それは、言わせてくれる場所がなかったからです。
だから自分より苦しい人がいると思い込み、まだ大丈夫だと自分を納得させていました。それでも、自分の思いを捨てることはできませんでした。
誰かに受け止めてほしくて身近な大人に頼ったのに、みんな自分のことで精一杯で、私の気持ちは置き去りにされたり、消そうとされました。
消えたい気持ちは一人で抱えることは難しく、どこかに置きたいのに、聞かれると都合のいい形に丸められてしまい、そのまま受け取ってもらえませんでした。
そのせいで消えたいと思うこともあります。でも、それは振り回されているだけで、だからまだ消えたくないです。
この経験を、そのまま受け止めてほしかったなと思うと、悔しさや怒りでいっぱいになります。
私が苦しいのは、私の立場や思いに向き合おうとしない大人に囲まれ、守ってくれる大人もおらず、自分と他人の意見を分けてくれないプライドの高い大人が私の環境には多いからです。
「大人になれ」と言われたり、立場を利用して「未熟だ」と決めつけられることが、とても辛いです。
自分の辛いことや、誰かに分かってほしいことは、いざ伝えようとしても上手く出てこないことがあります。たくさん辛いことがあっても、それを直視するのは苦しいので、無意識のうちに少しずつ忘れてしまっているのかもしれません。ただ、胸が重くてぐちゃぐちゃで、自分の思いや苦しさがモヤモヤしたまま消えてくれないから置く場所がほしくて、分かってもらえなくても、誰かに聞いてほしい気持ちがあるから、こうして文章にしています。
助言や評価や共感は必要ありません。お気持ちはありがたいのですが、それらの言葉は私の辛さそのものではないので、もらったところで心が救われることはあまりないのです。ただ、私の思いをそのまま置かせてほしい。それだけです。

感想1

経験談への投稿ありがとうございます。
文章を読み終えて、「ただ気持ちを置いておける場所」は、実はありそうでないのかもしれないと思い至りました。
長い間、「まだ大丈夫」と「全然大丈夫じゃない」の間を行ったり来たりしながら、心のバランスを保ってきたことを想像しました。
限界を迎えた末に出したSOSを置き去りにされてしまった傷つきは、少しずつ大人への不信感や怒りに変わっていったことを感じました。ある部分では、悔しさや怒りのエネルギーで自分を駆動させているような、そんなイメージも浮かびました。
あなたが指摘した通り、大人側が自分の立場や力を使って、子どもの声を奪ってしまったり、一方的に意味付けしてしまうことは、いたるところで起こってしまっていると思います。「そのまま受け止める」ことを難しくさせてしまう背景には、大人側の価値観や意識、社会のあり方など、さまざまな要因が折り重なっていることを考えています。
「自分の辛いことや、誰かに分かってほしいことは、いざ伝えようとしても上手く出てこないことがあります」と書かれていました。心のありようがようやく言葉になる瞬間は、事前に設定された場ではなく、ふとした余白の隙間に訪れるように思いました。
よく考えてみると、相手のことを「分かった」と言えるかどうか、「分かってもらえた」と感じられるかどうかは、とても奥が深いことのように感じています。
最後に書かれていた「それらの言葉は私の辛さそのものではない」との部分には、こちらの姿は見えませんが、自然と頷いてしまいました。
苦しさの中でも、自分の言葉で語ろうとする姿には、人間の尊厳を見たような感覚を抱きました。
またよかったら、言葉を置いていってもらえたらと思っています。

感想2

全文通して「わかる…」と頷きながら読んでいました。これはハリボテの共感ではなく、本当にそうだったのです。辛い気持ちのやり場について、すごく丁寧に言語化されていて、私なりに色々と気づくことがあったので呟いていこうと思います。

私が自分の意見や気持ちを外に出してもいいということに気づいたのはわりと最近で、それまではそれらを表明しようとすらも思っていませんでした。特に辛さや苦しさは自分の中に押しとどめておくものと当然のように思っていました。多分、あなたと同じように自分の気持ちをそのまま受け止めてもらった経験がないから、自分でも気づかないうちにその行為自体を行動の選択肢から抹消したのかもしれません。
「気持ちは表に出すものではない」という意識を形成するに至る経験を重ねた場所は、多くは家の中だったろうし、保育園や学校だったかもしれません。そういう場について考えてみると、弱音を吐けば「そんなこと言わない」とか、涙を流していれば「泣かないよ」とか、辛いと訴えれば「みんな辛いんだよ」とか、勝手なイメージなのか、誰かが言われている場面を見聞きしたのか、はたまた私が実際に言われたのかは定かではありませんが、そんな声が聞こえてくるような気がしました。
さらに考えを広げてみると、この社会で気持ちをそのまま受け止めてもらう経験をできる確率って、相当低いのではないのかと思いました。おそらくは、かなり多くの人が他者の気持ちをそのまま受け取る方法を知らないし、自分の気持ちを吐露する方法も知らないのです。してみれば、ここに感情封じ込め社会が出来上がるのも無理ではない感じがします。

最終的に、辛さや苦しさを表明し、共有することは、人々を苦しませている課題の発見と解決につながることだと考えが至りました。現に私も、あなたがモヤモヤを言語化してくれたおかげで大切なことに気づけたのでした。こんな風に、確かにある気持ちを抑圧して無いものにするのではなく、あるものはあるものとして表現できる社会になってほしいと思います。

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