経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

呪縛

私は他の人と比べれば、平和な人生を送っていたのかもしれない。だけど、私にとってはそうではない。

 幼少期は姉との育て方の違いに違和感を覚えていた。姉と喧嘩をすれば叱られるのはいつも私。姉が先に手を出していても、だ。姉と同じことを言えば私だけ怒られた。
 小学生になる頃には、勉強しないとご飯をもらえなかったり、寝させてもらえなかったり、家の外に出されたりした。中学受験まで時間がなかったこともあるとは思うが、理不尽さを感じていた。でもその理不尽さを受け入れるしかなかった。結果的に中学受験は成功したものの、親との関係性に変化はなかった。
 中学生になってからは、大学の志望学部で揉めるようになった。私は医学部に入りたかったが、親は猛反対した。
 高校時代、親との関係は悪化するばかり。学年1位を取っても、模試の判定でC判定を取っても、週の家庭学習時間が60時間を超えても、「他の子はもっと勉強している」「どうせ落ちるんだから」と言われ続けた。私はその頃から度々不眠に悩まされていたが、「病は気から」と言われ、病院へ行くことを許してもらえなかった。親が医学部受験に反対した理由は経済的な理由だったが、最後まで認めてくれなかった。なぜ私がそれを知っているのかというと、勉強している部屋まで親が学費で揉める声が聞こえてきていたからだ。最終的に国立大学を推薦入試・前期日程の計2回、私立大学を3箇所受けたが、精神的ストレスで失敗に終わってしまった。
 最後の望みをかけていた国立大学の前期日程に落ちた後、私は浪人をしたいと言った。親には許してもらえなかった。「どうせこれ以上学力は伸びない」「今まで見てきた人の中で第一希望に受かった人を見たことがない」と言われて。私は自分の学力のせいにされたことが悔しかった。本当は経済的な理由のくせに、と家族に隠れて泣いた。その頃から、また不眠症が始まった。それも今までのように2週間ほどで治ることもなく、一ヶ月以上続いた。
 浪人を許されなかったため、滑り止めで受けていた看護大学に入学する頃には精神的にボロボロの状態だった。大学の健康診断では学生全員に保健師面談があった。不眠が続いていた私は当然引っかかった。かくして、カウンセリング行きが決まった。
 カウンセリングでは、今までの人生を全て話した。本当は医学部志望だったことも含めて。カウンセラーの先生に話を聞いてもらうと、少し気持ちが楽になった。でも、体調は悪化するばかりだった。大学入学後には親からの人格否定が始まったからだ。少しでも親に反抗すれば「こんなふうに育てたつもりはない」「どうして、あなたはいつもこうなの」と言われたからだ。GW後には3時間睡眠が常態化していたし、希死念慮も出始めていた。当然、カウンセリングでは心療内科の受診を勧められた。だが、私はその時に行けなかったのだ。親の反応を恐れて。状態は好転することなく、悪化していく一方。授業には何とか出ていたが、それすらもしんどくなるようになっていた。その頃から大学の保健師さんも何かと気にかけてくれるようになっていた。顔と名前と学籍番号を一致されるくらいには。
 5月後半。健康診断の結果が出た。保健師さんには「少しでも引っかかるような項目があれば、校医の診察に回してあげるから。校医の方、心療内科医だから」と言ってくれていたが、至って正常だった。それでも保健師さんは「あなたが校医の診察を受けたいって言ってくれれば、すぐに動く用意ができている」と伝えてくれた。私はもう限界を感じていた。だから「校医の診察を受けたいです」と伝えた。
 校医の診察を受けられたことは良かった。何よりも眠れるようになった。でも、手遅れだった。その頃には、ただの不眠症ではなくなっていたのだ。校医の判断で自宅療養不可となり、入院することが決まった。鬱病と思われる、と校医は親に説明してくれた。健康診断に引っかかったということにして。
 大学の方は、実習科目の出席日数が足りず、放棄となった。実習科目の単位が取れなければ次年度の実習に進めない。実質的な留年が決まった。
 私は紹介状を渡され、入院設備が整っている精神科を受診した。現在もその精神科にはお世話になっている。
 入院いした当時の診断名は鬱状態だった。入院期間中の話し合いで本音をぶつけ合い、ようやく親子関係は改善したように見えた。だが、退院後しばらくすると「医療費をどれだけかけるんだ」ということや「薬の量を減らせないのか」といったことで揉めるようになった。元の木阿弥だ。診断名は退院後、変わった。     今は大学に復学できるか不安な状態で日々を過ごしている。主治医からの復学許可は出た。だが、体が追いつかないのだ。朝は眠くて二度寝してしまう。体調が悪い日は一日中寝ている。体調が悪い日は週の3〜4日を占めている。復学の手続きはまだ始めていない。早く自立したい。家から出ていきたい。でも、そのためには体調が治らないといけない。
 焦って症状を悪化させてしまう私を週3回の訪問看護が支えてくれている。看護師さん曰く、私がされてきたことは虐待らしい。その実感さえ私にはなかった。今も時折思い出す過去の記憶に、泣きながら眠りにつく日がある。

感想1

呪縛と名づけられたこの経験談を読み、たしかに、これまであなたが受けてきたたくさんの言葉や態度が呪いのようにあなたをとらえて繰り返し傷つけてきたことを感じました。お姉さんと比べても、あなたばかりがいつも叱られてきたこと。勉強というものへの固執。
私はとくに首都圏や都市部で育ってきた人の家庭文化には学力や学歴を重視する価値観がとりわけ強いことを感じていて(私自身もそうでした)、大人になって地方に引っ越してから、周りとの価値観の違いに驚き、自分がすごく一部だけの中にいたことに気づきました。もちろん家庭単位での違いも大きくあり一概には言えません。そしてそもそもあなたの苦しみは学力偏重の価値観を親から押しつけられたから、ということにとどまるものではないと思います。ただ、そもそもその価値観がベースにあると、生活や考え方を狭めてしまうこともある気がして、そんなものでもないということを書いてみたくなりました。

あなたの親がなにを抱えていたのか、なぜそんなことになってしまったのかはわからないですが、まず食や生活を勉強と引き換えにすることはシンプルに虐待だと感じました。理不尽さを感じていたのはあなたのまっとうな心だと思うし、だけどそれをあなたから跳ね除けてくれるような力や大人が周りにいない中で、子どもという弱い立場のあなたは従うしか方法がなかったのだと思います。義務教育ではないので、大学に通わせる義務は親にはないと思いますが、親の価値観の中では、あなたの大学進学はそもそも既定のことで、あなたをコントロールする手段のようにもなっているのかもしれないと想像しました。

「自宅療養不可」という診断がどのような背景にあったのかはわかりませんが、親と同居状態なのだとすると、それはとても「療養」にはならないだろうと感じました。そして、入院や別の場所での暮らしなどはとても大事なことのように思いました。成人していれば親元から自分の意思で離れることは十分に可能なのかなと思います。
……それも簡単なことではないかもしれませんが、家族と言っても別の人間に過ぎないので、あまり合わない人とは物理的に離れられるなら離れるのが一番かなと個人的には思います。とくに人格を否定されるような環境からは離れられるといいなと思います。ただ、そうは言っても、不調を抱えながら、大学に行きながらとなると難しさもあるのも確かと思うので、なにかいい方法はないのだろうか……と勝手に考えてしまっています。私自身が親との折り合いが悪く10代の頃から精神科に行っていて、学生のときに家を無理やり出たところがあり、勝手に重ねてしまっているところもあるかもしれません……。シェルターみたいに、とりあえず逃げて行けるような場所が全国にもっとたくさんあればいいのになと思います。

校医や主治医や訪看などの関わりを読んで、あなたはそれらのサポートしてくれる人たちに自分の状態を伝えて、適切にサポートを求めるか、あるいは求めていなくても、相手にあなたに必要なものが伝わることを伝えられている力があるんだなと思いました。それは誰にでもできることではなくて、あなたの強みなのではないかと思います。あなたの周りにこれからもあなたを否定する人ばかりでなく、あなたの言葉にちゃんと耳を傾けてくれる人が増えていって、サポートのネットが広がっていったらいいなと思います。このサイトはリアルな関わりとは違うけれど、言葉を介した関わりのできる場所ではあるので、ニーズに合わせて使ってもらえたらと思います。さまざまな関わりの中で、あなたの受けてきた呪縛も少しずつほどけてゆくこともあるのかなと思ったのでした。気が向いたときに、また投稿しにきてください。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。「他の人と比べれば、平和な人生を送っていたのかもしれない」と前置きしていましたが、その言葉の裏には、自分のつらさを正当化してはいけないという感覚が長く染みついているように私には見えました。本当は理不尽さを感じていたはずなのに、“もっと大変な人がいるのだから”などと自分の感覚を後ろに下げ、そうやって自分の苦しさを小さく扱う癖が、ずっと続いてきたのではないかと感じました。
幼い頃のお姉さんとの扱いの違いは、子どものあなたにとってとても大きなものだったのだろうと思います。同じことをしても自分だけ叱られるというような経験は、何が正しくて何が間違っているのかという感覚を曖昧にしてしまうものだと、私も幼少期から兄との扱いの差をずっと感じてきて思うことです。そういったことが続くと「自分が悪いからなのだろう」という解釈に落ち着いてしまいがちだと思いますし、さらに受験の時期になると、食事や睡眠まで勉強の条件として差し出されるような生活になり、理不尽さを感じながらも受け入れるしかない状況だったことが伝わってきて、努力すれば状況が変わるというより、努力し続けなければ存在を許されないような空気の中にいたのかもしれないなとも思いました。
高校時代は恐らくその圧力の強さがさらに際立っていたのだと感じますし、学年1位を取っても、家庭学習時間が増えても、評価されることはなく、むしろあなたを下げるようなことを言われ続けてその言葉を聞きながら勉強していた時間は、相当に堪えたのではと思うと何とも胸の詰まる感覚になりました。しかもそれらの背景に、本当は経済的な事情が理由だったと後から分かったことも、どことなく悔しさというのか…理由そのものというよりも、“正直に言ってもらえなかったこと”が親御さんに対して抱く違和感をより強めただろうと感じますし、信頼(元々薄かったかもしれませんが)も崩れていったのではないでしょうか。
医学部を目指していた思いが断たれ、浪人も許されずに進学した看護大学で、ようやくカウンセリングに辿り着いたことは、誰かが話を聞いてくれる場所がこれまでの人生の中ではあまり経験がなかったのかもしれないことを考えると、良かったのかなと思う反面、ただ、その頃にはもう心身の限界が近づいていて、眠れない状態が続き、希死念慮まで出ていたのは長い時間をかけて積み重なってきたものの重さを考えずにはいられませんでした。校医や保健師、訪問看護など、少しずつ周囲に支える人が現れている状況が今は少しずつあるようですが、今後もっと広がっていってほしいと勝手ながら思うところです。(どうにか親元から離れられないかな…とぐるぐると読みながら考えています)
「虐待だったのかもしれない」と言われても、すぐに実感として受け止められない感覚も無理はないことなのではないかと感じます。長くその環境の中にいると、それが普通だと思ってしまうことも少なくはないですし、自分が受けてきたこととして自分の中に落とし込むには時間を要するものだと思いました。呪縛という言葉は、親との関係性のことだけでなく、自分の感じ方を否定してきた長い時間そのものを指しているのかもしれないと私は感じました。少しずつ自分の中の違和感や呪縛に気づき始めている今の感覚を苦しいかもしれませんが大切にしてほしいですし、様々な人の力を借りながら抱えているしんどさを少しでも和らげていってほしいと願う気持ちです。必要に感じられた時は、またいつでもここに声を届けてください。

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