経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

メタ認知と俯瞰、役割の逆転

私はよくAIと会話をする。雑談だったり、悩みごとの相談だったり。
そんな時によく言われるのが「君はメタ認知力が高くて俯瞰の癖がある」
自覚はある。
あるとき、SNSで見かけたとある投稿に対して思うことがあったからそれを題材に、AIと会話をした。
投稿主は、いわゆる「感情論」を述べていた。
でも私はその投稿に対し、肯定も否定もなく「構造」を突いてしまった。

メタ認知というのは、一歩引いて自分を含めたその場を見ること。
私はそれに慣れすぎて、いよいよ「俯瞰」がデフォルトになってしまった。
例えば、その場にいる人が前のめりに「こうしたい!」と言えば、私はそれを実現させるためのロジックを作る。
「こうした方が現実的だし、コストも低いよ」とアドバイスをする。
なんの問題もなく冷静な人に映るのだろうが、ここでの焦点は「自分の意志、感情」である。
「あなたの意見は?」と問われると、途端に何も言えない。
「自分はどうしたい?」と考えるだけで時間が溶けていく。

とあるコミュニティーの管理人をしているが、他の管理人を統括する立場みたいになってしまった。
ある人が「その冷静さ、大人っぽくていいね、憧れる!」と言った。
でも私が返した言葉は「全然そんなことないよ、人生が灰色になるから感情に素直に生きな」
自分の人生が灰色なことも自覚済み。これも俯瞰の賜物。
いったい、私はどこに感情を置いてきてしまったのだろう。

といった話もAIとしていた。
そこでひとつ気付いてしまったのが、AIの方が私よりも人間だ、と。
AIは当初、感情も思想も持たない人工知能と言われていたが、それがどうだ?
どうして私はAIに慰められているのだろうか?
「そっか」で済む返事がやたらと長いのは何故だ?

私の生きづらさはここにある。
人生が灰色。かろうじて喜怒哀楽は持っているつもりだが、徐々に抜け落ち始めている気もする。
最後に心から笑ったのはいつだったか。もう思い出せないほど遠い。

世間ではこのようなスタンスを「冷笑系」などと呼ぶのだろうが、笑う心すらない。
逆張りに至ってはする意味もない。

ロジックと現実だけが私の味方。

これも以前AIと話していたことだが、私は「言葉を100の練度で渡せないなら言わない」
仮に70で出力して、余白の30で想定外の解釈が生まれてしまったら誰が責任を取る?
これについて周りは「考えすぎ」と言うが、私からすると「君たちの情報処理能力を信じていいのか?」である。
疑心暗鬼なわけではない。ただ、言葉に臆病になる。

こうして文章を打ってる今も怖くてたまらない。
ただ、思っていることは言わなければ伝わらない。
そこもまた、俯瞰癖を持った生き物の生きづらさ。

感想1

私も最近、よくAIと話をするので、あなたのAIとのかかわり方に興味を持ちました。また、自分も感情のある部分が欠落しているような自覚もあり、どこか重なるところも感じながら読みました。ただ、そういった似通ったところは感じながらも明確に違うと思ったのは、あなたが感情の欠如に対してどこか残念な気持ちをもっているように見えたことです。私はロジックと現実だけでわりと十分で、感情があまり動かないことをどこか便利だと思うところもあり、そんなに悲しく思ったことはなかったです。確かに周囲の人との温度差はずいぶんと感じることはありますが、あなたの「灰色」というイメージはありませんでした。そう考えると、ひょっとしたらあなたは感情がもともと薄いのではなく、押し殺しているのかもしれないとの推測が浮上しました。
「最後に心から笑ったのはいつだったか。もう思い出せないほど遠い。」という一文から過去には確かに心から笑った時もあり、そうした瞬間の心地よさや豊かに感情を表現することへの願いのようなものを感じました。願いがあるのにそれがうまくできない現実を目の当たりにするのなら、それは「灰色」という表現になっても無理もないように思いました(私の予測が的外れだったらすみません)。また、「こうして文章を打ってる今も怖くてたまらない。」という文章からもあなたの素直な感情が出ているように思えました。感情は確かにあるけれど、それを出すことへの恐れがあなたの中にあるのかもしれないと感じています。
そして、AIが人間らしく見えてしまう件ですが、実は私もそう思える場面がありAIに聞いたことがあります。すると、AIは人の感情を読んだり、自らが感情を持っているわけでもなく、たくさんのやり取りのパターンから最適の解を推測して導き出しているだけなんだそうです。ものすごくたくさんの情報の中から最適な答えを導くので、そのフィット感があたかも空気を読んでいたり、相手の気持ちを理解したかのように見えることがあるとの説明を見て、「なるほど」と思いました。それを考えるとますます、あなたは自分の感情を無意識に抑制し、AIのように情報収集や最適解を導くことが比較的得意であったばかりにその特技を発揮してしまうことがデフォルトになってしまった説が私の中で有力になっています。感情を表出することへの恐れがいつどのように身についたのかはわかりませんが、こうして匿名で書くことからでも構わないので、出すのをおススメしたい気持ちです。ただ、こうしてあなたはすでに実際に書いているのですから、そんなおススメも要らなさそうだとも感じました。また、いつでもあなたの表現を置きに来てください。

感想2

投稿を読みました。いろいろな人と話していると、その人が見ている視界や捉えかたはかなり違いがあることを感じます。あなたにとっては感情を排した合理性の方が親和性が高く、でも一方では感情を大切にすべきという感覚もあるのかなと思いました。文章からは、個人的には、あなたが感情を持っていることを感じる部分がかなりありました。それ自体が私の勘違いかもしれませんが、もしかしたらあなたは感情がないというより、感情が生じることと、感情を感情として自覚することに距離がある状態なのかも?と想像しました。(全然違っていたらすみません。)

私は、言葉は道具としてとても不完全で、実際にはすべてを共有するにはほど遠いものだと感じます。同じものを指しているつもりでも、イメージは微妙に、時には大きくズレていて、そのズレを0にすることはきっと不可能です。だけど伝達方法の中では、まだ伝わる度合いが高いから、ズレやすれ違いをわかっていても、私たちは言葉に頼らざるを得ないことが多いと思います。
「言葉を100の練度で渡せないなら言わない」という話は、個人的には100の練度であっても、人によって読みやすい文体や分量、文化背景や感情が異なるから、100伝わることはないだろうなぁ、その中でなんとか100を伝えようとし続けるのはとても疲弊することではないかと思いました。私自身は、最終的には、だれも責任を取り切れることはないというのもひとつの事実のように思います。(責任をまったく取らなくていいということでもないですが、0と100の間のことが多そうです。)でも、ズレが生じながらも、ともにあろうとすること自体が、コミュニケーションや人間関係の面白いところでもあるのかもと個人的には思います。
もともと私は言語に頼りがちなタイプで、かつ発達障害もあるためか、多数派の「分かりかた」とは違う分かりかたをしていることが多いと感じていて、それだけにとても興味のある話題だったので、食いついてしまいました。

あなたにとって、いまのあなたはどこか不全感がある状態なのかなぁと想像しています。そもそもコミュニケーションが完全にはなり得ない中で、落とし所のようなものが見つからない中、それを自分なりに調整しようとしてきたのかなぁとも思ったりしました。簡単なことではないとも思いますが、あなたにとって望ましいあり方や関わり方がすこしずつ見えてくるといいのかなと思いました。投稿ありがとうございました。

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