経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

死ぬのがもう怖くない

なんだろ、生きるのに飽きちゃったのかな
もう分かんないなぁ
すっごく嫌いな人もいるけど、大好きな人もいるよ
その人たちともっともっと仲良くしたい
でもさ、死にたいんだよ
もう、ムリって言葉が一番早いんだけど
それで片付けるのって自分の気持ち無視してるっぽくて
もっと嫌になるし、疲れる
小学生のころくらいかな?
それまでは
もう死にたいなって思ったら、怖かったんだけど、
今はもう怖くない
それっておかしいのかもって
最初は思ってたんだけど
違うのかも
もしかしたら、
やっとこころの奥まで
「死ぬ」ことよりも「生きる」のほうが
辛くて、
疲れて、
怖くて、
痛くて、
苦しい
ことなんだ、と
気づいたのかもって
ほんとにやっと
もう何年も我慢した
死にたいってずっと思ってた
ずっと、ずっと、
でも怖くて死ねなかった
そのたびに弱い自分が更に嫌いになっていった
そして、また、生きるのが辛くなる
でも、もう怖くない
大切な人たちにありがとうを伝えたら、
いつでも、
好きな時に
自分の気持ちで死ねるようになった
それでも、まだ決心がつかなくて
ここにいる
人に褒められると心が揺らいでしまう
でも、外ではイイ子ちゃんのふりをしないとだから
掃除を熱心にするし(そういうのを細かくするのが好きなだけ)
テストでだっていい点とる
友達を代わりに手伝ったりするし
係の仕事も精一杯する
だけど、
課題はしないし、しても提出はしない
授業中もお絵描きしてるし、
忘れ物の報告すらしない
先生に怒られたってなんのその
教師から見ても問題児だし、
同級生から見ても
ズルいって思ってしまう
そんな「ワルイ子」をしてる
なのに、なのに、なのに、なのに
なんでなの?
先生はさ、手伝いしたら
「やってくれてありがとう」
って
おかしいじゃん
課題だしてないよ
なんならそのこと黙ってるよ
授業中だってかまわずお絵描きしてるよ
なのになのになのに
なんで?ねぇ、なんでなの?
ワルイ子だよ?
褒めたらだめだよ?
通知表にいい点つけちゃだめだよ?
やめてよ
褒めちゃ、だめなんだよ
こころが弱くなってさ、
生きることを前向きに考えちゃうからさ
また、死ぬのが怖くなったらどうすんのさ?
もうここに希望をもっちゃ、だめなんだよ
もう、生きることに執着するのをやめなきゃなんだから
褒められたら居心地が悪くなる
ずっと、
褒められるほうが起こられるのより嫌で、
なんでだろうって思ってたけど
褒められるのに慣れてないからってだけじゃなくて、
死ぬ決心が揺らいで
だから、心地悪くなってたみたいだ
まぁ、もうどうでもいいけど
確か小4?そんくらいの時に
推しができたんだよね
それは、リアルに生きているひとで、
その人は幼いころ家庭環境が悪かったらしい
でも、そんな中でも生き抜いて、大人になって
人に夢を届ける仕事をしてて、
すごいなって思った
かっこいいなと思った
自分も、そんな風に生きることができたらなって
思ったんだけど、やっぱさ、
キツいね
そんな夢すぐ砕け散ったよ
二日すらも夢見てらんなかった
現実をちゃんと見なきゃって
思わされた
弱いんだから、
そんなことを目指すなんて無謀だったよ
今は、アニメのキャラも
漫画、小説のキャラも
リアルに生きてる人間も
たっくさんの推しがいて
ある人に、
推しが多いほど幸せ
みたいなこと言ったけどさ、
やっぱ違うみたい
そんなことなかったわ
推したちが夢を見せてくれるけど、
今生きてるんは現実だから
そこのギャップがおっきくてさ
余計に辛かったりするんよな
まぁ、そんな感じ

あと、ほぼ雑談なんだけど最近面白いことがあったから聞いてくれる?
ちょっと前に親が目を怪我して、
運転できなくなっちゃったから
祖父母の家に住んでたの
約二週間くらい
そして、その最後の日の後六時間目に
友達が発見して、
死にとりのつらチェックのやつで班活動の時に一緒にやって
結果が
20点で人生マイペースモード
だったの
思ったよりも全然低くて、
祖父母の家で
あんまりストレスたまらん生活してたからかなって
思ってて
その日塾だったから22:00頃家帰ってきて、
なんか怖くて(?)なかなか寝れなかったの
だから、また明日もやろうと思って
次の日は朝早いから6:25頃には家出てて、
帰るのも17:30とかでほとんど家にいないじゃん
なのにそのあとやってみたら、
まさかの46点 人生ハードモード!
いやぁ、さすがにこれはびっくりですよ
驚いて
えぇ?
嘘だぁって思いましたもん
何かの間違いだろって
もう一回やってみました
42点でした
いやぁ、すごくないですか
親のことは、兄弟のことが嫌いだから
あんまり話してないのに
やっぱ、死にたいの原因は、「家族」だって改めてわかった
いやいや、けど!けどさ、
これはさすがに
家で起きてた時間は7時間くらいなのにこれは、と
あと一週間近く家にいなくてはならないのに
大丈夫かなと思いもしたけど
学校に友達もいるし、
LINEVOOMの仲いい人もいるし、
大丈夫だと思った矢先の祝日
親が仕事で、兄弟が祖父母の家に行ってくれてよかった
今日は耐えれた
明日はテストで午前授業で、
兄は塾に行くためにまた祖父母の家
弟は学校、親は仕事
また半日家で一人だから
明日も大丈夫
金曜日は兄と逆で塾だから
ぜんぜん平気
土曜日は、午後から親と弟は
ひいおばあちゃんのとこまでいくらしいから、
一言も交わさん兄となら大丈夫
日曜日に祖父母の家に戻れば
そこからはもうオールオッケィ!
あと四日間の夕食時だけの辛抱で、
人生マイペースモードになれる
死にたいの気持ちがほぼゼロになる
あの無理しなくてもいい環境に帰れる!
そう思って今日この頃を生き抜きます!

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。「死にたい」と思いながらも、まだどこかで揺れている心の動きがそのまま綴られているように感じました。生きることに飽きてしまったのかもしれない、と自分でも理由を探しているけれど、はっきりした答えにはたどり着けないその曖昧さのまま、好きな人もいるし、もっと仲良くしたいとも思っていて、それでも「死にたい」という気持ちは消えず…矛盾しているようでいて、その両方が同時に存在していることが、いまの正直なあなたの状態なのだろうと私は思いました。
小学生の頃はまだ「死ぬこと」が怖かったのに、段々その怖さが薄れてきたという部分に、なんだか長く続いた疲れが滲んでいるように感じました。恐怖感がなくなったというより、生きている時間のほうが重く感じられるようになってしまった、そんな変化なのかもしれないな…とも思ったりします。何年も「死にたい」と思いながらも実際には死ねず、そのたびに自分を弱いと思ってしまうことの繰り返しは、外から見る以上に消耗するものなのではないかなとも思いました。
掃除を丁寧にやったり、テストで点を取ったり、係の仕事をきちんとしたりしているのに、課題は出さないし授業中は絵を描いているという、いわば「ちゃんとしている部分」と「わざと崩している部分」が混ざっていて、そのバランスの取り方がどこか意図的に私には映りました。もし周りから完全に「いい子」と思われてしまったら、生きる側に引き戻されてしまうというのか…だから少し自分を「悪い子」にしておいて、褒められると居心地が悪くなるのも、その決心が揺らいでしまうからなのかななんて想像していました。(全然違っていたらすみません)
それでも、先生が「ありがとう」と言ってくれることに戸惑いがあるのは、人との関係が完全にあなたの中で切れているわけではないのかなと。褒められることに抵抗があるのは、ただ慣れていないというより、“生きる方向に心が動くこと”そのものを警戒しているからなのかもしれません。
祖父母さんの家に戻ればまた“マイペースモード”に近づけるかもしれないと数えながら日々をやり過ごしている様子に、どこか危うさと同時に、今を何とかやり過ごそうとする工夫を感じました。場所が変わるだけで呼吸がしやすくなることがあるというのは、私も経験して思うことですし、家族という関係が安心の場になる人もいれば、逆に不安や緊張の源になる人もいて、その違いは、社会の中ではまだ十分に理解されていない部分でもあるなぁと改めて考えていました。
希望を持ってはいけないと自分に言い聞かせながら、それでも人の言葉や環境に心が動くその揺れは何もおかしなことではないですし、あなたにこの先安心して過ごせる時間が少しでも訪れることを勝手ながら願っています。また何か書き留めたい時や、気持ちを外に出したい時はいつでもここを訪れてください。

感想2

まるであなたとラフにおしゃべりしているみたいだなあと思いながら読んでいました。また、死ぬことが怖くなくなったことから考えて、生きるのがつらいという思い、さらにその原因まで解明したあなたの思考プロセスを、そのまま辿らせてくれているような文章だなとも感じました。はじめの方の「(…)それで片付けるのって自分の気持ち無視してるっぽくて」という言葉から、自分の気持ちをよく観察して、それを適切に表現しようと工夫する人なんだなという印象を受け、最後まで読んでみてもその印象は変わりませんでした。

大好きな人がいて、その人たちともっと仲良くしたいと思っていたり、たくさんの推しがいたりで日常の中に楽しい瞬間はあるが、その楽しさを掻き消すほどの生きづらさを長い間抱えている状態ではないかと思いました。この文章からは、外でのイイ子ちゃんのふりと家族のことがあなたの生きづらさに繋がっていると私は感じ取りました。
あなたは「外ではイイ子ちゃんのふりをしないと」という規範意識を持っていますが、あなたの感情・行動は必ずしもそれに合致するものではないことが見て取れました。褒められたら死ぬ決心が揺らぐからだ、と説明されていますが、イイ子ちゃんのふりをすることそのものがあなたにとって苦しいことなのではないかと私は感じてしまいました。イイ面もワルイ面も知っている先生の「褒め」は、イイ子ちゃんでなければいけないと思っているあなたの両面をひっくるめて肯定してくれるように感じられ、居心地が悪くなってしまうのかなとも勝手に思っていました。
そもそもイイ子ちゃんのふりをし続けなければいけない、とあなたに思わせているのは何なのかなあと考えました。それが誰にしろ、何にしろ、多分、あなたは昔からそう思わなければ生きていけない環境にあったのではないかという気がしています。
詳細は書かれていませんが、家族が嫌いで、一緒に過ごすことがあなたにとって大変に苦痛であることは分かりました(つらチェックがあなたの生きづらさの理解を助けられたようで、嬉しいです)。この2つを合わせて考えると、おそらくあなたは外でも家庭でも安心できない状態でずっと生きてきたのではないかと思えました。もしそうなのであれば、あなたに堆積した苦痛は相当なもので、生きるのを諦めることを考えてしまうほどの極限まで疲れ切ってしまうのも当然なことだと思います。

私は、楽しいこと・辛いことのどちらもあって浮き沈みのある状態より、どちらか一方だけがあって一定の調子を保っている方が楽なのになあ…と思うことがあります。楽しいだけの人生が良かったのですが、楽しいだけの状態になったことがないので、いっそ辛い状態が続いたらいいのにとさえ思うこともあります。あなたの感じる心が揺らぐことの辛さもとても身に覚えがあるし、というか今まさに私もそれで葛藤しています。素直に楽しいことを楽しめたらいいのに、それを忘れさせるほどの辛さがなくなればいいのにと自身に対しても、あなたに対しても思います。
次もまた、ぜひここでお会いしましょう。

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