経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
友達からの結婚報告を受けてさ、なんか、ちゃんとおめでとうって言えなくて
大抵の人はそこで「あーわかる、焦っちゃうよね」
そうなんだよー、と首肯して終わらせる。
でも本当は
「人と仲良くなって、さらにその先」をしている友達を見て
俺は絶望したんだよね
大抵の人はそこで「あーなんとなくわかる、焦っちゃうよね」
そうなんだよー、と首肯して終わらせる。
でも本当は
その絶望っていうのはね
自分は、こうやって人と仲良くなろうして、試行錯誤して、面白くなろうとして、人を誘って、人が世間的にデートだと思うこと、を想像しながらそれを「普通になるため」になぞって、でも結局普通になれなかった、ずっと苦しいまま、ずっと俺はそのままでいていい安心感なんて持てないまま。
そんな中、友達の結婚報告を受けて俺は思ったわけ
なんて返そうかなって。
2通り思いついた。
「え!まじ?おめでとう!いつ結婚するのかって思ってたけど、そっかー良かったね!」
だったり
「結婚おめでとう!!よく結婚すると疎遠になるとか言うけど、これからも仲良くしてよな」
だったりしたけど
他の人の返信を見て
あー、俺って、こんなときでもそれらしいことを並べなくちゃいけない、なんて思わないと、普通にはなれないんだ。
って思ったら、
絶望したんだ
っていうのが、本当なのに。
ここまで、話なんて、聞いてくれないじゃん誰も。
こんな話を誰も求めてないことは、生きてきてもう十分わかってるから。
感想1
投稿ありがとうございます。
実は私もあなたと似た部分があるんじゃないか、と感じました。
「普通」になぞった自分を想像して、自分はそれじゃなかった。でもこのままではいけない。焦りにも似た、安心感のなさ。「あなたは普通になりたいんだろうか?」そんなことも考えながら読ませていただきました。
お友達の吉報に対しあなたが思いついた2通りの言葉に対し、私はとてもいい意味で「普通」に見える言葉だなと思いました。でもあなたの思う絶望はそういうことではないんだろうな、言葉の力云々ではなく、その「普通」に見える言葉を用意する時の自分の心持ち、というか、そもそも用意しなければいけない状態に対して絶望を感じているんだろうか、と、私は考えてました(私もあなたの経験と同じ場面で起こる感情があるとすれば「絶望」に近いもので、私ならこういうときにその感情が起こるかな、と想像したためです。違っていたら申し訳ないです…。)。「心から祝福しているなら、文章なんてつくらなくても自然と出るものなんじゃないか」と私は思ってしまう側の人なので、あなたも似た感じなのかな?と勝手にいろいろと考えました。お友達を祝う気持ちに義務感というか、「普通」になるために祝う、という感覚 を覚えてしまうことがあるのもあなたが自身に絶望を感じさせる要因のひとつにあったりするのでしょうか?
これまでのあなたの人生の中に、あなたの声をしっかりと受け入れてくれる場面があったのだろうか、と感じました。人の感情の先にどういった想いがあるのか、なんとなくその感情を受け入れている日常の中で、一つの出来事に対する感情にこれほどの分析と言語化をされていることに、私はいい意味で驚きが隠せませんでした。
今回の経験談のほかにも、きっとあなたがやりづらいと感じる場面や、感情の先にあるものを感じ取る場面があるのかなと感じました。都度深く感じ取っては傷ついてしまうことはとても苦しい事だと思います。私はしっかりこの投稿を読ませていただきましたし、気づきをいただけた部分もありますので、あなたの声に反応してくれる方はほかにもきっといるんじゃないかなと、個人的には感じました。
感想2
経験談へ投稿いただき、ありがとうございます。
最後の「ここまで、話なんて、聞いてくれないじゃん誰も。こんな話を誰も求めてないことは、生きてきてもう十分わかっているから」という文から、普段からいかに、思ったことや感じたことを容易にパっと出しづらい(安心してその場にいる、話すということが難しい)状況なのかということが伝わってきたような気がします。
これは私の考えでしかないのですが、きっと、「相手が求めていなくても、自分が話したいなら話す」ということがあってもいいはずなのに、容易にそうできない背景には、これまでにあなた自身が思ったことを発言した時にしっかりと聞いてくれなかった、軽くあしらわれた、否定された、そんな経験を多くしてきた結果なのだろうかと感じました。
それ故に、もともと日本自体が調和を重んじる文化があるように思うので、「普通でなければならない」みたいな考えは根強く未だに残っていると思うのですが、それ以上に、あなた自身の中で、さらに傷つかないために、「普通である」ということを深く考える、普通に擬態しようとするようになったのかなと私自身は感じました。ですが、そうやって普通に擬態しようとする自分にも嫌気が差している、もしくはそのままの自分でいられないことに疲れてしまっている、そんな印象を受けました。
一回一回、発言や行動ごとに、これは普通なのか、どうなのか、そしてこれはこの人に対して表現してもいいのか、そんなことを数秒の間でやっていく、それが連続していくことは結構気力がいる作業のように思います。そして、あなたの場合は自分を押し殺しているようにも見えたので、ずっと身近にいる家族だったり、友達だったり、そういう存在とも本当の意味でわかり合えない、認めてもらっている感覚がない、だからこそ、「ずっと苦しいまま、ずっと俺はそのままでいていい安心感なんて持てないまま」という言葉にとても腑に落ちる感覚がありました。
また良かったら、ぜひ、書きにきてください。
感想1
投稿ありがとうございます。
実は私もあなたと似た部分があるんじゃないか、と感じました。
「普通」になぞった自分を想像して、自分はそれじゃなかった。でもこのままではいけない。焦りにも似た、安心感のなさ。「あなたは普通になりたいんだろうか?」そんなことも考えながら読ませていただきました。
お友達の吉報に対しあなたが思いついた2通りの言葉に対し、私はとてもいい意味で「普通」に見える言葉だなと思いました。でもあなたの思う絶望はそういうことではないんだろうな、言葉の力云々ではなく、その「普通」に見える言葉を用意する時の自分の心持ち、というか、そもそも用意しなければいけない状態に対して絶望を感じているんだろうか、と、私は考えてました(私もあなたの経験と同じ場面で起こる感情があるとすれば「絶望」に近いもので、私ならこういうときにその感情が起こるかな、と想像したためです。違っていたら申し訳ないです…。)。「心から祝福しているなら、文章なんてつくらなくても自然と出るものなんじゃないか」と私は思ってしまう側の人なので、あなたも似た感じなのかな?と勝手にいろいろと考えました。お友達を祝う気持ちに義務感というか、「普通」になるために祝う、という感覚 を覚えてしまうことがあるのもあなたが自身に絶望を感じさせる要因のひとつにあったりするのでしょうか?
これまでのあなたの人生の中に、あなたの声をしっかりと受け入れてくれる場面があったのだろうか、と感じました。人の感情の先にどういった想いがあるのか、なんとなくその感情を受け入れている日常の中で、一つの出来事に対する感情にこれほどの分析と言語化をされていることに、私はいい意味で驚きが隠せませんでした。
今回の経験談のほかにも、きっとあなたがやりづらいと感じる場面や、感情の先にあるものを感じ取る場面があるのかなと感じました。都度深く感じ取っては傷ついてしまうことはとても苦しい事だと思います。私はしっかりこの投稿を読ませていただきましたし、気づきをいただけた部分もありますので、あなたの声に反応してくれる方はほかにもきっといるんじゃないかなと、個人的には感じました。