いじめられてるわけではない。虐待もされてないし、なんなら温かい家庭だ。学校には居場所もあるし、友達もいる。自分はクラスや学年のリーダーをやるような、いわゆる『真面目キャラ』で、少なからず信頼してくれてる人もいる。自分って幸せなんだろうな
でもどうしようもなく、死にたくなる。消えたくなる。幸せなのに、特別何かに苦しんでるわけでもないのに、そんなこと考えてしまう自分が嫌でまた消えたくなる。この繰り返し
高校受験のとき、自分は合格したけど特待生にはなれなかった。友達は特待生で受かっていた。でも、その子は『自分は特待生の中でも低い方だ』って言ってきた。それを聞いた時にすごくみじめな気持ちになって、どうしようもなく苦しくなった。自分も受かったし、特待生じゃないのは努力が足りなかったことは分かるけど…。
他にもふとしたときに、自分って何もかも中途半端だなって思ってしまう。勉強もあまりできない、運動も得意ではない。かといって人に誇れるような趣味も特技もない。そんな自分が嫌いで、自分ってなんで生きてるんだろうって思う。目の前にあるペンやノートも、友情も、作り上げた真面目キャラも、学年のリーダーとしての立場も何もかも壊してしまいたい。最近はそんな衝動に駆られることが多くなった。
こうやって文章をまとめてても結局何が言いたいのかも分からなくなってぐちゃぐちゃな文になっちゃうし…。自分は何が苦しいのか自分でもよく分からない。ただとにかく生きていたくない。
こんなふうに思ってても、学校行って友達の前に立つと笑顔を振りまける。そして、死にたいのは甘えなんじゃないかと考え始める。きっとそれが余計に自分を追い込んでる。大丈夫、自分は大丈夫。いつしかそんなことばっかり言うようになった。本当は大丈夫なんかじゃない。どうしたらこの苦しみがなくなるのか。自分はどうすればいいんだろうか。自分1人くらい死んでも世界は回るし、同じような能力を持った人はきっと五万といる。なんなら死んだ方が迷惑かけずに済むのかな?本当に生きてていいのかな。
まとまりのない文章で申し訳ないです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
『自分はまだ大丈夫』
感想2
タイトルも含め、あなたがあなた自身に懸命に言い聞かせてきた言葉なのだろうな、と感じながら読みました。「幸せなのに」と書いてあるけれど、幸せなんだろうか……?と立ち止まってしまう私がいて、「なんで幸せって言い聞かせないといけないんだろう」と思案しています。苦しんでいるかどうかって、理由があるかどうかとか、それが周りから自分からわかりやすいかどうかではなく、シンプルに苦しさがあるかどうかだと思います。幸せも同様に、幸せだと体感的に感じた時が幸せなのではないかと思います。でもあなたにはあなた自身の感覚を信じてはいけない、それよりも、理由や証明できる事実みたいなものをベースに考えなければいけないという感覚があるのかなと想像していました。
「作り上げた真面目キャラも、学年のリーダーとしての立場」といった言葉からも、周りからどうみられるかを強く強く気にしてこなければならなかったことを感じました。個人的にはキャラクターなんて全然一貫していなくていいし(人間は多面的な生き物なので、さまざまな要素や表情、側面があり、複雑なのが自然だと思っています。)立場も可変的なものだと思います。ただ、もしかしたらあなたがそれを意識する前から、周囲の人やとくに大人から、期待された役割やイメージがあったのかなぁと考えていました。
学校で関わったり知ったりする人は世界人口の中のほんの一握りですが、そんな中でもなぜか優劣を競ったり、序列を作ったりするような集団の圧力はあるように思います。その中であなたは、自分の価値や意義を証明しなければ、自分自身がそこにいていいと思えないような不安の中でずっと戦ってきたのではないかと思いました。もしそうだとしたら、その戦いはとても孤独なものだと思うし、追い込まれてしまうこともあるように思います。
そう考えていてふと思ったのですが、そもそも大丈夫じゃないといけないのでしょうか。大丈夫じゃなくて、弱ったり、苦しかったり、つらくて立ち止まったりすることは人間の自然な反応で、それを我慢してもきっと消えはしないものだと思います。だけど大丈夫じゃない人は、即座に舞台から引き摺り下ろされてしまうような視界があなたの前には広がっているのかもしれません。あなたが知る価値の指標が、競争をベースにしたものが多くて、そうじゃない価値観を知る機会もこれまであまりなかったのかなとも思います。私自身は、ちゃんと、大丈夫じゃない自分でいる時間も、大事だと思っています。私は真面目でも優等生でもないまま生きてきた大人なので、あまり参考にはならないかもしれませんが、そんな外側の胡乱かもしれない立場から、大丈夫じゃなくても大丈夫だと言いたくなりました。
感想1
まず、「自分は幸せなんだろうな」「自分はまだ大丈夫」としていながら、「本当は自分は大丈夫なんかじゃない」という相反する気持ちに挟まれ、とても苦しい状態ではないかと思いました。終始、自分と他人を比べている様子が散見され、自分のステータスを他人と比較することで評価していることが多く、かなり自分に厳しいなという印象でした。
自分はいじめも虐待もなく、温かい家庭で、学校にも居場所もあり、友達も信頼してくれる人もいる、責任ある役目も担っているから「幸せである」という自己に対する客観視が、あなたの辛い気持ち・死にたい気持ちを抑圧しているような気がしました。
また、自分に対する「何もかも中途半端である」という評価も相当に苦しいものだと思います。あなたのいうように、このような自分に対する気持ちが「自分を追い込んでいる」ような感じを私も受けています。
私は、今あなたが確かに感じている苦しみや死にたさをそのまま受け止めたいと思います。あなたが自分のことを「幸せなんだろうな」と見做していても、いま感じている気持ちを責めたり否定する必要は全くないと感じます。一見して「幸せな状態」だと印象を受ける人でも、その実は分かりません。ほんとうに幸せを感じているかもしれませんし、辛い思いを抱えているかもしれません。けれど、「幸せな状態に見える」からといって、その人の抱えるネガティブな気持ちを否定してもいいとは、私にはとても思えないのです。
また、自分に対する否定感や焦燥感の大半は、他人と自分を比較し、優劣をつけようとしたり、されたりするときに発生すると思っています。「幸せなんだから」「中途半端」などの言葉は、自分と他人を比較してはじめて出てくる言葉ではないかと感じます。文中で何度も自己と他者を比べている様子から、あなた自身が誰かと比べられることが多かったのかなと勝手に想像してしまいました。
「自分はまだ大丈夫」と思うのをやめるのに相応しい・苦しい気持ちになってもおかしくない「特別な理由」って何なのかなあ……と考えました。でもあなたの文章の背後からは、頼んでいないのに常に他人と比較される社会、辛い気持ちになる理由を追及される社会、それを内面化させて、自分の生きる価値にすら疑問を抱かせる社会を読み取ることができました。普通に暮らしていても苦しい状態だと思います。
私は、この社会そのものが程度の差こそあれすべての人たちを生き辛くしていると思っています。あなたがこんなに苦しい気持ちになっても、なんにもおかしくないし、むしろ正常な反応だとすら感じました。